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東京散歩

2016/05/29

荒川河川敷のポピー

来月でスマホ期限が切れるので、この機会に「格安スマホ」に変えようと検討中。
とりあえずGmailでのメールに慣れようと、先日からいろいろやっている。

困るのはドコモメールから受信はできても送信ができないこと。
ネットで調べると、どうやらドコモのデフォルト設定でGmail等は「迷惑メール」
になっているようだ。

だから先方の設定を変更してもらわなければならない。
(ちなみにドコモ以外はちゃんと通信できた)
妹がドコモなので、あれやこれや試してもらい、ようやく送受信できるように
なった。こちらの都合なのに、大変なのは相手だから、本当に申し訳ない。

それでも相手が身内なら無理も言えるが、そうでない場合は困る。誰もがこの手の
操作に詳しいとは限らない。むしろ苦手な人が多い。とりあえずドコモをやめる
前に、こちらの新メールアドレスを連絡しておくしかないか。

そんなこんなで目と頭が痛くなったので、曇り空の昨日ウォーキングに出かけた。
土曜日とあって駅前の「錦糸公園」はくつろぐファミリーたちでいっぱい。

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(最近は公園の芝生にテントをはって過ごす人が多い)

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(バラがきれい)

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「台湾フェスティバル」も開催されていた。

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ライチの種飛ばし大会なんてのもあったけど、そのためにこんなに広くスペースを
とったので、フードの屋台は大混雑していた。

でもこの日の目的はご近所ではない。江戸川区平井近くの荒川河川敷まで歩いて
ポピーのお花畑を見ることだ。

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平井は昔数年住んだことがある。錦糸町に住むようになってもう30年以上に
なるから、平井にいたのはその前ということになる。もちろん駅前も商店街も
ちょっとモダンで便利になっていたが、錦糸町や北千住の変わりように比べれば、
昔の雰囲気がまだ残ったいた。

その時住んでいたアパートの近くにお寺だか神社だかがあった。でもその当時は
朝早く家を出て夜遅く帰るという毎日だったので、神社仏閣に行くことはほとんど
なかった。

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神社はすぐに見つかった。住んでいたアパートの徒歩1分もかからない場所に
あったのだ。私の記憶にあるのはこの「諏訪神社」だろうか。それともすぐ隣の
壮大な寺院(これが「平井聖天」?)だろうか?

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寺院は工事中だったので、ちょっと覗いただけでお参りはしなかった。

駅前のコーヒーショップで新聞や本を読みながら1時間ほど過ごし、それから
荒川河川敷の平井運動公園に向かった。

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↑この地図は分かりやすい。右の大河が「荒川」(元荒川放水路。人工の河)で
左のクネクネした川が「隅田川」(昔の荒川本流)だ。荒川にまつわりつくように
蛇行しているのが中川。

地図の下側の隅田川河口近くに清洲橋がある。その橋の近く隅田川東詰(地図に
向かって右手)に芭蕉庵があった。隅田川にかかる千住大橋が、地図の上側に
見える。ここでは川の右手(上側)が北千住で左手(下側)が南千住となる。
芭蕉が向かった東北は地図の上でも東北方面になる。

荒川河川敷のお花畑までは駅から徒歩15分くらい。

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この日は曇り空で空気がもやっていて、スカイツリーはうっすらとした見えな
かった。右の煙突はたぶん墨田清掃工場だろう。

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この辺りは「平井運動公園」になっている。平井大橋の近くにポピーのお花畑が
広がっていた。

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17_2

平井大橋はバスで通ったことは何回かあるが、徒歩で渡ったのは一度だけ。とても
長くて怖かった。平井大橋と並行して総武線も走っている。

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成田エクスプレスが通過して行った。

2016/05/18

橋から散歩~千住大橋

「千住大橋」は隅田川に架けられた最初の橋(1594年架橋)だ。次の両国橋が
架けられるのは、それから67年後になる。

Photo

徳川幕府は防衛上橋を架けなかったようだが、明暦の大火で多くの犠牲者が出た
ことをきっかけ「両国橋」(最初は大橋と呼ばれていた)が造られた。
その次が先日渡った「新大橋」(1693年)となる。

