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江戸を歩く

2015/06/15

参勤交代

「i一路」(浅田次郎著)という、参勤交代がテーマの、エンタティメント色の
強い小説を読んだ。

参勤交代が何かはもちろん知っているが、具体的にどのように行われて、どの
ような功罪があったのかは知らない。この「一路」は小説だから、事実との違いは
当然あるだろうが、隔年で続けられた行列のおおよその様子がわかって面白い。

上巻は単行本で読んだが、最近文庫本が出版になったので、図書館に下巻の
予約を入れておいた。

待っているあいだ、予備知識を仕込んでおこうと、「外様大名40家-負け組の
処世術」「江戸三百藩最後の藩主ーうちの殿様は何をした」「江戸大名のお家
騒動」を読んだ。

これが面白い。

お殿様も家臣も領民も、藩をいかに平穏に維持するかが、何よりも重大な関心事
だった。お家騒動で改易にでもなったら、藩主だけでなく家臣も失業してしまう。
お殿様が跡継ぎないままに急死でもしたら、お家断絶で改易となってしまう。
だから藩主の死を隠して、急きょ後継者を決めたりしたらしい。
あれこれ気配りをして、藩の維持に心血を注いだ様子は、さながら会社に依存する
サラリーマンのようだ。

現代日本人のメンタリティは江戸時代に培われたんじゃないかしら。

藩主のほとんどが江戸生まれ江戸育ちだということも初耳だった。奥方と嫡子は
人質として江戸屋敷に住んでいたのだ。同じ立場のお殿様同士の交流もあった
らしい。

ところで主人公の一路が仕えるのは、西美濃田名部の蒔坂家という七千五百石の
旗本だ。(もちろん架空)
この蒔坂家の江戸屋敷は「両国橋から堅川の土手道に出て、横川に突きあたって
左に折れ、本所は入江町、長崎町、清水町と行った先の本所吉田町にある」と
なっている。

あれ?うちの近くだな~?

横川というのは現在の大横川親水公園だ。

Photo

日曜日に北斎通りを歩いていたら、旧横川の脇で長崎橋という遺構を見つけた。
これまでは気にせず素通りしていたのだが、小説に出てきた長崎町という地名が
記憶にあったので、説明プレートを読んでみた。

Photo_2

蒔坂家江戸屋敷はここから少し行ったところにある。
江戸切り絵図を見たら、法恩寺橋の脇に本所吉田町があった。

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(法恩寺橋と桜)

架空の江戸屋敷にしても、何となく親近感がわいてくる。もちろん興味や関心も
強まる。この場所にある江戸屋敷だから、そんなに格の高いお家でなかったと
いうことだ。本所は、明暦の大火の後で幕府が造成した新興住宅街なのだから。

Photo_4

大横川親水公園(旧横川)のアメリカデイゴの木。墨田区の公園では、この木を
よく見かける。

Photo_5

2014/04/05

藤沢周平の江戸を歩くー洲崎神社からの帰り

洲崎神社の鳥居を出ると、すぐ右手の狭い路地の奥に赤い橋が見えた。

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「新田橋」という名称で「第一回江東区まちなみ景観賞」になった橋らしい。

Photo_2

この橋を渡ってすぐのところに、地下鉄が走っている「永代通り」があり、
永代通りを左側に少し歩くと南北に延びる「三ツ目通り」との交差点になる。

三ツ目通りに沿って「木場公園」が広がっている。せっかく来たのだからと、
木場公園でお花見がてらお茶でも飲むことにした。桜はまだまだだったけど、
植物園ではいろんなお花を楽しむことができた。

Photo_3

植物園の近くには無料休憩できる施設もあったが、飲み物などは売られていな
かったので、仙台堀川を越えて北側エリアの売店に行った。
木場公園は仙台堀川をはさんで北と南に別れている。その2つのエリアを結ぶ
のが木場公園大橋だ。

Photo_12
(橋の中央にスカイツリーが見える)

Photo_5
(仙台堀川)

仙台堀川も藤沢作品によく登場する。他の時代小説でも舞台となることが多い。
この川に沿って歩くと、清澄庭園や深川といった江戸の面影が残るエリアに出る。

仙台堀川は江戸時代からの桜の名所でもあるが、この時はまだ咲いていなかった。

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北エリアの売店のカフェでコーヒーを飲むつもりだったのに、空腹に負けてカレー
ライスを食べてしまった。しかも平らげてしまったものだから、ウォーキングの
カロリー消費がパーになってしまった。

