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2016年3月

2016/03/30

日本海側小旅行(火焔土器)

今回の旅の最終日、長岡を午後3時台発の新幹線で東京に戻るので、それまで
縄文土器にちなんだ博物館めぐりをすることにした。

長岡といえば縄文時代の「火焔土器」が発見されたところだ。

ちなみに「火焔土器」とは、昭和11年に新潟県長岡市の考古学研究家が馬高
遺跡(うまたかいせき)から掘り出した土器(国指定重要文化財)の愛称つまり
固有名詞なのだ。

その後に発掘された類似の土器は、十日町博物館にある国宝も含めて「火焔型
土器」と呼ばれている。(国宝の火焔型土器には雪炎~ユキホムラというニック
ネームが付いているらしい)

このブログ(→)の「火焔型土器について」の説明は、素人にも分かりやすい。

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まずは「新潟県立歴史博物館」で新潟県の成り立ちや歴史などを学習する。
柏崎近辺の刈羽郡が昔は三嶋郡だったことを、展示されている資料で確認した。

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興味深かったのは「糸魚川の石地遺跡」だ。
ここから木柱を4本立てた祭りの場が発掘されたという。
木柱といえば「諏訪大社」の「御柱祭」が思い浮かぶ。
諏訪大社のご祭神「タケミナカタ」とその母神さま糸魚川「ヌナカワヒメ」との
繋がりを感じさせるな。

ちなみに今年は7年に1度の御柱祭の年だ。

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もちろん火焔型土器もドッサリと展示されていた。糸魚川がヌナカワヒメなら
長岡は火焔土器というわけで、長岡のあちらこちらにシンボルのように火焔土器の
オブジェが飾られていた。

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その火焔土器が発見された馬高遺跡には「馬高縄文館」がある。そこにも足を
運んだ。
ここの火焔型土器が大英博物館で「常設展示」されるというニュースがあった。
数年前に同博物館で「特別展示」があり、そのご縁で今回の常設展示に
なったらしい。

大英博物館で世界中の人に見てもらえるなんて、火焔型土器にとっても幸せなこと
だわ。

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入口には「火焔型土器を東京オリンピック・パラリンピックの聖火台はに!」と
いうノボリが掲げられていた。昭和38年の新潟国体の時に聖火台として造られた
火焔型土器が、今も「新潟市陸上競技場」にあるという。

新潟国体は私が東京に来る前のことだが、そのすぐ後に新潟地震が起きたので、
今でもよく覚えている。でも火焔型土器の聖火台は知らなかったなあ。
その当時は縄文時代にも火焔土器にも関心がなかったしね。

たっぷり縄文にひたったあと、駅前ビルのお土産コーナーで「サフラン酒」を買った。
前に来た時は見つからなかったが、その後に妹がここで見つけてくれた。
このお土産コーナーには、角栄ワインだの清酒角栄だのも並んでいた。

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新幹線待合室ロビーで、またまた火焔土器と遭遇。
盛りだくさんの旅でちょっと疲れたけど、運転してくれた妹夫婦はもっと疲れた
ことでしょう。心から感謝、感謝。

新幹線はやっぱり速い。長岡の次はもう通勤圏の大宮で、あっと言う間に帰宅
してしまった。こう速いと旅の気分が薄れてしまうわ。

2016/03/27

日本海側小旅行(石川雲蝶)

翌日は「石川雲蝶」の作品めぐりをメインに過ごすことになった。
行けるかどうか分からなかったが、いちおう新潟ネスパスから雲蝶のパンフを
もらってきた。それが役に立った。

少し遠めの場所だし、道も分かりにくそうだったので、妹の夫が運転してくれる
ことになった。

数年前に魚沼地方にある雲蝶作品を見てきたので、今回はその時に行けなかった
三条や栃尾の神社仏閣をめぐる。
でも魚沼の雲蝶作品と異なり、事前に許可が必要なところが多い。妹が電話で
問い合わせてくれて、見られなかったらそれでも良いということで、ともあれ
出発した。

まずは栃尾の「秋葉三尺坊大権現」(秋葉神社)へ。栃尾(市町村合併により
長岡市になった)の中心地にある「常安寺」の鎮守として上杉謙信が寄進した
神社で、全国27000社の「秋葉神社」の頂点に立っている。

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常安寺境内で神社を探してウロウロしていると、、通りかかった近所のお年寄りが
案内すると言って傍らの石段を上がって行った。