ちなみに江戸時代に隅田川(当時は荒川)に架けられた橋は、上記3つ橋の他
永代橋 (1698年)、吾妻橋 (1774年)の5つ。

Photo_2

Photo_3

千住大橋は、1689年3月27日(今の暦で5月16日)芭蕉が「奥の細道」へと向かった
旅立ちの地でもある。
ところが、芭蕉が旅立って300年以上たった今、その「矢立の地」が千住大橋の
北詰か南詰かでもめているのだ。北なら足立区、南なら荒川区となる。

「千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻の
ちまたに離別の泪をそゝぐ ~」
「奥の細道の原文と現代語訳」

芭蕉ももう少し詳しく書いてくれれば良かったのにねえ。

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(足立区側の記念碑)

以前から熱心だったのは足立区で、2006年に「奥の細道芭蕉サミット」を開催
した。矢立の地は川のほとりだが、千住宿の中心は北千住のほうにある。
スタートはどこであれ、北千住を通って(日光街道)東北に向かったのは確かだ。

Photo_5

どちらの区にも応援団がいて、それぞれ主張や見解を披露しているが、荒川区側
には「金子兜太」というとくに強力なサポーターがいる。

ちなみに私も南側(荒川区)派だ。専門的な知識や根拠は何もないが、深川と
千住の中間に住んでいる私は、なぜ芭蕉がわざわざ船で行ったのかにこだわる。

旅立った時の芭蕉(45歳)よりはるかに年をとっている私でも、頑張ればこの距離を
歩くことができる。芭蕉なら深川~千住を歩くことなど何の苦もないだろう。
歩けば芭蕉が数年寄宿していたといわれる「桃青寺」(スカイツリーの近く)に
立ち寄ることもできるのだ。

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それなのに船に乗ったということは、川の対岸に立ち寄りたいところがあった
からに違いない。つまり「素盞雄神社」だ。

2~3年ほど前に千住大橋を徒歩で渡った。その時は北側の護岸テラスに奥の細道
関連のパネルがいくつも掲げられていた。

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(南千住駅前の芭蕉像)

Photo_8

1か月ほど前に訪れたら、荒川区が「あらかわ奥の細道サミット」を開催した
あとで、南千住駅前に芭蕉の銅像がたち、千住大橋に続く通りにはいくつもの
ノボリがはためいていた。

Photo_9

橋を渡って北側に行く。テラスは工事中だった。

そこから旧日光街道を歩いて北千住駅に向かう。
旧日光街道は今は賑やかな商店街になっている。

Photo_10

商店街を歩いて行くと大通りと交差する。右手すぐのところに「北千住駅」が
あるが「宿場町通り」商店街に入る。この入口付近に千住宿本陣があった。

Photo_22

今は見る影もないけど…(^^;)

まだ北千住駅が再開発される前のことだが、荒川の河川敷近くにある放送大学に
よく行った。その時いつもこの宿場町通りを歩いた。(ちなみに足立区に荒川は
あるが、荒川区に荒川はない)

この通りには千住宿の面影をしのばせる建物がある。そういえば、掘立小屋の
ような小さなお団子屋さんの「槍かけだんご」はどうなっただろう?

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今もお団子屋さんはあったが、ずい分立派な店構えになっていた。

北千住はいくつもの大学誘致に成功し、若者向けのお店がぐんと増えた。
江戸時代の宿場町であり、銭湯が数多く残る街であり、安い飲み屋が軒を並べる
庶民の街でもある。散歩するのは楽しい。

2016/05/08

橋から散歩~清洲橋

前日の雨も上がり暑いくらいに晴れた土曜の午後、ウォーキングに出かけた。
最近ウォーキングコースがマンネリなので、久しぶりに日本橋方面に向かう。
新築なった「水天宮」まで歩こうかな。

