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2016/05/08

橋から散歩~清洲橋

前日の雨も上がり暑いくらいに晴れた土曜の午後、ウォーキングに出かけた。
最近ウォーキングコースがマンネリなので、久しぶりに日本橋方面に向かう。
新築なった「水天宮」まで歩こうかな。

人形町にある「水天宮」は隅田川を渡ればすぐだ。せっせと歩けば1時間もかから
ない。でもハード過ぎる運動はかえって免疫力を落とすと何かで読んだので、ぶら
ぶらとレストランや酒場のメニューなどを見ながら歩いた。

菊川から森下へ墨田区と江東区の境界を進むと、先日渡った「新大橋」に出た。

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橋のたもとのトイレの壁に「大はしあたかの夕立」(歌川広重)の浮世絵が描かれ
ていた。最近はトイレの壁を伝言板かキャンバスみたいに利用している。

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新大橋(両国橋を大橋と呼んだ。その大橋の次にできた橋なので「新」となって
いるが、隅田川3番目の橋で歴史がある)を渡るとそこは日本橋浜町で人形町も
近い。先日は新大橋から上流側を歩いたので、今日はお江戸日本橋や人形町が
ある下流側へ行く。

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昔の浜町は下町そのものだったが、再開発され超高層ビルの街になってしまった。
水天宮方向にちょっと歩いたところに「トルナーレ浜町」という複合ビルがそびえ
立ち、その敷地の片隅に「浜町神社」が鎮座していた。
ビルの屋上でなくて良かったね。

ここでしばしコーヒーブレーク。もう少し歩けば人形町だが、お店はどこも混雑
しているだろう。休憩するなら空いていて静かなここしかないと、図書館から
借りた「介護ヘルパーは見た」(藤原るか著)を読みながら足を休ませた。

ところでこの複合ビルは新大橋通りと清洲橋通りが交差するところにある。
新大橋通り行けば水天宮だが、清洲橋通りを行けば「清洲橋」だ。距離はどちらも
同じくらい。徒歩10分もかからない。

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ひと休みしたら、水天宮から「清洲橋」へと気持ちが移ってしまった。
水天宮は地下鉄でいつでも簡単に行くことができるが、清洲橋へはけっこう歩かな
ければならない。せっかく近くまで来たのだから、清洲橋を渡って帰ろう。

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清洲橋は、かちどき橋、永代橋とともに、国の重要文化財に指定されている。
またすみだ川にかかる26の橋のなかでも屈指の美しさで知られている。

清洲橋を渡ると対岸は深川(江東区)になる。

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ここから両国方向に歩くとすぐに小名木川にかかる「萬年橋」に出る。この辺りは
江戸時代の物流の要衝で番所もおかれていた。

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(北斎の深川万年橋下)

萬年橋を渡ってもうしばらく行くと、隅田川沿いに松尾芭蕉の旧居がある。

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今は芭蕉稲荷神社となっている。ここから「奥の細道」の旅に出立した。

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そこから200mほど先には「芭蕉記念館」がある。

Photo

この道をずんずん行けば両国だが、疲れたのでまっすぐ帰宅することにして、
芭蕉記念館から東方向への横道に入った。途中で「深川神明宮」の前を通った
ので、ちょっと境内に入ってみた。人の姿はなく、休日のノンビリした空気が
漂っていた。

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大鳥居の真ん前におしゃれなフレンチのお店があったが、お休みだった。
この神社は清澄通りからちょっと入ったところにあり、森下駅はすぐ近くだ。

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森下駅近くには元祖カレーパンの「カトレア」があり、今日もすごく長~いお客の
行列ができていた。平日私が行ったときは、ちょうど出来上がったばかりのカレー
パンをすぐ買うことができたけどね。
美味しいけど、行列してまで買わなくてもいいな。

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来たときの道「新大橋通り」を戻り、菊川駅近くにある「遠山の金さんと鬼平の
旧居」(小説でなく実際の二人が住んでいたお屋敷跡)の脇の道に入って、足取り
重く我が家にたどり着いた。やれやれ、だいぶ疲れたわ。

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コメント

芭蕉記念館近辺の地図、ほとんど初めて知る地名でした。
この辺りって江戸時代は武家屋敷ではなく町民が多く暮らしてたとこなんでしょうか。
近畿圏なら地名聞けばあの辺で高級住宅街だの下町だの少しはわかるんですけどね。

高槻の今城塚歴史館が10周年で継体大王と筑紫君磐井展が5/8限りでした。
昨日は水運王継体と筑紫君磐井の無料公演もありましたので、出向いたらすでに150名満席で入れなかった。
なんと朝10時前に並ばれてたそうで、認識甘かった。
鉄道や自動車が発展するまでは水運が鍵を握っていたのですね。

芭蕉庵のあったエリアは深川で、江戸の時代小説や時代劇にひんぱんに登場します。江戸時代の庶民は日本橋、深川、本所、両国、浅草などを行き来していたんでしょうね。

江戸の中心部は武家屋敷で満杯だったので、隅田川の東岸を開拓する必要に迫られたようです。本所には赤穂浪士が討ち入った吉良家がありました。武家地創出が目的で本所が開拓されたようですが、庶民は江戸城の近くなどに住めないので、隅田川の東岸(川向うと言われていた)の本所深川エリアに住んだのでしょう。

このエリアは運河がたくさんあります。記事にある小名木川は家康が最初に造った運河です。家康は狸おやじだけれど、都市建設の手腕はたいしたもんだと思います。

ところで「継体大王と筑紫君磐井展」は興味深い展覧会ですね。
名古屋に行ったとき、継体大王のお妃目子媛ゆかりの古墳を見てきました。謎の多い大王ですが、それだけにいろいろ想像が膨らみます。
水運を握っていたとは初めて聞きました。公演はどんな内容だったのでしょう。残念でしたね。

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