こうなったら地下鉄に乗らず歩いて帰るしかないな。

しばらくそこで藤沢周平の短編を読んでいたが、日差しは暖かいけれど風があって
体感温度は低い。それで本の続きは「東京都現代美術館」で読むことにした。
歩いて帰るのなら、どちらにしろここを通るのだ。

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美術館のマットレスのような椅子に座ってノンビリする。入館者は少ない。贅沢な
空間でゆっくり過ごすことができた。リッチだわ。

Photo_8

美術館を出て、どうせなら歩いたことのない道を行こうと大横川を渡り、北に向かって
歩いていたら、四つ角に建つお寺の門前で「関根正二の墓」というプレートを見つけた。

「関根正二」は21歳の若さで早逝したので、作品数はそれほど多くないと思うが、
たまたま入った美術館で目にした関根正二の絵画はどれも強く印象に残っている。

Nec_0140

このお寺「重願寺」は武家屋敷のような立派な構えで、関根のイメージとはだいぶ
かけ離れている気がした。門を入ったところに墓地があったが、説明文を読んだ
だけでお寺を後にした。また日を改めてお参りに来ることにするわ。

重願寺の対角に「猿江神社」があったので、そちらにも行ってみた。

Photo_11

四つ角からだと神社の裏から入ることになる。境内には人影がなく、桜がひっそり
咲いていた。

Photo_10

この四つ角には「摩利支天尊」を祭ったお社もあった。インターネットで調べたら
「日先神社(ひのさきじんじゃ)」という神社で、江戸時代には猿江摩利支天と
いわれ、江戸名所図会にも描かれた江戸屈指の規模をもつ摩利支天だったとか。

狭い裏通りの四辻だけど、神様仏様がいっぱいいらっしゃるのね。

2014/03/31

藤沢周平の江戸を歩くー洲崎神社

認知症予防のためには好奇心を持つと良いらしい。しかし好奇心を持つためには、
それを掻き立ててくれるような、何らかのキッカケが必要だ。

これまで何十年も暮らしてきたというのに、地元についても江戸時代についても
知識や関心がなかった。それが「ブラタモリ」に触発されて周囲を見廻してみたら、
味もそっけもない町だと思っていたところに物語が詰まっていたのだ。
とくに時代劇や時代小説の舞台になっていることが多い。

時代小説もいろんな効用があるもんだわ。

最近の私の「お気に入り」は藤沢周平だ。小説には剣の達人でありながら不遇な
日々を送る浪人や下級武士がよく登場する。それがまたカッコいいんだよね~。

もちろん裏店長屋で暮らす町人たちも描かれている。藤沢の小説には両国橋や
本所深川一帯がよく出てくる。金のない浪人や町人が主人公だから、当然そう
なるよね。江戸城の近所なんてわけないもの。

藤沢周平は業界紙の編集長だったころ、印刷を頼んでいた墨田区緑一丁目の会社
周辺をよく散歩したという。両国橋、堅川、南割下水(現北斎通り)などがあり、
藤沢作品の舞台になっている地域だ。
江戸切絵図を見ながら小説の構想を練っていたのかな。

短編「入墨」には、堅川べりの裏店でともに育った若い二人が洲崎神社に行き、
波除碑を見ながら津波の恐ろしさを話す場面がある。

さっそく江戸切絵図を開いてみると、ちゃんと洲崎神社が載っている。現在の
地図にも載っている。

そうだ、今度お天気の良い日に洲崎神社までウォーキングしようと、咄嗟に決めた
のだった。

前置きが長くなったが、そういうわけで、先週の金曜日、自宅から木場駅の方に
向かって大横川沿いをウォーキングした。

Photo

その日だか前日だかに東京の桜の開花宣言が出されたばかりで、大横川の桜は
まだ1分咲き程度だった。でも日差しが暖かったから、土曜から日曜にかけて
満開になっただろう。

大横川も墨田区の一部と江東区部分は川として残っている。でも墨田区側は埋め
立てられて大横川親水公園となり、スカイツリーのある業平橋まで続いている。
今回は下流の江東区を歩いて行く。