人形町にある「水天宮」は隅田川を渡ればすぐだ。せっせと歩けば1時間もかから
ない。でもハード過ぎる運動はかえって免疫力を落とすと何かで読んだので、ぶら
ぶらとレストランや酒場のメニューなどを見ながら歩いた。

菊川から森下へ墨田区と江東区の境界を進むと、先日渡った「新大橋」に出た。

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橋のたもとのトイレの壁に「大はしあたかの夕立」(歌川広重)の浮世絵が描かれ
ていた。最近はトイレの壁を伝言板かキャンバスみたいに利用している。

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新大橋(両国橋を大橋と呼んだ。その大橋の次にできた橋なので「新」となって
いるが、隅田川3番目の橋で歴史がある)を渡るとそこは日本橋浜町で人形町も
近い。先日は新大橋から上流側を歩いたので、今日はお江戸日本橋や人形町が
ある下流側へ行く。

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昔の浜町は下町そのものだったが、再開発され超高層ビルの街になってしまった。
水天宮方向にちょっと歩いたところに「トルナーレ浜町」という複合ビルがそびえ
立ち、その敷地の片隅に「浜町神社」が鎮座していた。
ビルの屋上でなくて良かったね。

ここでしばしコーヒーブレーク。もう少し歩けば人形町だが、お店はどこも混雑
しているだろう。休憩するなら空いていて静かなここしかないと、図書館から
借りた「介護ヘルパーは見た」(藤原るか著)を読みながら足を休ませた。

ところでこの複合ビルは新大橋通りと清洲橋通りが交差するところにある。
新大橋通り行けば水天宮だが、清洲橋通りを行けば「清洲橋」だ。距離はどちらも
同じくらい。徒歩10分もかからない。

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ひと休みしたら、水天宮から「清洲橋」へと気持ちが移ってしまった。
水天宮は地下鉄でいつでも簡単に行くことができるが、清洲橋へはけっこう歩かな
ければならない。せっかく近くまで来たのだから、清洲橋を渡って帰ろう。

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清洲橋は、かちどき橋、永代橋とともに、国の重要文化財に指定されている。
またすみだ川にかかる26の橋のなかでも屈指の美しさで知られている。

清洲橋を渡ると対岸は深川(江東区)になる。

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ここから両国方向に歩くとすぐに小名木川にかかる「萬年橋」に出る。この辺りは
江戸時代の物流の要衝で番所もおかれていた。

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(北斎の深川万年橋下)

萬年橋を渡ってもうしばらく行くと、隅田川沿いに松尾芭蕉の旧居がある。

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今は芭蕉稲荷神社となっている。ここから「奥の細道」の旅に出立した。

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そこから200mほど先には「芭蕉記念館」がある。

Photo

この道をずんずん行けば両国だが、疲れたのでまっすぐ帰宅することにして、
芭蕉記念館から東方向への横道に入った。途中で「深川神明宮」の前を通った
ので、ちょっと境内に入ってみた。人の姿はなく、休日のノンビリした空気が
漂っていた。

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大鳥居の真ん前におしゃれなフレンチのお店があったが、お休みだった。
この神社は清澄通りからちょっと入ったところにあり、森下駅はすぐ近くだ。

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森下駅近くには元祖カレーパンの「カトレア」があり、今日もすごく長~いお客の
行列ができていた。平日私が行ったときは、ちょうど出来上がったばかりのカレー
パンをすぐ買うことができたけどね。
美味しいけど、行列してまで買わなくてもいいな。

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来たときの道「新大橋通り」を戻り、菊川駅近くにある「遠山の金さんと鬼平の
旧居」(小説でなく実際の二人が住んでいたお屋敷跡)の脇の道に入って、足取り
重く我が家にたどり着いた。やれやれ、だいぶ疲れたわ。

2016/04/23

橋から散歩~かちどき橋

先週の土曜日に「かちどき橋」を中心にウォーキングをしてきた。
でも熊本地震発生でそちらのニュースに気持が集中したので、散歩の話を書く
のが遅くなった。

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隅田川にかかる数多い橋のなかでも、「かちどき橋」は世間にその名を知られて
いるという点で、一、二を争うだろう。

