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2016年5月

2016/05/29

荒川河川敷のポピー

来月でスマホ期限が切れるので、この機会に「格安スマホ」に変えようと検討中。
とりあえずGmailでのメールに慣れようと、先日からいろいろやっている。

困るのはドコモメールから受信はできても送信ができないこと。
ネットで調べると、どうやらドコモのデフォルト設定でGmail等は「迷惑メール」
になっているようだ。

だから先方の設定を変更してもらわなければならない。
(ちなみにドコモ以外はちゃんと通信できた)
妹がドコモなので、あれやこれや試してもらい、ようやく送受信できるように
なった。こちらの都合なのに、大変なのは相手だから、本当に申し訳ない。

それでも相手が身内なら無理も言えるが、そうでない場合は困る。誰もがこの手の
操作に詳しいとは限らない。むしろ苦手な人が多い。とりあえずドコモをやめる
前に、こちらの新メールアドレスを連絡しておくしかないか。

そんなこんなで目と頭が痛くなったので、曇り空の昨日ウォーキングに出かけた。
土曜日とあって駅前の「錦糸公園」はくつろぐファミリーたちでいっぱい。

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(最近は公園の芝生にテントをはって過ごす人が多い)

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(バラがきれい)

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「台湾フェスティバル」も開催されていた。

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ライチの種飛ばし大会なんてのもあったけど、そのためにこんなに広くスペースを
とったので、フードの屋台は大混雑していた。

でもこの日の目的はご近所ではない。江戸川区平井近くの荒川河川敷まで歩いて
ポピーのお花畑を見ることだ。

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平井は昔数年住んだことがある。錦糸町に住むようになってもう30年以上に
なるから、平井にいたのはその前ということになる。もちろん駅前も商店街も
ちょっとモダンで便利になっていたが、錦糸町や北千住の変わりように比べれば、
昔の雰囲気がまだ残ったいた。

その時住んでいたアパートの近くにお寺だか神社だかがあった。でもその当時は
朝早く家を出て夜遅く帰るという毎日だったので、神社仏閣に行くことはほとんど
なかった。

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神社はすぐに見つかった。住んでいたアパートの徒歩1分もかからない場所に
あったのだ。私の記憶にあるのはこの「諏訪神社」だろうか。それともすぐ隣の
壮大な寺院(これが「平井聖天」?)だろうか?

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寺院は工事中だったので、ちょっと覗いただけでお参りはしなかった。

駅前のコーヒーショップで新聞や本を読みながら1時間ほど過ごし、それから
荒川河川敷の平井運動公園に向かった。

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↑この地図は分かりやすい。右の大河が「荒川」(元荒川放水路。人工の河)で
左のクネクネした川が「隅田川」(昔の荒川本流)だ。荒川にまつわりつくように
蛇行しているのが中川。

地図の下側の隅田川河口近くに清洲橋がある。その橋の近く隅田川東詰(地図に
向かって右手)に芭蕉庵があった。隅田川にかかる千住大橋が、地図の上側に
見える。ここでは川の右手(上側)が北千住で左手(下側)が南千住となる。
芭蕉が向かった東北は地図の上でも東北方面になる。

荒川河川敷のお花畑までは駅から徒歩15分くらい。

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この日は曇り空で空気がもやっていて、スカイツリーはうっすらとした見えな
かった。右の煙突はたぶん墨田清掃工場だろう。

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この辺りは「平井運動公園」になっている。平井大橋の近くにポピーのお花畑が
広がっていた。

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平井大橋はバスで通ったことは何回かあるが、徒歩で渡ったのは一度だけ。とても
長くて怖かった。平井大橋と並行して総武線も走っている。

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成田エクスプレスが通過して行った。

2016/05/18

橋から散歩~千住大橋

「千住大橋」は隅田川に架けられた最初の橋(1594年架橋)だ。次の両国橋が
架けられるのは、それから67年後になる。

Photo

徳川幕府は防衛上橋を架けなかったようだが、明暦の大火で多くの犠牲者が出た
ことをきっかけ「両国橋」(最初は大橋と呼ばれていた)が造られた。
その次が先日渡った「新大橋」(1693年)となる。

ちなみに江戸時代に隅田川(当時は荒川)に架けられた橋は、上記3つ橋の他
永代橋 (1698年)、吾妻橋 (1774年)の5つ。

Photo_2

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千住大橋は、1689年3月27日(今の暦で5月16日)芭蕉が「奥の細道」へと向かった
旅立ちの地でもある。
ところが、芭蕉が旅立って300年以上たった今、その「矢立の地」が千住大橋の
北詰か南詰かでもめているのだ。北なら足立区、南なら荒川区となる。