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ふん、ふん、橋ばっかりだな。

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(大横川と小名木川が交差するところ)

橋の工事中で川岸を歩けないところも多かった。どこもかしこも工事中だ。

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東京都現代美術館の裏門(北側)に出た。美術館に寄ると疲れてウォーキングが
できなくなるので、入らないことにする。

ここから目指す木場駅近くまで、緑豊かな「木場公園」が広がっている。

Photo_3

木場公園の途中からまた大横川の川べりを歩くと、河津桜の並木に出会った。
もう散りかけているけれど、鮮やかな紅色の花びらが小道を飾っていて、きれい。

Photo_4

広大な木場公園がきれると、もう木場駅は近い。「洲崎神社」は木場駅からすぐの
ところにあった。

Photo_8

波除碑は、震災と戦災の被害を受けて、文字などよく読めない。被害がなくても
読めないだろうけど(^^;)(昭和17年に東京都指定有形文化財に指定された)

Photo_10

幕府は津波対策に空地を造ったり、火災の延焼を防ぐために日除け地や広小路を
造ったりと、けっこう頑張っていたんだな。

2014/03/19

江戸切絵散歩のつもりで佃島(2)

佃島から中央大橋を渡る。この辺りの湾岸地域は超高層マンションが次々と建ち、
とくに東京五輪決定後は人気沸騰でマンション価格も高騰しているらしい。

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中央大橋の歩道は広々としている。隅田川や荒川・江戸川といった大河にかかる
橋は、風が強いと恐いが、これくらい歩道が広いと安心して渡ることができる。

Photo_2

橋の真ん中あたりに「メッセンジャー 」という像がある。あいにく川の方を向いて
いるので、どんな銅像なのかわからない。

Photo_7
(佃島対岸の隅田川テラスから、中央大橋をみる。メッセンジャーもちょっと見える)

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(平日なので近隣のサラリーマンが雑談していた。向うに見えるのは永代橋)

中央大橋を渡った先は八丁堀だが、空模様も何とか持ちそうなので、隅田川川岸を
次の永代橋まで歩くことにした。隅田川の川岸はずっとテラスが続いている。
似たようなコンクリートの遊歩道でちょっと味気ないが、道に迷うこともなく、
信号待ちをすることもなく、安心して歩くことができるから、ウォーキングコース
としては悪くないと思う。

Photo_4

永代橋は日本橋茅場町から近い。まだ東京の右も左もわからなかった頃、茅場町に
ある証券会社に通っていた。その頃は永代橋も知らなかった。
その後1~2回この橋を渡った記憶があるが、詳しいことは覚えていない。
バスでなら何回も渡っているけれど。

永代橋の対岸は江東区で門前仲町(深川)が近い。こうやって自分の足で歩いて
みると、江戸時代に人々がどう行き来したか、どんなところが賑わっていたかが
わかってくる。日本橋と深川はそんなに離れていないのだ。

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江東区側の橋のたもとに「佐久間象山」と「澁澤栄一」に関する説明プレートが
あった。年配の男性がじっくり説明文に見入っている。街歩きしていると、熱心に
街角の歴史案内などを読んでいる中高年に出会う。佃島でも隅田川テラスでも、
そんな年配の街角散策ファンに出会った。

Photo_6

どんよりとしていた空からポツリポツリと小雨が落ちてきたので、地下鉄に乗って
帰ろうと門前仲町に向かって急いでいたら、運よく錦糸町行きの都バスがやって
きた。

錦糸町はお世辞にもリッチな街じゃないけれど、交通の便だけは良いわ。

2014/03/16

江戸切絵散歩のつもりで佃島(1)

池波正太郎の「江戸切絵図散歩」が面白かった。そもそも旅行記とか○○散歩と
いう本が好きなのだが、散歩だけでなくそれに江戸探しの面白さがプラスされる
ので、歩くのが苦にならなくなる。

少し前に「長谷川平蔵が発案した人足寄場」についてのコラムを新聞で読んだ。
「石川島人足寄場 」というのは犯罪者更生施設のこと。
そこで犯罪者に労働を科し、職業訓練をし、賃金の一部を毎月積み立てさせて
出所時に支払い、社会復帰を促した。
30以上もの職種が用意されていたという。当時、世界最先端の更生施設だった
のだ。