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(築地駅で)

この日は東京メトロの一日券を買った。この一日券は24時間有効という便利な
もの。以前はその日限定だったが、最近24時間になった。
土曜の夜に買っても、翌日曜の昼間まるまる利用できるのだから、特に観光客に
利用価値が高いと思う。600円と格安なのも嬉しい。

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錦糸町(半蔵門線)から築地(日比谷線)へ行き、まず駅前の「築地本願寺」で
お焼香した。

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銀座、築地エリアは外国人観光客に人気の観光地。本願寺にもひっきりなしに
外国人がやってくる。
焼香の仕方がイラストで書いてあるので、それを見ながら手を合わせる外国人も
多い。

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本願寺を出て「築地市場」に隣接している「波除稲荷神社」に立ち寄った。

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市場のお稲荷さんらしく「海老塚」「すし塚」「玉子塚」など水産物の慰霊塚が
ある。
築地場内市場はまもなく豊洲に移転するが、築地場外市場は魚介類の販売施設と
して残るようだ。

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そこから晴海通りを5分ほど歩くと「かちどき橋」に着く。
橋のたもとに「かちどき橋資料館」があったので入ってみた。

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ここでは、かちどき橋が開通したばかりの貴重な映像を見ることができたし、
ハンディサイズのパンフもコンパクトに要点がまとめられていて良かった。
「隅田川にかかる26の橋」という写真やイラスト入りパンフは、橋から散歩
するときにはいつも持ち歩くことにしよう。
このパンフを貰えただけでも、資料館に入った価値があったわ。

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かちどき橋の最大の特徴は「可動橋」だということ。かつては橋の中央部分が
開いて大型船が通行できるようになっていた。今はロックされていて開くことは
ない。

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(中央部分。ここが開いた)

いちど開くところを見たかったな。

橋を渡り、対岸の月島まで歩いた。

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(月島橋。この川も運河みたい)

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私の記憶にある月島はこんな(↑)雰囲気なんだけど、今は高層ビルが林立し、
まるで別の町になってしまった。

だいぶ前になるが、月島まで足を運んで名物の「もんじゃ焼き」を食べたことが
ある。でも私はお好み焼きのほうが好きだ。ぐじゃぐじゃした食感があまり好き
じゃないし、そもそも土手がうまく作れないのだ。普段調理をしないことが、こんな
ときに露見するのね。

2016/03/01

表参道と神宮周辺

3月に休みがあるので新潟~富山旅行をしようかと思い、とりあえず観光資料を
集めに表参道の「新潟館ネスパス」に行った。ここに来るのは久しぶりだ。

Photo
(表参道ヒルズ。スロープが上まで続いているので、ウォーキングには良い)

長岡の博物館で縄文時代の学習をし、「石川雲蝶」の彫刻を訪ね、柏崎で神社を
巡り、糸魚川でフォッサマグナ博物館とヌナカワヒメと出会う。
そして富山で姪のお墓参りをして帰る。

ざっとこんな計画を立てている。首尾よくいきますかどうか。

ウォーキングのお供のディパックは、新聞と文庫本とお茶が入っていてけっこう
重い。それに観光パンフと無計画に買ってしまったパック惣菜が加わったものだ
から、ウォーキング意欲がそがれそうだ。でも登山する人はもっと重いリュックを
担いでいるんだと自分に言い聞かせ、頑張って神宮外苑辺りを歩くことにした。

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まず目指したのは千駄ヶ谷にある「鳩森八幡神社」だ。ここは富士塚で知られて
いる。前からいちど来たいと思いつつ、なかなか実現できなかった。

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東京メトロ副都心線の北参道駅から10分くらい歩いて神社に到着。
この近くには東京体育館、話題の国立競技場、神宮球場などがある。近いとは
いっても、それぞれの建造物が巨大だから歩きではある。