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その後をふうふう言いながら付いて行くと、上がり切ったところに目指す秋葉神社
奥の院があった。周囲は公園になっている。後でわかったのだが、この高台にある
秋葉公園には車で来ることができたのだ。

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社殿の廻りは緻密で迫力のある彫刻がビッシリと施されている。この彫刻群は
雲蝶とライバル小林源太郎の合作とのことだが、鞘堂(さやどう)と呼ばれる
建築物で囲まれているうえに、私は目が悪いものだから、細かい部分はよく見え
ないのだった。

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案内してくれたおじいさんが待ち構えていたかのように話し始めた。
石川雲蝶や彫刻の説明から始まり、「建物保護のための鞘堂は、さすが県が建てた
ので立派だ。スプリンクラーも付いているんだ」と自慢したり「地元の住民は
関心がない。情けない」と嘆いたりで、お話はなかなか終わりそうになかった。

このあと同じ栃尾の「貴渡神社」に向かう途中、「道の駅」で名物のあぶらあげを
食べた。この場所に「観光案内所」もあったので、行き方を訪ねるついでに秋葉
神社のおじいさんの話をしたら、「御迷惑じゃなかったですか?苦情がくることも
あるんです」と人の良さそうなスタッフが申し訳なさそうに言った(^o^)

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「貴渡神社」(たかのりじんじゃ)は、なかなか見つからなかった。奥まった
集落のなかに、訪れる人もなくヒッソリと巣守神社があり、その境内の片隅に
小さな小屋のような貴渡神社があった。

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参拝する人もいないのか社殿の周囲には雪が積もっていた。
ときどきをズブズブと足をとられながら、雲蝶の彫刻がある小さな貴渡神社に
行った。

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(保護用の板の隙間から中を覗いてみた)

この神社の雲蝶作品を見るには、前もって連絡し鍵をあけてもらう必要がある。
でもこんな辺鄙なところに個人でやってきて、わざわざ鍵をあげてもらうのは
気が引ける。
個人で雲蝶作品を見るのなら、やっぱり地元ツアーを利用したほうが良いと思う。

栃尾から三条に移動して、つぎに行ったのは石動神社。
ここも見つけるのに一苦労した。

ようやく探しあてたが、神社はかなり高いところにある。
自動車道はあるが、関係者以外立入禁止になっていた。地元の人に聞いたら、
歩いて行くのなら入っても大丈夫だという。道は蛇行していて山の上がどうなって
いるのか分からない。上の方にチラッと白いガードレールが見えるが、神社は
それよりも上にあるという。

それを聞いただけで、石動神社に行くのは断念した。別のところからは石段で
上がることができるが、その数が400段以上もあるとか。
もう、絶対無理!

あとでインターネット検索したら、こちらのブログに「石動神社」が載っていた。
最初からトレーニングするつもりなら、なんとか行けたかもしれないけどね。

主祭神は「伊須流岐比古命」(いするぎのみこと)となっているが、「少彦名命」
と書いてある記事もあった。
伊須流岐比古命は医薬の神様らしい。ということは、この二神は同じ神様って
ことなのかな。

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最後は雲蝶が越後に来るきっかけを作った「本成寺」(ほんじょうじ)。
法華宗の総本山というだけあって、広大な境内にはいくつもの塔頭寺院があり、
雲蝶のお墓もこの本成寺にある。

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とりあえず寺務所に行き「一人500円」を払うと、境内の地図や作品の説明などが
記載されたパンフレットを渡された。

まず修行中の若いお坊さんに案内され、奥の間で「赤牛」と対面した。
明治26年に本成寺は火災にあい雲蝶作品はすべて燃えてしまったが、この牛は
雲蝶の長男の元にあって難を免れたのだという。
「触っていいですよ」と言われたので、「ボケませんように」とお願いしながら
頭をやさしく撫でてきた。

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それからパンフを見ながら塔頭を訪ねて廻る。一ヶ所だけ公開していないお寺が
あったが、それ以外は見ることができた。とくに雲蝶の菩提寺「蓮如院」にある
「柿の実をもつ猿」の置き物が良かった。(柿の実は紛失)
今年は申年でもあるので、健康を祈願して、とくに念入りに頭を撫でてきた。

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さいごは雲蝶のお墓参り。墓石は雲蝶の曽孫が建てかえたもので、新しい感じが
した。