今にも雨が落ちてきそうな金曜日、人足寄場があった佃島に足を運んだ。
中央区にある佃島は隅田川の川べりにあり、お江戸日本橋や銀座、築地、東京駅も
近い。

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地下鉄新富町から10分ほど歩くと隅田川に出る。そこにかかっているのが、
「佃大橋」だ。橋のたもとに「佃島渡船」の石碑があった。

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佃大橋が昭和38年に完成するまで、300年余りのあいだ佃の渡しは続いた。
隅田川で最後まで残った渡し船だった。

渡し船は知らないが、佃島にはむかし何度か来たことがある。
まだ「大川端リバーシティ」ができる前のことで、ごちゃごちゃした狭い路地が
ある地域だった。

大川端リバーシティができてからも行ったことがある。すっかり様変わりして、
何だか公園みたいな街になったなと思った。

池波正太郎は佃大橋ができたことを嘆いている。でも都心という地理的条件を
考えると、いつまでも渡し船というわけにはいかないだろう。もっと小さい島で、
せいぜい公園くらいしか使いみちがなかったら、渡しが残ったかもしれないが。

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(佃大橋の上から見る佃島)

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ほんの2~3軒「佃煮屋」が並んでいる。

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隅田川にそって少し歩くと、「住吉神社」の鳥居と石川島灯台のモニュメントに
出会う。この灯台辺りに人足寄場があったらしい。

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昔の佃島の空気が漂っていると感じたのは「住吉神社」だった。

住吉という神社名から大阪を連想したが、やはりルーツは大阪だった。

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(そう言えば我が家の近所に住吉という地下鉄駅がある。これも関連があるのかと
調べたが、吉という字が縁起が良さそうということでつけた町名で、住吉神社とは
関係ないらしい)

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(隅田川から右手の晴海運河に入っていく船)

神社からまた隅田川に戻り「石川島灯台モニュメント」から川沿いのテラスを
歩いた。スカイツリーが見える。このままテラスを歩いて帰宅できそうな気が
するが、佃島は島なのでどこかで橋を渡らなければならない。

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(波がひたひた押し寄せる晴海運河)

地図を見るとよく分かるが、この辺りは川や運河だらけなのだ。日本橋、京橋、
江戸橋など、やたらと橋のついている地名が多いのはそのせいだ。
だから出かけるということは橋を渡るということでもある。

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(中央大橋)

佃島からは「佃大橋」と「中央大橋」が隅田川にかかっている。また隅田川から
東京湾方面に晴海運河が流れていて、江東区深川方面に行く「相生橋」がかかって
いる。歩いて帰るとしたら「相生橋」のほうが近いが、隅田川の橋をぜんぶ渡る
という目的もあるので、中央大橋を渡ることにした。

2013/12/29

時代小説散歩(その参)兼スタンプラリー

日本各地は荒れ模様のお天気らしいが、東京は土曜日も日曜日も好天に恵まれた。
気温は低いが風がないので、日が当たるとポカポカと暖かい。
申し訳ないくらいのウォーキング日和だったので、頑張ってスタンプラリーを
することにした。

高札廻りスタンプラリーは、どうやら両国観光案内所が企画したものらしく、
スタンプ対象高札の場所は、両国近辺に集中している。両国周辺ということは、
我家から徒歩圏内にあるということで、スタンプ収集は楽だった。

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このスタンプは、GPSの電波か何かで認識するらしい。
高札にスマホをくっ付けてもダメなのに、少し離したらOKになったりした。
それが分かってからは、スタンプの数がどんどん増えていった。

土曜日は主に竪川を越えた墨田区の南端地域を歩いた。
スカイツリーとは逆方向で、江東区に接している地域だ。

先日「弥勒寺」に行ってきたけれど、それまでこのエリアはほとんど歩いたことが
なかった。でも藤沢周平の時代小説に頻繁に登場するエリアなので、歩くのが
楽しみだった。

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まず菊川駅の近くにある「長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡」に行く。ここには
高札が無かった。両国からちょっと距離があるからかしら。

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その代わり、地元が立てたらしい「鬼兵通り」の幟が、大通りにそって何本も
風になびいていた。