神宮外苑は都内きってのスマートなエリアだが、鳩森八幡神社の近所は庶民的な
雰囲気が残っている。神社があるからでしょうね。

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富士塚のゴツゴツした岩の階段を登る。背中のディパックが重いので、登るのは
楽でない。こんなところでひっくり返ったら大変と、岩につかまって一歩一歩
上に行く。けっこう、きつかった。

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富士塚登山で疲れてしまったが、国立競技場を経由し銀座線神宮外苑駅まで歩く
ことにした。

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旧国立競技場を壊したら富士山が見えるようになったと聞いたけど、あいにく
富士山の姿は確認できなかった。暖かいと大気がもやって見通しが悪くなる。

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国立競技場跡地の隣に廃墟のようになっているのが「都営霞ヶ丘アパート」だ。
前の東京オリンピックのときに、立ち退きを迫られて、このアパートに転居した
人が多かったと聞いた。

住環境としては最高だけれど、時とともにアパートは老朽化し住民も年をとり、
近年は限界マンションになっていたらしい。近隣には高級マンションが建ち並んで
いるが、そこだけポッカリと異次元の空間があるような印象だ。

東京オリンピックでこのアパートに入居し、また東京オリンピックでアパートを
出て行くことになるなんて、住民だったら「オリンピックに翻弄された人生だ」と
思うでしょうね。

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隣接する明治公園の案内図は、アパート部分を黒く塗りつぶしてあった。

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1本だけ桜が咲いていた。向うにあるのは「神宮第二球場」。

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公園内の石碑もポツンと取り残されたよう。

2016/02/14

橋から散歩~蔵前橋&厩橋(2)

蔵前の路地裏をぶらつきながら、次の「厩橋」(うまやばし)に向かった。

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御米蔵の米を運ぶ馬がこの地域で飼われていたことから、この名が付けられた。
明治時代に地元住民の手によって架けられた木造の橋が始まりのようだ。

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橋の名にちなんで、馬の浮彫やステンドグラスが橋の各所を飾っている。

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台東区側から橋を渡るとそこは墨田区本所だ。
本所ときくと、時代小説ファンだったら、懐かしい気分になるんじゃないかしら。

小説や時代劇に出てくる本所はもっと広い範囲だが、現在地名として残っている
のはこのエリアだけだ。でも施設の名称としては、「本所税務署」「本所消防署」
「本所警察署」などと冠されて親しまれている。

そうそうこの日散歩から帰宅したら、本所税務署から「還付金振込のお知らせ」が
届いていた。まだ確定申告期間は始まっていないけど、こんなクズみたいな申告は
サッサと片づけてしまおうと考えたのかなv(^o^)vヤッタネ
何はともあれ、臨時収入は嬉しい。

話が横道にそれたが、もう一つ上流の駒形橋近くに「株式会社マーナ」という
会社がある。

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先日オンラインショッピングで便利グッズを買ったら、それが墨田区にある企業の
ものだった。ベンチャー企業かと思って調べてみたら、なんと明治5年に新潟県
長岡市で創業した歴史のある会社だったのだ。
何だかうれしい。これからも庶民が喜ぶ商品を開発してね。

Photo

墨田区にあるが「ASAKUSA」という名のゲストハウス。

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スカイツリーはすぐ目に入るけど、「刃物とぎます」という看板の刃物屋さんに
目をとめる人は少ないだろう。

ここから裏通りに入り歩いて両国に戻ることにした。

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「日本折紙協会」という看板が目に留まった。あれ、こんな建物知らなかった
なあ。内部は色とりどりの折り紙でいっぱいだ。

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折り紙はリハビリにも使われるから、ボケ防止になるだろう。
でも作品が増え過ぎると処分に困るかも。

両国のコーヒーショップまで歩いたが、さすがにヘトヘトになってしまった。

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帰りに北斎通りの「パンと洋風お惣菜のお店」でオリーブやパテなどを買った。
疲れたけど、たっぷり歩きだめしたわ。

2016/02/13

橋から散歩~蔵前橋&厩橋(1)