「千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻の
ちまたに離別の泪をそゝぐ ~」
「奥の細道の原文と現代語訳」

芭蕉ももう少し詳しく書いてくれれば良かったのにねえ。

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(足立区側の記念碑)

以前から熱心だったのは足立区で、2006年に「奥の細道芭蕉サミット」を開催
した。矢立の地は川のほとりだが、千住宿の中心は北千住のほうにある。
スタートはどこであれ、北千住を通って(日光街道)東北に向かったのは確かだ。

Photo_5

どちらの区にも応援団がいて、それぞれ主張や見解を披露しているが、荒川区側
には「金子兜太」というとくに強力なサポーターがいる。

ちなみに私も南側(荒川区)派だ。専門的な知識や根拠は何もないが、深川と
千住の中間に住んでいる私は、なぜ芭蕉がわざわざ船で行ったのかにこだわる。

旅立った時の芭蕉(45歳)よりはるかに年をとっている私でも、頑張ればこの距離を
歩くことができる。芭蕉なら深川~千住を歩くことなど何の苦もないだろう。
歩けば芭蕉が数年寄宿していたといわれる「桃青寺」(スカイツリーの近く)に
立ち寄ることもできるのだ。

Photo_6

それなのに船に乗ったということは、川の対岸に立ち寄りたいところがあった
からに違いない。つまり「素盞雄神社」だ。

2~3年ほど前に千住大橋を徒歩で渡った。その時は北側の護岸テラスに奥の細道
関連のパネルがいくつも掲げられていた。

Photo_21
(南千住駅前の芭蕉像)

Photo_8

1か月ほど前に訪れたら、荒川区が「あらかわ奥の細道サミット」を開催した
あとで、南千住駅前に芭蕉の銅像がたち、千住大橋に続く通りにはいくつもの
ノボリがはためいていた。

Photo_9

橋を渡って北側に行く。テラスは工事中だった。

そこから旧日光街道を歩いて北千住駅に向かう。
旧日光街道は今は賑やかな商店街になっている。

Photo_10

商店街を歩いて行くと大通りと交差する。右手すぐのところに「北千住駅」が
あるが「宿場町通り」商店街に入る。この入口付近に千住宿本陣があった。

Photo_22

今は見る影もないけど…(^^;)

まだ北千住駅が再開発される前のことだが、荒川の河川敷近くにある放送大学に
よく行った。その時いつもこの宿場町通りを歩いた。(ちなみに足立区に荒川は
あるが、荒川区に荒川はない)

この通りには千住宿の面影をしのばせる建物がある。そういえば、掘立小屋の
ような小さなお団子屋さんの「槍かけだんご」はどうなっただろう?

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今もお団子屋さんはあったが、ずい分立派な店構えになっていた。

北千住はいくつもの大学誘致に成功し、若者向けのお店がぐんと増えた。
江戸時代の宿場町であり、銭湯が数多く残る街であり、安い飲み屋が軒を並べる
庶民の街でもある。散歩するのは楽しい。

2016/05/08

橋から散歩~清洲橋

前日の雨も上がり暑いくらいに晴れた土曜の午後、ウォーキングに出かけた。
最近ウォーキングコースがマンネリなので、久しぶりに日本橋方面に向かう。
新築なった「水天宮」まで歩こうかな。

人形町にある「水天宮」は隅田川を渡ればすぐだ。せっせと歩けば1時間もかから
ない。でもハード過ぎる運動はかえって免疫力を落とすと何かで読んだので、ぶら
ぶらとレストランや酒場のメニューなどを見ながら歩いた。

菊川から森下へ墨田区と江東区の境界を進むと、先日渡った「新大橋」に出た。

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橋のたもとのトイレの壁に「大はしあたかの夕立」(歌川広重)の浮世絵が描かれ
ていた。最近はトイレの壁を伝言板かキャンバスみたいに利用している。

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新大橋(両国橋を大橋と呼んだ。その大橋の次にできた橋なので「新」となって
いるが、隅田川3番目の橋で歴史がある)を渡るとそこは日本橋浜町で人形町も
近い。先日は新大橋から上流側を歩いたので、今日はお江戸日本橋や人形町が
ある下流側へ行く。

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昔の浜町は下町そのものだったが、再開発され超高層ビルの街になってしまった。
水天宮方向にちょっと歩いたところに「トルナーレ浜町」という複合ビルがそびえ
立ち、その敷地の片隅に「浜町神社」が鎮座していた。
ビルの屋上でなくて良かったね。