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ここではスタンプゲットできなかったけれど、町歩きしていると気になる看板や
お店が目についたりして楽しい。菊川駅周辺には手頃なレストラン、カフェなど
あって、とても住み易そうな街だ。

そこから新大橋通りを森下駅に向って歩いた。この大通りが区の境界線なら分かり
やすいのだけれど、森下駅周辺でいきなり江東区が墨田区側に食い込んでくる。

ちょうど弥勒寺のある辺り、「五間堀」や「六間堀」があったところで、時代小説
ではお馴染みの場所だ。昔は掘割だったが、今はその一部が公園になってその名が
残っているだけ。

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江東区の五間堀公園。一帯は墨田区と江東区が狭い路地を挟んで向かい合い、
境界線がギザギザに入り組んでいる。

この辺りのマップと「スタンプをゲットした場所」>が、このサイトに載っていた
ので、リンクした。

「六間堀中心の周辺地図」にも、今回歩いたエリアが載っている。この地図を
見ながら時代小説を読むと、位置関係がよくわかる。
ここに載っている「三保ヶ関部屋」でもスタンプもらってきた。

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(西光寺)

ところで、締め切りが12月31日の高札スタンプラリーを優先したが、ついでに
お寺のスタンプも貰おうとマップを持って行った。でも結局お寺のスタンプは
貰わなかった。この地域にある要津寺や西光寺を覗いてみたのだが、どちらも
真新しい建物で、何だか高級料亭みたいで、とっつきにくい印象だった。

いろいろなお寺があるから、一概には言えないかもしれないが、いくつものお寺と
神社を訪ねてみて、その違いを実感した。お寺は敷居が高く入りにくいが、神社は
かた苦しさがなく、ふらっと入ることができる。

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(初音森神社)

今回訪れた神社のなかでは、初音森神社の素朴な佇まいが気に入った。もともと
問屋街の馬喰町の氏神さまだったらしいが、明暦の大火の後この地に移転した
らしい。

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初音森神社の片隅の「難波稲荷大明神」という小さなお社が気になった。どういう
由来があるのだろう?

「江島杉山神社」も良かった。

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ここには江ノ島弁財天を模した洞窟があり、その中に杉山和一の小像やお社が
祭られている。

Photo_10

この日は人影が無かったけれど、大晦日や初詣のときには、近隣の人達で賑わう
だろう。私もこんな神社にお参りしたいと思った。

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日曜日にまた自宅から両国まで歩いた。途中でいくつかスタンプをゲットし、
目標の30をクリア。その足で両国観光案内所に行ったら、残念なことに年末年始の
休みに入っていた。

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仕方ない、また年明けに来ることにしよう。

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観光案内所の裏手でこんなお店を見つけたので、メンチカツと焼きドーナツを
買ってきた。焼きドーナツは日持ちするというので、夕食の時にメンチカツだけ
食べた。美味しい~。これで1個160円は安い。また買うわ。

両国駅前の国技館は、イベントかライブでもあるらしく、若い男性でいっぱい
だった。
(写真をクリックすると拡大します)

2013/12/22

時代小説散歩(その弐)

土曜日はまず図書館に行った。ずっと前に予約していた村上春樹「色彩を持たない
多崎つくると、彼の巡礼の年」貸出OKのメールがきたが、今は藤沢周平の時代
小説にはまっているので、借りないことにした。
あまりにも違いすぎるものね、このふたつの世界は。

この間まで借りていた藤沢周平の本3冊を返却し、また新たに同じく藤沢周平を
3冊借りた。本所深川が舞台の物語が多くて、読んでいるうちに江戸の町が目に
浮かぶようになっってきた。馴染みの地名が多いので、イメージがわきやすい。

図書館に寄ってから買い物のために新宿に行く予定でいたが、あまりにも良い
お天気だったので、途中で気が変わり、「時代小説散歩」をすることにした。

「お寺廻りマップ」を持ってこなかったのは残念だけど、まあ仕方がない。
すみだ区が鬼平犯科帳ゆかりの場所に高札を立てたので、スマホにインストール
したアプリ「下町そら散歩」>の「高札めぐりスタンプラリー」をすることにした。
鬼平犯科帳と藤沢周平の舞台は重なっているから、両方の時代小説歩きになる。

Photo
(ときどき気球が飛んでいる)