今日はポカポカ陽気で風もなく気持の良いお天気だったので、こんな日を無駄に
してはならないと、久しぶりに「橋から散歩」をしてきた。
まずは徒歩圏内で残っていた「蔵前橋」を目指す。

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1

東京都慰霊堂がある両国の「横網町公園」の中を通る。梅の花が咲いていた。
(ちなみに、「よこづなちょうこうえん」でなく「よこあみちょうこうえん」
です)

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公園内の復興記念館のかたわらに、震災や戦災で焼けた機械類が並んでいる。

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そこから「蔵前橋」はすぐだ。

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お天気の良さにつられてか、カメラを構えたり橋を眺めたりしている人が多い。

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オジサン二人がしゃがみ込んで熱心に橋のたもとのレリーフを見ている。何か
その恰好が可愛くて、背後からパチリと写してしまった。(右隅)

散策のシニア族は多い。あちこちに立てられた説明板や案内プレートを、皆さん
熱心に読んでいる。これだけ熟読してもらえば、お役所も立てた甲斐があると
いうものだ。

「蔵前橋」を渡ると台東区蔵前になる。江戸時代この場所に幕府の米蔵が数多く
建てられていたことから、この地名と橋の名になった。

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橋から蔵前橋通りを10分ほど歩くと「鳥越神社」がある。境内は静かだった。

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そういえば「東京五輪のエンブレム」はどうなったんだっけ?

鳥越神社からまた蔵前橋方向に戻り、隅田川近くの「御蔵前通り」を歩く。
好天気に促され、もうひとつ浅草よりの「厩橋」を渡って帰ることにしたのだ。
暖かいけれど花粉はまだ飛んでいない、こんなひとときは大事にしないとね。

御蔵前通りを歩くのは初めてかもしれない。以前に歩いたとしても、ただ歩いた
だけだから、印象は何も残っていない。たぶん昔は何の変哲もない路地裏だった
のだろう。

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(小さなイタリアンレストラン)

ところが最近は観光客が増加し、ゲストハウスができたりして、こんな裏通りの
道筋にもおしゃれな店が進出していた。

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裏道の一角に近代的なビルの「台東区立特別養護老人ホーム」があった。
最高の立地だけれど、入居者は寝たきりに近い人ばかりだから、この環境を十分に
楽しむことはできないかもしれない。

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近くで「和食のレストラン」とバックパッカー向けの「ホステル×バー」を見つ
けた。和食は今度食べてみよう。場所を覚えておかなくちゃ。

こういう発見があるから、やっぱり路地裏も歩くべきだな。

2015/12/20

橋から散歩~水神大橋と白鬚橋

土曜日は午前中に区役所に行く用事があったので、ついでに、以前もらったコミュ
バスの1日券を使って橋から散歩した。

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コミュバスのバス停「榎本武揚像」で降り、隅田川に向かって歩くと、墨田区と
荒川区南千住を結ぶ水神大橋がある。
この橋の名称は近くにある「隅田川神社」(水神宮)にちなんでいる。

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(歌川広重 名所江戸百景 隅田川水神の森真崎)

「水神大橋」は物流だけでなく、防災という大きな役割を担っている。
現在も大地震に備えての工事中だった。この日は強い北風が吹いていて怖かった
ので、橋を渡るのは諦めた。穏やかな天気だったら、南千住の「千住大橋」まで
歩く手もあったんだけど。

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(橋のたもとの東京都リハビリテーション病院)

明暦の大火、関東大震災、東京大空襲と、隅田川はいくつもの惨事を経験して
きた。そのような災害に備え、防災拠点として、水神大橋の両岸に東白鬚公園
(墨田区)汐入公園(荒川区と台東区)が造られた。

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水神大橋から見た「東京都防災拠点第一号」の「東白鬚公園」と、公園に添う
ように延びる「都営白鬚東団地」。以前私もブログに書いたことがあるが、
単に巨大というのではなく、いざという時には団地全体が防火壁になるよう造ら
れた団地群なのだ。(リンクしたブログに分かりやすく説明されています)

