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ローマの思い出

2005/11/05

ローマの思い出(5)お金のこと(その二)

そうそう紙幣で思い出したけど、イタリアには何種類もの100リラ紙幣が出回っ
ていた。あとで分かったのだが、これは正式な紙幣ではなく、不足している100
リラを補うために各銀行が勝手に発行したものだった。

正式なものでないから、破れたりするともう支払いに使うことができないので、
よくチップに混ぜて渡していた。まるでババ抜きのババみたいに。

その後何年かたってイタリアを再訪したとき、この紙幣は姿を消し、代わりに
100リラ硬貨が流通していた。
「そうか、イタリア経済は好調なんだな」と、そのとき思った。

いろいろな国に行ってみて感じたのだが、貧しい国にはコインがない。
紙幣だってボロボロになるまで使い切る。
エジプトに行ったとき、ぷんぷん臭ってつまんだら空中分解しそうなお札
には閉口した。潔癖症の人はエジプト旅行は無理だろうね。
でもどんなに汚くても、決して捨てようと思わないのだから、お金の威力って
すごい。

経済的にゆとりが出てくるとコインが出回る。私はコインの流通具合でその国の
経済状況を判断している。

ところで観光客が支払いに使うのは各国の貨幣だけでない。
泥棒が多いことで有名なイタリアへの旅行だからか、トラベラーズ・チェックを
持ってくる人も多かった。

ご存知のようにトラベラーズ・チェックはサインする箇所が二つあり、あらかじめ
一箇所にサインしておき、支払うときにもう一箇所にサインする。サインを照合
することで、本人であることを確認するわけだ。

でもレジが混雑していたり時間がなかったりして、サインを忘れて行くケースが
後を絶たなかった。そして、お客が書き忘れたサインを真似して書くのも、私の
役目だった。

サインする数が多いと、マネするのも手抜きになって、余り似ていない字になる。
でもそこはアバウトなイタリアの銀行のこと、いつもスンナリ受け取ってくれた。
とりあえず日本人が書いたサインならOKだったようだ。

ちなみに、アルファベットにしても数字にしても、日本人の書いた字とイタリア人
の書いた字は、ひと目で違いが分かる。それほど書体が異なる。
だから日本人の書いた文字は、日本人でなければマネ出来ないのだった。


ローマの思い出(4)お金のこと(その一)

私が勤めていた会社は日本人相手のいろいろな事業をしていたが、そのメインは
日本人ツアー客相手のブティックだった。
ブティックといってもブランド物のバッグ・靴からしおりのような小物まで、
老若男女すべてを相手に、ごった煮的に商品を並べたお土産屋さんのようなもの
だけど。

今でこそ免税店めぐりばかりのツアーは嫌われるが、当時は海外旅行初めてと
いう人ばかりだったので、安心してイタリア製品が買えると重宝がられていた。

旅行にはシーズンがあるが、特に日本人の場合はオンとオフの差が大きくて、
ゴールデンウィークや年末年始には店内は観光客でラッシュ並みに混雑した。

たいていのツアーはヨーロッパ各国を駆け足で廻るので、国が変わるごとに
貨幣も変わり、数ヶ国の余ったお金が手元に残ることになる。
お客さんはそれを支払いに使いたいと言うのだ。
他のお店ではもちろん断られるだろうが、そこは日本人経営のお店、無理がきく。
そういうわけで、このブティックでは、ヨーロッパのものならどんな紙幣でも
受け取っていた。もっともレートはいい加減だったけど。

旅行シーズン真っ盛りとなると、さまざまな国の紙幣とトラベラーズチェックで
私の部屋の大型金庫がいっぱいになり、扉が閉まらなくなるほどだった。

そのお金を翌日銀行に持って行くのだが、集計するのがまた一苦労で、真夜中
までかかることも珍しくなかった。円とかリラだけなら数えるのは簡単だが、
マルクだのペセタだのが入ると、訳がわからなくなる。

毎日こうやって各国のお金を扱っていると、だんだん好みの紙幣と嫌いな紙幣が
出てくる。嫌いなのはまずUSドル。日本人が持ってくるドルはピン札が多く、
何枚もが印刷インクでピッタリくっついていて、数えるのも1枚ずつにはがすのも
手間がかかった。
それからフランスフランも嫌いだった。ぺらぺらの大判な紙幣で整理しにくい
のだ。


2005/10/26

ローマの思い出(3)同僚イタリア人OL

大事な用件は会計士Tさんの分野だが、普段の事務はもっぱらイタリア人事務員A
さんとコンビを組んでいた。

最初のうちは普通のオフィスで二人机を並べて仕事をしていた。

その頃ローマの建物はどこも入り口に鍵がかかっていて、つまり何十年も前から
オートロックになっていて、外からブザーで知らせてロックを解除して入るという
仕組みになっていた。今のローマは、昼間は入口がオープンになっているビルが
多いから、昔より治安が良くなったということなのだろう。

オートロックだから、表向きのオフィスといっても、いきなり税務署が踏み込む
とか怪しい者が押し入るという危険性は少ないのだが、やはり帳簿も金庫もそこに
あるというのは問題だった。

そんなわけで、しばらくして、近くにこぢんまりしたアパートを借り、そこを
秘密のオフィス兼私の住まいにしたのだった。
秘密とは言っても周囲の誰もが知っていたけれど。