いくつかのコースから、私が選んだのは「30ヶ所の高札めぐり」なのだが、
困るのはスマホを近づけても反応してくれない高札が多いことだ。いつも行く
図書館近くの「南割下水」や「津軽家上屋敷」「回向院」も反応してくれない。
でも反応してくれる高札もあるので、スマホやアプリが故障しているわけでは
ないらしい。

せっかく歩いてきたのにとプンプン怒る私だったが、最大の目的はウォーキング
なんだと自分に言い聞かせ、気を取りなおしてまた歩く。

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(両国らしい羽子板のお店)

両国周辺をうろついてから、厩橋を渡って台東区側に出た。

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(厩橋。手前はすみだ区側にある厩橋地蔵尊)

台東区側の隅田川テラスを歩く機会は滅多にないので、たまには散歩して
みよう。

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(あら、そうかしら‥)

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屋形船がいくつも係留され、光の中でゆらゆら揺れていた。

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テラスは真っ直ぐ吾妻橋まで続いていて歩きやすい。道路を歩くより川岸を
歩くほうが、信号待ちも無いし距離も短いので早く着く。

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(赤い橋が浅草雷門近くの吾妻橋)

吾妻橋を渡ってすみだ区へ。墨堤をちょっと歩くと「墨田区役所」がある。
お天気が良いせいか、区の宣伝が功を奏したのか、地図を見ながらそこら辺を
歩いている観光客がかなりいた。

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墨田区役所の脇にある「枕橋」には鬼平の高札があった。

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隅田公園の中を歩いて「牛嶋神社」に行き、両手で「撫で牛」にさわりまくった。
元旦は大行列が出来るけれど、この日は人の姿もチラホラなので、しつこく
撫で回してきた。牛さん、ごめんなさい。

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(牛嶋神社では結婚式をしていた)

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牛嶋神社から見番通りを少し行くと「三囲神社」がある。この神社もお正月は
多くの参拝客で賑わうが、この日はひっそりしていた。三井グループの守り神。

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この日の収穫は高札廻りのスタンプ4つ。合計で8っつになったが、目標の30
までまだ遠い。12月31日が締切日だから、休みになったらまたセッセと歩く
ことにしよう。

(写真をクリックすると拡大します)

2013/12/15

時代小説散歩

好天に誘われ、土曜日は午後から「お寺めぐり&鬼平散歩」に出かけた。
すみだ区のお寺59ケ所のスタンプラリーと、鬼平犯科帳高札めぐりが目的だ。

鬼平犯科帳のほうは、スマホに「下町そら散歩」というアプリをダウンロードし、
それを見ながら歩く。なんでも、高札の15m以内に近づくとメロディが鳴って、
自動的にアプリのスタンプが押される(番号の色が変わる)らしい。

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最初に訪れたのは、お寺めぐりと鬼平ゆかりの地が重なる「弥勒寺」だ。
区役所に行くとき、コミュニティバスでよくこのお寺を前を通ったが、降りた
ことはなかった。

弥勒寺は鬼平犯科帳だけでなく、藤沢周平の時代小説にもよく出てくる。
江戸時代はかなり有名なお寺だったのかな?

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でも現在の弥勒寺は小さくてヒッソリとしていた。ここには鍼術の杉山和一の
お墓がある。(詳しいことは?)

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すぐ近くにあるのが、鬼平が「本所の銕(てつ)」と呼ばれていたころ世話に
なったお婆さんがやっている茶屋「笹や」だ。もちろん架空の人物でありお店
だけれど。

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(近くにこんなレトロなお店があった)

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笹やから少し歩くと、竪川にかかる「二の橋」がある。小説で、このたもと
にあるのが「軍鶏なべ屋五鉄」だ。藤沢周平の小説にもよく出てくる橋だ。

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二の橋を渡り左に行くと本所松坂町だ。
ちょうど「赤穂浪士討ち入り」の「元禄祭」開催中で、狭い路地は人波でごった
返していた。

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弥勒寺とその周辺のいくつかのお寺からスタンプを貰い、次に目指すお寺は
吉良邸からすぐのところにある「回向院」だ。

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回向院にある「ねずみ小僧次郎吉」のお墓の前は、いつになく人が多かった。
忠臣蔵観光の人が立ち寄ったのだろう。

それから両国駅~江戸東京博物館と通って、蔵前橋通りに出た。
この道を錦糸町方面にずんずん歩くと、途中にあるのが「法恩寺」だ。

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ところが、ここにきて、スマホにインストールしたアプリ「下町そら散歩」が
うまく作動しない。高札に近づいてもウンともスンとも言ってくれない。

私の操作の仕方が悪いのか、スマホが悪いのか、アプリに問題があるのか‥‥。
お寺めぐりにも鬼平にも間違いなく縁がある「法恩寺」が、アプリの地図に載って
いないのだ。そんなことって、ある?