ここでしばしコーヒーブレーク。もう少し歩けば人形町だが、お店はどこも混雑
しているだろう。休憩するなら空いていて静かなここしかないと、図書館から
借りた「介護ヘルパーは見た」(藤原るか著)を読みながら足を休ませた。

ところでこの複合ビルは新大橋通りと清洲橋通りが交差するところにある。
新大橋通り行けば水天宮だが、清洲橋通りを行けば「清洲橋」だ。距離はどちらも
同じくらい。徒歩10分もかからない。

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ひと休みしたら、水天宮から「清洲橋」へと気持ちが移ってしまった。
水天宮は地下鉄でいつでも簡単に行くことができるが、清洲橋へはけっこう歩かな
ければならない。せっかく近くまで来たのだから、清洲橋を渡って帰ろう。

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清洲橋は、かちどき橋、永代橋とともに、国の重要文化財に指定されている。
またすみだ川にかかる26の橋のなかでも屈指の美しさで知られている。

清洲橋を渡ると対岸は深川(江東区)になる。

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ここから両国方向に歩くとすぐに小名木川にかかる「萬年橋」に出る。この辺りは
江戸時代の物流の要衝で番所もおかれていた。

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(北斎の深川万年橋下)

萬年橋を渡ってもうしばらく行くと、隅田川沿いに松尾芭蕉の旧居がある。

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今は芭蕉稲荷神社となっている。ここから「奥の細道」の旅に出立した。

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そこから200mほど先には「芭蕉記念館」がある。

Photo

この道をずんずん行けば両国だが、疲れたのでまっすぐ帰宅することにして、
芭蕉記念館から東方向への横道に入った。途中で「深川神明宮」の前を通った
ので、ちょっと境内に入ってみた。人の姿はなく、休日のノンビリした空気が
漂っていた。

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大鳥居の真ん前におしゃれなフレンチのお店があったが、お休みだった。
この神社は清澄通りからちょっと入ったところにあり、森下駅はすぐ近くだ。

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森下駅近くには元祖カレーパンの「カトレア」があり、今日もすごく長~いお客の
行列ができていた。平日私が行ったときは、ちょうど出来上がったばかりのカレー
パンをすぐ買うことができたけどね。
美味しいけど、行列してまで買わなくてもいいな。

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来たときの道「新大橋通り」を戻り、菊川駅近くにある「遠山の金さんと鬼平の
旧居」(小説でなく実際の二人が住んでいたお屋敷跡)の脇の道に入って、足取り
重く我が家にたどり着いた。やれやれ、だいぶ疲れたわ。

2016/05/04

バーミヤン天井壁画

東京藝大美術館で開催中の「バーミヤン大仏天井壁画」の展覧会に行ってきた。
バーミヤン渓谷(アフガニスタン)の大仏は、2001年にタリバンによって破壊
された。そのとき破壊された東大仏の天蓋壁画を、最先端の技術を用いて復元
したもの。

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パンフには「デジタルとアナログの融合によるクローン壁画」と書いてある。
東京藝大が持つ特許技術「革新的イノベーション創出プログラム」が用いられた。

復元された天井壁画は、東と西の二大大仏の位置からバーミヤンの山脈とその麓を
のぞむ位置に設定されている。(西の大仏様の高さは55メートル、東の大仏様の
高さは38メートル)

仏像の(そのお姿はないが)対面にスクリーンがあり、バーミヤン渓谷の映像が
流れている。徐々に日が昇り渓谷が黄金色に輝く様子は美しいのひとことだ。

イスラム教徒であるバーミヤンの人々も、先祖からの遺産を心のよりどころと
して大切にしてきた。アフガニスタンと深いつながりがある日本も支援に立ち
上がり、東京藝大学長だった故平山郁夫画伯が流出文化財を「文化財難民」と
して保護するよう世界に訴えた。

そのようにして保存されている数多くの流出文化財も展示されている。
近々「文化財難民の母国返還式」がとり行われるようだ。

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天井壁画「天翔ける太陽神」の展示会場では、教授風の年配男性が熱心に解説
してくれた。壁画そのものの理解とともに、バーミヤンがギリシャ文明、仏教、
ゾロアスター教など、東西文明の融合の地であることも知った。
「三蔵法師」も訪れている。

その内容がとても分かりやすくて、帰りには自然とワンコイン(500円)募金を
したくなるのだった。

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平山郁夫の画の柄のミニクリアファイルは、三つ折りでふたがあるので、大事な
メモなどを入れるのに重宝しそうだ。400円。

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