雲蝶作品を求めたドライブだったが、あとで考えると秋葉神社(二大霊山のひとつ
秋葉神社の頂点)や本成寺(法華宗の総本山)等々、由緒ある神社仏閣を訪れる
機会ともなり、収穫の大きい一日だった。

2016/03/21

日本海側小旅行(良寛と角栄)

柏崎から出雲崎をめざしていると、途中でみぞれ混じりの雨になった。かなりの
勢いで降っている。
ところが出雲崎に着いたら雨はすっかり上がっていた。それどころか、雨が降った
気配もない。一過性の雨雲が通り過ぎたようだ。「良かったね~」と一安心。

出雲崎海岸に面した道の駅「天領の里」でちょっと遅めのお昼を食べた。

天領というのは、江戸幕府の直轄地のこと。
出雲崎は、元和2年(1616)佐渡からの金銀の陸揚げ港として代官所が置かれ
「天領」となった。

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良寛の生家跡に建てられた良寛堂は「北国街道出雲崎宿」の中心にある。

出雲崎は「良寛さん」のふるさととして有名であり、また芭蕉が「奥の細道」
「荒海や佐渡によこたふ天河」の名句を詠んだ地でもある。

良寛は芭蕉より100年ほど後の人だが、芭蕉を尊敬していて、讃える詩も作って
いる。

食事のあとは小高い丘の上にある「良寛記念館」に行った。
ここに来るのも本当に久しぶりだが、今回は以前よりじっくりと展示されている
書や解説などを読むことができた。
展示室では「相馬御風」の名前を多く目にした。
あれ、この名前はどこかで聞いたことがある。そう、糸魚川のヒスイを発見した人
だったのだ。

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記念館から石段を上がると「にいがた景勝100選」の第一位に選ばれた「良寛と
夕日の丘公園」がある。

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この日は晴れていたが佐渡はよく見えなかった。たいていは見えるのに、ちょっと
残念だったわ。

帰る途中で「時間があるから田中角栄の生家を見て行こう」ということになった。
妹も生家の詳しい場所を知っているわけではないが「西山ICの近くにあるはず。
だって角栄の家に行くためにICをつくったんだから」と車を走らせた。

でもIC近くに行ってもそれらしい邸宅は見当たらない。スマホで検索すると、
「西山ふるさと公苑」という道の駅が出てくる。

ここは角栄が学んだ小学校の跡地で、だだっ広いパーキングエリアとふるさと館
そして日中国交回復を果たした記念と思われるハデハデな中国風建造物がある。

平日だったので人も車もほとんど見当たらない。きれいな「西山ふるさと館」では
日中国交回復の相手「周恩来」の故郷「淮安市」の写真展などをやっていた。

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ここには無料の給茶機が備えてあり、コーヒーや煎茶など数種類のお茶を自由に
飲むことができる。私たち以外には入館者のいないロビーで、ゆっくりお茶など
いただきながら休憩した。せっかくの設備だもの、利用しないと勿体ないよね。

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わざわざ来たのだからと、隣接する中国風建物「西遊館」にも入ってみる。
ここにはスタッフもおらず、監視カメラが回っているだけだった。でもテーブルも
トイレもあるから、ひと休みするのにはちょうど良い。飲み食いはできないだろう
けど。

ふるさと公苑の敷地のいっかくに地図があり、田中角栄の生家も載っていたので、
じっくりと行き方を確認して出発した。(もちろん妹が確認したのだけれど)

田中角栄生家は思ったよりもずっと狭く目立たない道に面していた。昔いちど
通ったことがあり、もっと広くて観光バスが来るような場所だった気がするの
だが…。

近くで工事でもしているのか、交通案内の人がいて「さっさと行って」とでもいう
ように誘導棒を回していた。すぐ後から山形ナンバーの車が来て、数人が降りて
いたから、今もけっこう観光客が来るのかもしれない。
石原慎太郎の小説「天才」がヒットしているから、GWなんかは混雑するかもね。

それにしても良寛と角栄とは‥、何から何まで対照的な二人だなあ。

2016/03/19

日本海側小旅行(柏崎)

糸魚川に1泊し、翌日からは柏崎の妹宅におじゃました。
今回の旅の大きな目的のひとつが、故郷柏崎の神社めぐりだ。
本当に最近になって、柏崎にも古代史にかかわる場所や神社があることを知った。
子供のころは、もちろん何の関心もなかったから、いろいろなお話を読み聞きして
「え~っ、そんな謂れがあったの?」と驚きだった。

