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2016/05/18

橋から散歩~千住大橋

「千住大橋」は隅田川に架けられた最初の橋(1594年架橋)だ。次の両国橋が
架けられるのは、それから67年後になる。

Photo

徳川幕府は防衛上橋を架けなかったようだが、明暦の大火で多くの犠牲者が出た
ことをきっかけ「両国橋」(最初は大橋と呼ばれていた)が造られた。
その次が先日渡った「新大橋」(1693年)となる。

ちなみに江戸時代に隅田川(当時は荒川)に架けられた橋は、上記3つ橋の他
永代橋 (1698年)、吾妻橋 (1774年)の5つ。

Photo_2

Photo_3

千住大橋は、1689年3月27日(今の暦で5月16日)芭蕉が「奥の細道」へと向かった
旅立ちの地でもある。
ところが、芭蕉が旅立って300年以上たった今、その「矢立の地」が千住大橋の
北詰か南詰かでもめているのだ。北なら足立区、南なら荒川区となる。

「千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻の
ちまたに離別の泪をそゝぐ ~」
「奥の細道の原文と現代語訳」

芭蕉ももう少し詳しく書いてくれれば良かったのにねえ。

Photo_20
(足立区側の記念碑)

以前から熱心だったのは足立区で、2006年に「奥の細道芭蕉サミット」を開催
した。矢立の地は川のほとりだが、千住宿の中心は北千住のほうにある。
スタートはどこであれ、北千住を通って(日光街道)東北に向かったのは確かだ。

Photo_5

どちらの区にも応援団がいて、それぞれ主張や見解を披露しているが、荒川区側
には「金子兜太」というとくに強力なサポーターがいる。

ちなみに私も南側(荒川区)派だ。専門的な知識や根拠は何もないが、深川と
千住の中間に住んでいる私は、なぜ芭蕉がわざわざ船で行ったのかにこだわる。

旅立った時の芭蕉(45歳)よりはるかに年をとっている私でも、頑張ればこの距離を
歩くことができる。芭蕉なら深川~千住を歩くことなど何の苦もないだろう。
歩けば芭蕉が数年寄宿していたといわれる「桃青寺」(スカイツリーの近く)に
立ち寄ることもできるのだ。

Photo_6

それなのに船に乗ったということは、川の対岸に立ち寄りたいところがあった
からに違いない。つまり「素盞雄神社」だ。

2~3年ほど前に千住大橋を徒歩で渡った。その時は北側の護岸テラスに奥の細道
関連のパネルがいくつも掲げられていた。

Photo_21
(南千住駅前の芭蕉像)

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1か月ほど前に訪れたら、荒川区が「あらかわ奥の細道サミット」を開催した
あとで、南千住駅前に芭蕉の銅像がたち、千住大橋に続く通りにはいくつもの
ノボリがはためいていた。

Photo_9

橋を渡って北側に行く。テラスは工事中だった。

そこから旧日光街道を歩いて北千住駅に向かう。
旧日光街道は今は賑やかな商店街になっている。

Photo_10

商店街を歩いて行くと大通りと交差する。右手すぐのところに「北千住駅」が
あるが「宿場町通り」商店街に入る。この入口付近に千住宿本陣があった。

Photo_22

今は見る影もないけど…(^^;)

まだ北千住駅が再開発される前のことだが、荒川の河川敷近くにある放送大学に
よく行った。その時いつもこの宿場町通りを歩いた。(ちなみに足立区に荒川は
あるが、荒川区に荒川はない)

この通りには千住宿の面影をしのばせる建物がある。そういえば、掘立小屋の
ような小さなお団子屋さんの「槍かけだんご」はどうなっただろう?

4

今もお団子屋さんはあったが、ずい分立派な店構えになっていた。

北千住はいくつもの大学誘致に成功し、若者向けのお店がぐんと増えた。
江戸時代の宿場町であり、銭湯が数多く残る街であり、安い飲み屋が軒を並べる
庶民の街でもある。散歩するのは楽しい。

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東京散歩」カテゴリの記事

コメント

今、俳句をする人は多いから芭蕉ゆかりの地は人気ですね。
橋の両側で芭蕉を巡るご当地バトルがあったとは・・・。

観光客を増やすための地元の観光スポット発掘はそれぞれの自治体で苦労していることでしょう。でも思わぬところが目玉になっていたりして。
外国人に人気の日本人が知らないスポットというようなことがテレビなどで取り上げられていますが地元の人たちもあらためて身近なところを見まわしてみると意外な発見があるかもしれませんね。

先日和歌山の友人と真田丸ゆかりの地の観光スポットを和歌山で巡ったのですが近くでもこんなところ知らなかった、というところがあって面白かったです。ちなみに私も友人も真田丸には全く興味なくスタンプラリーに参加してました。冬に行った山陰のスタンプラリーを出したら二人とも商品が当たったので(のどくろ干物セットとチーズセット)スタンプラリー熱が高まったのでした(*^^)v

HANAさん、「奥の細道をたどる旅」はリタイア後のシニアに人気があるようですね。芭蕉が奥の細道を書いたからこそ、日本各地に文化や自然遺産が残されたと何かで読みました。奥の細道は旅プランのヒントになりますね。

千住バトルは、荒川区と足立区の区民以外にはどうでもいいことでしょうが、話題になることで関心や人気が高まるのでメリットはありますね。
HANAさんは千住辺りの下町には足を運ぶ機会がないんじゃないですか?そのうちに時間をみつけて、散歩してください。すさのお神社のなかに「千住マップ」がありましたが、それには南も北も載っていました。

スタンプラリーも旅やウォーキングのインセンティブになりますね。
(のどくろ干物セットとチーズセット)なんて、一杯やるのに最高じゃないですか!私なんぞいつも粗品ばかりですよ。うらやましい。

つい先日、
「松尾芭蕉の"奥の細道"に隠された深い意図」というとあるブログ記事読んでなるほど~と思ってた矢先。
TMさんのこの記事、シンクロでした。
家ではタブレットで閲覧してるのでリンク貼りづらくご紹介遅れました。

今PCから投稿しようとしましたが、やっぱりダメでした。
興味深いこと書かれてましたので、タイトルで検索してみてください。

ulalaさん、芭蕉は伊賀上野の出身だから隠密だったのではないか、奥の細道は偵察の旅だったんではないか、という説がありますね。
隠密だったのなら尚更真実はわからないでしょうが、いろいろ想像したり憶測したりと、楽しませてくれます。

私がエラソーに言える立場じゃないですが(^^;)、芭蕉の句はやっぱりスゴイ。ド素人の私にも、芭蕉の句から情景や空気感が伝わりますからね。
好きな句がいくるもあるので、芭蕉が詠んだ場所をピックアップして訪ねるのもいいかもしれません。

芭蕉は「荒海や~」の句を詠んだ後、柏崎に行って宿をことわられ、腹を立ててしまったようです。そのせいで柏崎には何の句も残っていません。
意外と短気なところがあったのかもcoldsweats01

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