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東白鬚公園の奥にひっそりと建つ隅田川神社。かつてこの辺りは、鬱蒼とした
水神の森だった。説明板には「ここから入江が始まり、海となっていたことから
江の口つまり江戸の語源になった」と書かれている。

Photo_13

隅田川神社は、今も水神様として大事にされているのだろうが、大通りに面して
立つ一の鳥居と防災団地の継ぎ目にある参道はささやかで、ちょっと神様に申し
訳ない気がした。

Photo_8

この鳥居近くにあるレストランでちょっと遅めのランチを食べた。
前に来たときは営業時間が終わっていたので、今日は時間をチェックしてきた。
ランチは800円くらいから。美味しいしメニューも豊富で満足した。フランス下町の
ビストロ風の雰囲気も良かったので、また行きたいな。

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そこから歩いて「白鬚橋」に向かった。この橋の近くには、ステーキで有名な
レストラン「カタヤマ」があるが、お店近くに待合室があるほどいつも混雑して
いるので、私なら「リヨン」のほうを選ぶわ。

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白鬚橋は、近くの白鬚神社(隅田川七福神の寿老神)からその名をとっている。
白い曲線が美しい。風が少し弱まったので、橋を往復することができて良かった。

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墨田区側からこの橋を渡ると、右が荒川区で左が台東区になる。右手にある大きな
ガスタンクの隣には「石浜神社」がある。

Ishihama

隅田川神社も石浜神社も、巨大な近代的建造物のかたわらで、よく残されたと
いうべきか。

2015/12/06

橋から散歩~上野公園から言問橋へ

昨日の土曜日は、これ以上ないほどの好天だった。あさイチで洗濯をして、数独
なんぞをやっていたら、お昼になってしまった。いかん、いかん、こんな日には
出かけなくてはと、残りもののお昼ご飯を食べてから、上野公園に向かった。

Fujita

目的は「東京芸大美術館」で開催中の「藤田嗣治の資料展」だ。

東京芸大が進めていた「大原美術館」所蔵「舞踏会の前」の修復が完了したので、
作品の完成披露とともに、藤田が東京美術学校時代に描いた「父の像」や手帳など
個人的な資料の展覧会を開催したのだ。(入場無料)会期は12/1~12/6までと短い。

小さい字でビッシリと書かれた手帳には、藤田の思いが詰まっているようだった。
絵の上手い人は字も上手いんだな~。

Photo

あまり行く機会のない「東京芸大美術館」なので、ちょっとだけ中庭を散歩した。
武蔵野の面影が残る林や広い学生食堂などがあった。学生食堂は閉まっていたが、
美術館の2階にはカフェもあって、ここでも軽食をとることができる。でも学生
食堂の方がメニューも豊富でお値段も安いだろう。
一般の人も利用できるというから、そのうちに一度お昼を食べてみようかな。

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上野公園は紅葉真っ盛りで、枯葉を踏みながら散歩するのは楽しい。

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(滅多に行かない上野寛永寺)

どうせ歩くのなら「橋から散歩」にしようと、ふと思い立ち、隅田川方向に歩き
始めた。途中で疲れたらバスか地下鉄に乗ればよい。

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すごい線路網だなあ。日暮里駅の下御隠殿橋が「屋外のトレインミュージアム」
として有名だけど、この陸橋も見応えありそうだ。でも今日は電車見学をして
いるヒマはない。

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広い道ではないが歩道があるので歩きやすい。人も車も少ないので、ウォーキング
には向いている。それにしても「親疎通り」なんて珍しい名前の道だわ。
(こちらの「 サイト」に名前の由来が書いてありました)

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どんどん行くとかっぱ橋道具街の北側に出た。そこから浅草を通って言問橋を
目指す。

Kototoi

「言問橋」は悲惨な歴史を持つ橋だ。でもそのことを知ったのは、つい最近の
こと。それまでは東京スカイツリー撮影の絶好スポットという認識しかなかった。

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東京大空襲のとき、猛火に追われた人々が、逃げ場を求めて言問橋に殺到した。
橋の両側からやってくる人々で橋の上は身動きできない状態となり、その上を
猛火が襲いかかり、多くの犠牲者を出した。