「これは、ボケる前にいちど訪れなくては!」

この日は妹の運転で二人だけで近所観光をする。柏崎から甥夫婦がいる長岡まで
なら、妹は運転できる。
この日のコースは妹が地図を見て決めた。何せ私は故郷を離れて半世紀、その間に
故郷は広い道があちこちにできて、すっかり車社会になっていた。だから昔の
面影はほとんど残っておらず、どこがどこだかサッパリ分からない。

まず行ったのは「鵜川神社」だ。「鵜川神社」といっても1社だけではない。
刈羽黒姫山山頂と麓に鎮座する「鵜川神社」、大きさが全国第8位の大欅がある
「鵜川神社」、そして私が子供の頃に遊んだに違いない駅近くの「鵜川神社」。

刈羽黒姫山については、こんな「民話」がある。
黒姫さまは奴奈川姫命という民話もあれば、奴奈川姫命の母という民話もある。
(柏崎文庫~關甲次郎著) どちらにしても、女の神様らしいロマンチックなお話だ。

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「黒姫山」方面に行くのは難しいので、まず大欅の「鵜川神社」に向かった。

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樹齢1000年といわれる大欅のご神木に触ってパワーをもらう。

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この神社は柏崎でも田舎のほうにある。今は車で簡単に行くことができるが、
それでも神社周辺には素朴な自然が残っていた。

柏崎駅から徒歩圏内にある「鵜川神社」(↓)は、馴染みの神社のはずだが、
記憶の隅をさぐっても思い出せない。妹は「昔はこちらの鳥居から入ったよ」と
おしえてくれるのだが、それでも思い出せない。

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鵜川を挟んで対岸の「三島神社」も、妹は「お祭りのときいつも来たじゃない」と
言うが、「そう言われれば、そんな気がするかな」という程度の記憶しかない。
情けないなあ~。

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「三島神社」に関してもいくつもの言い伝えがあるが、三島神社の本来の祭神は
「三島溝咋耳命」(みしま みぞくいみみのみこと)=少彦名命であると書いてある
記事も目にした。
少彦名命の神裔は、伊豆国造の三島大社や摂津国三島地方の三島県主と関わりが
あるのだという。

そして柏崎の三島神社も何らかの関わりがあるらしい。

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(新潟県立歴史博物館にて↑)

現在は「刈羽郡」といわれているが、もともとは三島族がつくった「三島郡」
だった。この三島は伊予三島本社の分霊なのだという。

そうすると、伊豆の三島でなく四国愛媛の三島にお詣りに行くべきだったのか~。

どっちにしても、おおもとは少彦名命だから、同じだけど。

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三島神社から歩いて鵜川の土手に出た。どこもかしこも変わったが、鵜川だけは
あまり変わっていなかった。

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鵜川をはさんで鵜川神社、三島神社、そして良寛の晩年に交流を深めた
貞心尼のお墓(洞雲寺)がある。近いので洞雲寺にも行ってみたが、お墓は
寺の裏山の小高い場所にあり、雪で道は緩んでいて、行くことはできなかった。

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(洞雲寺)

このあと出雲崎の良寛記念館に行くので、そちらでお参りしてこよう。

無料の「ふるさと偉人館」に立ち寄り、久々に我が家のお墓参りをして、一路
出雲崎へと向かった。

2016/03/16

日本海側小旅行(糸魚川)

翌日は「糸魚川」の目的地を廻ってもらった。車はやっぱり便利だ。
でも興味のないところを連れ回された妹夫婦は気の毒だったわ。

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まずは「フォッサマグナミュージアム」へ。
ヒスイをはじめとした鉱石・原石がドッサリと陳列してある。そしてもちろん
「フォッサマグナ」の解説ビデオもあった。

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Photo

Photo_2

フォッサマグナをはさんだ両側は、地質が異なる。単に地質が異なるだけでなく、
縄文から弥生そして古代史にも深くかかわっているような気がする。
これから少しずつ学習していきたい。

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フォッサマグナミュージアムから歩いて「長者ヶ原遺跡」へ行った。
遺跡と言っても、森の中の広場に竪穴式住居がいくつか建っているだけだけど。
天気予報が外れ雪にならなかったので、行くことができて良かった。

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(フキノトウが咲いていた)