イタリア人事務員Aさんは二十代前半の女性で、年齢よりずっとシッカリ者だった。
イタリア人の若い女性にしては地味で、早く結婚して普通のマンマになりたいと
つねづね言っていた。

彼女には本当にお世話になった。
外部からの電話は彼女に対応してもらうしかないし、日本とはかなり異なる手形や
公共料金等のい支払システムも、彼女にレクチャーしてもらって何とかこなして
いた。お金は原則として私が扱うことになっていたので、銀行へ預け入れたり
引き出したりする時は二人で行った。

取引銀行はスペイン階段のすぐ近くにあった。
その当時のイタリアの銀行は番号札があるわけでもなく、ほとんどの人は顔パスで
なじみの行員を呼んで用事を済ませていた。
だから時々顔パスのきかない日本人観光客が両替にやってくると、なかなか順番が
回ってこなくて気の毒だった。

通訳がいない時にどうやって用件を伝えるかというと、これは以心伝心という
しかない。Aは日本人に慣れているので、私が並べるイタリア語の単語から何とか
意味をくみ取って、それを銀行員に伝えるのだ。
よく相手の行員から「お~っ、Aは日本語が出来るのか~」とからかわれていた。

たまには支配人を呼び出すこともあったが、この支配人がいかにもペラペラした
優男って感じの男で、どう見ても銀行員という印象を受けなかった。
Aの話だと、彼は有力なコネがあって支配人になったということだった。
とにかくコネが無ければ就職も出来ない国だから、銀行の支配人ともなると相当な
コネがあったことは間違いない。

2005/10/19

ローマの思い出(2)脱税天国イタリア

表に出ない経理だから日本語で処理しても何の問題もないし、日本人経営者に
とってはむしろその方が便利だったが、ビジネスをやっているからにはすべて
裏だけで済ませるわけにはいかない。銀行との取引も必要だし、公共料金の支払も
あるし、何より税務署への申告がある。

だから表と裏の両方のつなぎ役ができるイタリア人がどうしても必要で、その役割
を担っていたのが中年の女性会計士だった。

この人は日本人経営者のアドバイザーで、税務署関係だけにとどまらずイタリアの
様々なしきたりについて指南していた。

イタリア人は働かないというイメージがあるが、この人は違っていた。
独身で元貴族という彼女は、たまにオフィスにやってきて仕事をするのだが、
デスクに向かって書類を作成し始めると、もう他のことなど眼中になくなる。

猛然とペンを走らせては、書き損じた書類をグシャグシャ握りつぶして、あたり
構わず投げ捨てる。狭い部屋はあっという間に紙くずの山。
すぐ隣にゴミ箱を置いておいても、その中に紙くずが入っていたためしがなかった。
まあそれだけ仕事に熱中していたということだろう。

ある日のこと、この会計士Tさんが血相を変えてやってきた。
近いうちに税務署の調査が入るというのである。
こんな時のために、税務署やその他のお役所には、情報源となる人物を確保して
あった。もちろんお金はかかるが、税金が浮くことを思えば安いものだ。

ところで、言い訳するようだが、会社が脱税していたかどうか私は関知していない。
申告はすべて経営者とTさんがやっていたのだから。
でももし私のデータが税務署に知れたら、節税努力がすべて水の泡になるだろう
ことは、容易に想像できた。

もちろん、Tさんの立場も危ない。
「あなたの部屋にある書類を、今すぐ全部燃やしてちょうだい」
Tさんは私に厳命した。その頃私はアパートの一室で金庫とともに暮らしていて、
会計書類は全部その部屋にあったのだ。

「とんでもない」私は大慌てで拒否した。
だってこれら真のデータが無くなったら、今会社にいくらあるのか、資金繰りを
どうするか、従業員に払う給料はいくらか、何も分からなくなって、仕事が出来
なくなってしまう。

私は必死に抵抗し、けっきょく、会社から遠く離れた田畑の堆肥の中に隠す
ということで決着したのだった。

2005/10/17

ローマの思い出(1)昔、ローマで働いたことがある

ローマを中心に事業をやっている日本人経営の会社で、経理担当者として2年間
仕事をしたことがある。

もっともこの会社はもうだいぶ前に消滅してしまったが、だからこそ書けるいくつ
かのエピソードを、思い出すままにアップしてみたい。

日本人経営とはいってもイタリアの会社である。
その会社にイタリア語などまったく分からない私がなぜ勤めることになったのか。
そこにはイタリアという国にかかわる深い事情があった。

イタリアは名にし負うコネ社会、表向きはややこしい手続きが必要なことでも、
コネひとつで話が簡単に片付いてしまう。外から見ると、イタリアはしょっちゅう
首相が変わったりして混乱しているように見えるが、実際に社会を動かしている
のは裏社会だから、どんな難題もコネとカネだけでスンナリ解決するのだ。

でもそうなると、イタリアでやっていく為には裏社会のルールを知らなくては
ならないし、そちらに合わせたシステムにしなくてはならない。会社運営の基盤
ともいうべき会計も、表用と裏用を用意する必要がある。

その裏会計の担当者として私は働くことになったのだ。
当然、真の会計は裏のほうである。表にはイタリア人女性事務員がいて、外部との
折衝をしていた。私は売上げの計算をしたり、外部への支払いをしたり、従業員
への給料計算をしたりと、まあ日本でやるのと同じような仕事をした。