関東大震災のときも、身動きできない群衆の上を火災旋風が襲った。やはり隅田川
近くの被服廠跡地(現在は両国にある東京都慰霊堂)だった。火に追われると、
誰もが咄嗟に水のある所に逃げるのだろうか。

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その当時の親柱が残っていて、被災者の血液や脂が焼き付いているという。
何だか急に橋を渡るのが怖くなった。

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橋を渡ると墨田区になる。右手には「牛嶋神社」がある。

Dsc_0305
(見番通り)

この辺りは桜の名所で、向島という粋な花街でもある。由緒あるお寺や神社も
多い。でも戦災の犠牲者のことで気持も沈み気味だったので、まっすぐスカイ
ツリーまで行った。

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スカイツリーに着いたのが3時半だった。1時半ごろ家を出て、上野公園で時間を
費やしたにしては、そんなに時間がかかっていない。やっぱりお天気が後押しして
くれたのかな。

2015/11/28

橋から散歩~駒形橋と吾妻橋

ネット検索していて、「雑学ネット~隅田川に架かる橋」を見つけた。

隅田川の橋は大火、震災、戦災などの暗い歴史と結びついている。そんななかで、
先日渡った「新大橋」が関東大震災で唯一被害を免れ、また東京大空襲の時も
言問橋と新大橋が焼け残り、多くの人々の命を救った。
そんなことが書かれてあった。勉強になるね。

先日は午前中で勤務が終わったので、お昼ご飯を食べてから「橋から散歩」を
することにした。朝方まで降っていた雨が上がり、曇り空だけれどウォーキング
にはちょうど良い空模様だったこともある。それで腹ごなしを兼ね、ちょっと
遠いけど浅草を目指すことにした。

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まず向かったのは「駒形橋」。橋の名はこの場所にある「駒形堂」にちなんで
いる。関東大震災の復興事業として架けられた。

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これまでにも何度か渡ったことはあるが、橋そのものを注目したことはなかった。

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でもこうしてみると、なかなか美しく堂々とした橋ではないの。

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橋を渡って墨田区から台東区に行くと、橋のたもとに「駒形堂」が建っている。

西暦628年に地元漁師兄弟によって隅田川から観音像が釣り上げられ、浅草寺の
御本尊「聖観音菩薩」として信仰されることになった。
その釣り上げられた地に建てられたのが「駒形堂」で、江戸時代にはここから
お参りするのが慣わしだった。

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(何度も火災にあっている。現在のお堂は平成15年(2003)に建立されたもの)

ところで、釣り上げられた観音様はどこから流れてきたのかと考える人もいて、
こちら「 サイト」が「埼玉県飯能市の岩井堂観音」説を書いている。面白いね。

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駒形橋から歩いて5分ほどで「吾妻橋」に着く。

隅田川に架かる橋のなかでは最も有名で、浅草観光には外せない橋だ。
江戸時代に架けられたなかでは最後の橋で(江戸時代に架けられたのは全部で
5橋)、初めは「大川橋」と呼ばれていたが、明治9年の架け替えの際に正式に
「吾妻橋」となった。

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ここまで来たら浅草寺でお参りしていこう。それにしても、平日だというのに
観光客が多い。

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(すみだ区役所近くでスカイツリーを背景にクリスマスツリーを設置中)

吾妻橋を渡ると「墨田区吾妻橋」になる。
最寄り駅は都営地下鉄「本所吾妻橋」、15分ほど歩いて東京スカイツリーに
到着。

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曇っていたこともあるが、暗くなるのが早い。それに寒い。もうここで体力が
尽き、コミュニティバスで錦糸町に戻ったが、この日のウォーキングで風邪を
ひいてしまった。

昨日夕食と晩酌をやめて葛根湯を飲んで寝たら、今日は体調も良くなった。
ウォーキングもほどほどにしないと‥‥。

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