この豊かな森が縄文文化を育てたんだな。

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遺跡からの発掘品は、隣接する「長者ヶ原考古館」に陳列してある。

この考古館のスタッフがとても熱心に興味深い説明をしてくれた。
流れが急で暴れ川と言われる「姫川」には、北陸電力、東京電力、中部電力など
いくつもの発電所があるとか。糸魚川には西と東の文化の両方があり、お雑煮
にはブリと鮭の両方を食べるとか。「塩の道」の話とか。諏訪地方の黒曜石が
糸魚川の縄文遺跡から見つかっているとか。

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諏訪といえば諏訪大社のご祭神「タケミナカタ」を連想するが、そのお母さんが
糸魚川のシンボル「ヌナカワヒメ」(奴奈川姫)だ。

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糸魚川ではいたるところで「奴奈川姫」を見ることができる。まさにマスコット。

「奴奈川姫」は姫川の名前の由来でもある。「天津神社、奴奈川神社」の伝説に
よると、たびたび氾濫した姫川は「厭い川」といわれ、やがてそれが「糸魚川」に
なったという。

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(姫川は大河だった)

長者ヶ原考古館を出たあとは、ヌナカワヒメを祀っている「天津神社、奴奈川
神社」と「白山神社」でお参りしてきた。

どちらの神社も人の気配がなくひっそりとしていた。

(画像をクリックすると拡大します)

2016/03/15

日本海側小旅行(富山から糸魚川へ)

帰郷を兼ね、いろいろ盛り沢山な小旅行をしてきた。

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往きは、買い物でちまちま貯めたANAマイルを使って「富山きときと空港」へ。
そこで妹夫婦と落ち合った。
姪のお墓参りをするのが目的。富山に来るのは姪のお葬式以来初めてだ。

市内の便利な場所にお寺があった。孫がいるので、妹はたびたび来ているようだ。

富山市から糸魚川へ向かう。

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途中で魚津の「埋没林博物館」に立ち寄り、蜃気楼についての知識を仕入れ、
「生地」では水をひと口飲んだ。みぞれ混じりの雨が降っていて、まち歩きでき
なかったのは残念だけど。

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ちょこちょこと途中下車しながら、この日の宿、糸魚川の「笹倉温泉」に向かった。

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「焼山」の近くにある温泉一軒宿とのこと。焼山は最近噴火し周辺の立入が禁止
されている。

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標高が高く奥地にあるので雪が心配だったが、道は除雪されていてスムーズに
たどり着くことができた。

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温泉に入ったらお肌がスベスベになった。お料理も美味しかったし、スタッフも
親切で、また来たいと思わせるとても良いお宿だった。

2016/03/07

散歩でみつけたモクレンと鷺

ulalaさんのブログで木蓮が「地球上で最も古い花咲く木」ということを知った。
また蕾が常に北を向くので「コンパスフラワー」といわれているのだとか。山で
道に迷った時は、方位磁針がわりになるらしい。

Photo

我が住まい近くの「大横川親水公園」では、木蓮の花がすっかり開いてしまって、
蕾の方向はわからなかった。

この公園はもともと大横川という運河だったところ。今でも江東区側は運河として
残っているが、墨田区はここを埋め立てて公園にした。それでもところどころに
川が残っている。

Photo_2

この間の日曜日に公園を散歩していたら、わずかに残された水辺で見慣れない鳥を
見つけた。

Photo_3

Photo_4

たった一羽だけれど、すくっと水の中に立ち尽くしている。そして時々くちばしを
水に突っ込んでエサをとろうとしている。

Photo_5

その様子を近所の人や通りがかりの人達が見守っている。

オバサンが「2~3日前からここにいるのよ」と言う。
「へえ~っ。それじゃ、どこかから飛んできた野生の鳥かしら?」と私。
「たぶんそうでしょうね。でも人間がこんなに近くにいてもビクともしないの。」
「人間に慣れているのかしら?何ていう鳥でしょうね?」
「鷺じゃない。羽を広げると綺麗なのよ。」

Photo_6

なかなか動いてくれないが、エサをとろうと水の中に首を突っ込んだとき、一度
だけ羽を開いてくれた。

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たった一羽だけで、どうしてこんな都会のど真ん中に飛んできたのかなあ?