すっかり気勢をそがれてしまって、スタンプも貰わず、また出直すことにした。

ここには法恩寺とその末寺(塔頭というらしい)などお寺がいくつもある。
どこもヒッソリとしていて、何だか旅館みたいな佇まいで、入りにくい。
錦糸町駅から徒歩10分ほどなので、アプリがちゃんとなってから、再訪しよう。

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塔頭のひとつ「千栄院」の墓地を歩いて行ったら、「たんぼとけ」と書かれた
石碑が目に入った。「たん・ぜんそく・百日咳」から守護してくださるらしい。
最近咳が出て困っているので、大晦日にでも必ずお参りにこようと、決意した
私だった。

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(千栄院の墓地から見たスカイツリー。目立ちすぎて、墓地の雰囲気が‥‥^^;)

ところで、今回は主に鬼平犯科帳ゆかりの地をめぐるウォーキングだったが、
私が最近読んでいるのは藤沢周平の時代小説だ。

主要な登場人物が活動する舞台が本所深川一帯で、竪川、小名木川、二ツ目橋
(現二の橋)など、馴染みの地名や場所が数多く出てくる。
もちろん知らない町名も多い。江東区の深川や木場あたりの町名は、今も同じ
なのかそれとも変わっているのか、どの辺にあるのか見当がつかない。

そんな時重宝するのが「江戸切絵図」だ。
だいぶ前に「もち歩き 江戸東京散歩」という本を買った。切絵図と現代の地図が
載っていて、対比できるようになっている。街角散歩に最適だと思って買ったの
だが、結局たいして見ることもなく、本棚の隅に追いやられていた。

それが、藤沢周平や鬼平犯科帳などを読むことで、日の目を見ることになったのだ。

藤沢作品(「夜の橋」「消えた女」「霧の果て」など)によく出てくる亀沢町、
黒江町などは今も残っているが、海辺大工町はもうない。切絵図を見ると、海辺
大工町は川岸にいくつもあるけれど、何故かしら?

やっぱり馴染みのある土地だと、江戸時代の佇まいが自然と思い浮かんできて、
臨場感がある。藤沢周平の「虚ろな家」には、業平橋、小梅代地町、柳島村が
出てくる。ちょうどスカイツリーのある場所だ。

こんな風に地図を比べながら読むと、ごちゃごちゃして見る気も起きなかった
切絵図の町や川や橋が、いきいきと感じられるから不思議だ。

藤沢周平も池波正太郎も、この切絵図を見ながら小説を書いたのかな。

(写真をクリックすると拡大します)

2013/11/17

ちょっと遠出「品川宿」

先週の散歩のとき、亀戸天神で「東京十社めぐり」という立て看板を見て、その
中の「品川神社」について書いた。

とくに深い意味があったわけではないのだが、すぐその後で、「サンデー毎日」の
グラビア1ページ目に品川神社の「富士塚」が載っているのを見つけて、ちょっと
気になった。

そして昨夜、テレビのスイッチを入れたら、いきなり品川神社が映ってビックリ。
たしか「ぶらぶら美術館」という番組で、近くにある「原美術館」に行く前に
品川神社の富士塚に立ち寄ったときの映像らしい。

これだけ立て続けに品川神社が出てくると、神様がお参りに来なさいと言って
いるような気がして、土曜日の今日足を運んだのだった。

インターネットで場所を調べたら、この辺りには東海道五十三次の「品川宿」
あったようで、地元も案内所を開いたりして観光に力を入れているらしい。
なかなか見どころの多い土地のようだ。