2016/03/04

カラヴァッジョ展

「国立西洋美術館」で3月1日から「カラヴァッジョ展」が始まった。
「日伊国交樹立150周年記念」事業の一環で、「ボッティチェリ」と「ダ・
ヴィンチ」に続いて第3弾となる。

Photo

6月3日までと期間はかなり長いが、「善は急げ」とさっそく行ってきた。
企画展は終わりに近づくほど混雑するので、出来るだけ早く行くつもりでいた
のだ。
平日だったこともあって会場は比較的空いていて、じっくりと鑑賞することが
できた。

今回の目玉は、展覧会開始直前に出展が決まった「法悦のマグダラのマリア」
だろう。2014年に発見され、今回が世界初の公開となった作品だ。

実物を見て「いかにもカラヴァッジョらしい作品だな」と感じた。黒い背景の
なかに浮かぶマグダラのマリアは、とにかくドラマチックだ。宗教画というには
人間的すぎる。

カラヴァッジョの作品は11点で、たいていの作品はローマで開催された大々的な
展覧会や美術館で見ている。でもカラヴァッジョ作品見ていると、またローマに
行きたくなる。暗い教会にかけられたカラヴァッジョの大作と、もう一度対面
したい。

(10年ほど前に書いた「ローマでカラヴァッジョ」

「カラヴァッジョ展」のパンフレットに「法悦のマグダラのマリア」は載って
いなかった。ギリギリのタイミングで出展が決まったのだろう。
最新号の「芸術新潮」はカラヴァッジョ特集だが、これにも載っていない。
ちょっと残念だ。

2016/03/01

表参道と神宮周辺

3月に休みがあるので新潟~富山旅行をしようかと思い、とりあえず観光資料を
集めに表参道の「新潟館ネスパス」に行った。ここに来るのは久しぶりだ。

Photo
(表参道ヒルズ。スロープが上まで続いているので、ウォーキングには良い)

長岡の博物館で縄文時代の学習をし、「石川雲蝶」の彫刻を訪ね、柏崎で神社を
巡り、糸魚川でフォッサマグナ博物館とヌナカワヒメと出会う。
そして富山で姪のお墓参りをして帰る。

ざっとこんな計画を立てている。首尾よくいきますかどうか。

ウォーキングのお供のディパックは、新聞と文庫本とお茶が入っていてけっこう
重い。それに観光パンフと無計画に買ってしまったパック惣菜が加わったものだ
から、ウォーキング意欲がそがれそうだ。でも登山する人はもっと重いリュックを
担いでいるんだと自分に言い聞かせ、頑張って神宮外苑辺りを歩くことにした。

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まず目指したのは千駄ヶ谷にある「鳩森八幡神社」だ。ここは富士塚で知られて
いる。前からいちど来たいと思いつつ、なかなか実現できなかった。

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東京メトロ副都心線の北参道駅から10分くらい歩いて神社に到着。
この近くには東京体育館、話題の国立競技場、神宮球場などがある。近いとは
いっても、それぞれの建造物が巨大だから歩きではある。

神宮外苑は都内きってのスマートなエリアだが、鳩森八幡神社の近所は庶民的な
雰囲気が残っている。神社があるからでしょうね。

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富士塚のゴツゴツした岩の階段を登る。背中のディパックが重いので、登るのは
楽でない。こんなところでひっくり返ったら大変と、岩につかまって一歩一歩
上に行く。けっこう、きつかった。

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富士塚登山で疲れてしまったが、国立競技場を経由し銀座線神宮外苑駅まで歩く
ことにした。

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旧国立競技場を壊したら富士山が見えるようになったと聞いたけど、あいにく
富士山の姿は確認できなかった。暖かいと大気がもやって見通しが悪くなる。

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国立競技場跡地の隣に廃墟のようになっているのが「都営霞ヶ丘アパート」だ。
前の東京オリンピックのときに、立ち退きを迫られて、このアパートに転居した
人が多かったと聞いた。

住環境としては最高だけれど、時とともにアパートは老朽化し住民も年をとり、
近年は限界マンションになっていたらしい。近隣には高級マンションが建ち並んで
いるが、そこだけポッカリと異次元の空間があるような印象だ。

東京オリンピックでこのアパートに入居し、また東京オリンピックでアパートを
出て行くことになるなんて、住民だったら「オリンピックに翻弄された人生だ」と
思うでしょうね。

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隣接する明治公園の案内図は、アパート部分を黒く塗りつぶしてあった。

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1本だけ桜が咲いていた。向うにあるのは「神宮第二球場」。

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公園内の石碑もポツンと取り残されたよう。

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