錦糸町から品川まで乗換なし18分、運賃210円だから、遠出のうちに入らないかな。
でもいつもと違う街を歩くのは楽しみだ。

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品川駅の海岸側は超モダンな人工都市だ。いくつものビルを回廊がつないでいる。
その回廊をどんどん歩くと、終点に巨大な都営住宅「北品川アパート」がある。

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そこで階段を下りて海岸とは反対側に少し坂を上ると、もう「旧東海道」だ。

観光案内所があったので、そこで「まち歩きマップ」を買う。50円。

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旧東海道に沿って手入れの行き届いた商店街が延びていて、その道筋に名所や
神社仏閣がある。マップの終わり「鈴ケ森刑場跡」までは3.8km、ひたすら真っ直ぐ
歩くだけならそんなに時間がかからないだろうが、目指す品川神社は旧東海道から
外れるので、+αの距離がかなりありそうだ。

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まず「船浦だまり」を眺め、商店をぶらぶら歩きしながら「入江長八」の鏝絵が
あるという「善福寺」に向う。入江長八の鏝絵はこのお寺以外に「寄木神社」にも
あると書いてあるので、そちらにも行ってみるつもり。

小さい住宅がぎっしり建ち並ぶ一角にあるので、見つけ出すのが一苦労だった。
何度も同じ路地をうろつき、地元の人に聞いて、やっとたどり着くことが出来た。

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(善福寺の門)

境内にもお寺にも人影がなく、たまたま出会った人に聞いてみたが、入江長八の
ことは知らないという。

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たぶん土蔵造りの本堂(↑)に描かれているのが、その鏝絵だと思う。だいぶ
古ぼけているが、なかなか味わいのある建物だ。

善福寺は第一京浜(国道15号)にも近い。目指す品川神社はその第一京浜沿いに
ある。その上を京浜急行の高架が延びていて、とにかく交通量が多く、また分かり
やすいところだ。

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大通りからすぐに品川神社の境内につづく階段があり、それを上ったところに
「富士浅間神社」の小さなお社と溶岩の塊のような富士塚があった。

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品川神社は思っていたより広く立派だ。能舞台もある。

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この神社の裏手には「板垣退助のお墓」があった。すぐ近くまで住宅が迫って
いる。この辺りは坂が多い。大雨でがけ崩れがあったら、お墓はそっくり流されて
しまいそうだ。

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品川神社から10分ほど歩いたところに品川図書館があたので、そこでしばらく
休憩し、もう一ヶ所入江長八の鏝絵があるという「寄木神社」に向った。

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(寄木神社の門。住宅街の中に埋もれるような小さい神社だった)

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こちらの神社も人影がなかった。
左官職人とかアーティストならともなく、私のようなミーハーが本堂に入って
鏝絵を見せてもらうこともないので、お参りだけして帰った。

「こちらのブログ」にその鏝絵が載っていました。

あちこち寄り道をしたので疲れてしまい、品川宿散歩はそこまでにして、また
品川駅まで戻った。マップに載っている範囲の3分の1程度しか歩いていないが、
続きはまたの機会ということにしよう。

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また回廊を歩く。こういう無味乾燥なところを歩くのには慣れているわ(^^;)

帰宅して万歩計を見たら「17,378歩」だった。

2012/12/08

忠臣蔵の季節

図書館に予約していた本をとりに行った。「インスリン注射も食事制限もいら
ない、糖尿病最新療法」岡本卓著(角川SSC新書)、ページを開くとまず糖尿病
治療に関する知識チェックというのが載っている。
「食事よりもまず運動」「インスリン注射をしている人に認知症が多い」等々、
これまでの常識とは異なる内容もあるようだ。(←これまでの常識についても
あまり知らないけれど‥)

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図書館では「忠臣蔵資料展」をやっていた。忠臣蔵という言葉を聞くと、「もう
師走か」と感じる。1年たつのは、やっぱり早いわ。

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「元禄市」>をやっている吉良邸は図書館から徒歩10分程度なので行ってみる。
例年通り周りは露店でごった返していた。

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吉良邸跡の狭い「本所松坂町公園」は、いつもより観光客が多い気がした。
昨年なんか、ほとんど地元の人だったものね。スカイツリーから流れてきたの
かな。

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(吉良と大石がおそろいで)

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お昼を食べたというのに、お餅入りで具沢山の「元禄汁、300円」をつい食べて
しまった。やれやれ、また頑張って歩かないと。

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