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2015/11/23

橋から散歩~両国橋と新大橋

ウォーキングが大切とわかっていても、ただやみくもに歩くだけでは、すぐに
惰性に陥ってしまう。やはりテーマを持って歩かなくては‥‥。

それで思いついたのが、住まいのあちらこちらにある橋だった。
私が住んでいるところは、江戸時代の小説やドラマによく登場する下町で、運河が
縦横に流れている。当然ながら、運河には橋がかかっている。時代小説や時代劇
では、これらの橋が舞台になっていることも多い。

「思い立ったが吉日」と、肌寒い曇り空の日曜日に、さっそく実践することに
した。そこで選んだのは「両国橋」、運河ではないが、まずは主役級の隅田川に
かかる橋からつぶしていこう。

北区の岩淵水門から東京湾まで流れる隅田川には、いくつもの橋がかかっている。
そのうち、歩いて渡れる橋は18あるらしい。(最近河口に最も近いところに新しい
橋ができたと聞いた。それを入れると19ということになる)

Photo
(この図の北に隅田川最初の橋「千住大橋」がある)

いくら隅田川が近いといっても、我が住まいから歩いて行ける橋はそのうちの
一部だ。まずは徒歩圏内の橋から始めようと、もっとも近い両国橋を選んだ。

Dsc_0240

徒歩圏内にある橋はどれも数回は渡っているが、テーマを持つと、橋にまつわる
ウンチクを調べたりするので、少しは新鮮な気分になる。

「両国橋」は武蔵と下総の二つの国を結ぶということで名付けられ、1683年に
なって本所・深川地域も武蔵国になった。(年代は諸説あり)
東京スカイツリーは武蔵国にちなんで634mの高さに決めたようだが、もともと
押上は下総の国だったのだ。

Dsc_0237

両国橋は隅田川にかかる二番目に古い橋だ。
架橋のきっかけとなったのが江戸最大の火災「明暦の大火」だ。
この大火の犠牲者を弔うため、橋の近くに「回向院」が建立された。JR両国駅の
すぐ近くにある。

Dsc_0235

回向院から橋に向かって少し歩くと、イノシシ料理の「ももんじや」がある。
いちどは食してみなければと思いつつ、今日まで実現していない。

Dsc_0239

橋のたもとには「葛飾北斎の浮世絵」案内版があった。北斎は何度も引越をしたが
ほとんどが本所エリア内だったらしい。

橋を渡ると、そこからはお江戸の中心地「本来の武蔵国」で、現在の住居表示
では、橋を背にして左が中央区日本橋、右が台東区柳橋になる。

Dsc_0241

左方面の薬研堀は七味唐辛子の発祥地とか。ここから三越があるお江戸日本橋
まではだいぶ距離がある。

Dsc_0244

Dsc_0246

右方面は江戸時代の花街「柳橋」だ。ここから神田川が延びている。今でも多くの
屋形船が係留されていて、江戸情緒たっぷりだ。

Dsc_0247

神田川沿いを歩いて行くと、浅草橋につく。

Dsc_0248

ノーベル賞受賞者大村先生のお祝い垂れ幕がかかっていた。大村先生は墨田工業
高校の定時制教師をされていたこともあり、そこにもお祝い垂れ幕があった。
(墨田工業高校は我が家からも近い。私が自慢することじゃないけど‥^^;)

Photo_2

浅草橋界隈はいくつもの区が入り組んでいる。

Dsc_0251

まっすぐ行けば千代田区で秋葉原へ、右に行けば台東区で浅草へ、左に行けば
中央区で日本橋にたどりつく。

道路標識を見ていたら「清洲橋」という名称が目に入ったので、それにつられて
左方向に歩くことにした。清洲橋を渡って帰れば、1日で2つの橋を渡ることが
できるわ。

でもここから清洲橋までたどり着けるかが問題だ。
江戸時代の新興住宅街だった川向う(つまり墨田区側)は、区画整理がされて
いて道がまっすぐなのだが、江戸の中心地は道が斜めに延びていたり、小路が
入り組んでいたりで、迷子になりやすい。

隅田川に沿ってまっすぐ歩いているつもりでも、そもそも自然の川である隅田川
自体が蛇行しているので、すぐ「あれ、隅田川はどこ?」って感じになってしまう
のだ。(ちなみに本所深川エリアの運河はたいてい真っ直ぐだ)

ま、地図を持たず、当てにならない勘だけを頼りにする私が悪いんだけど。

Dsc_0257

この日も案の定予定していなかった「浜町公園」に着いてしまった。近くには
明治座、TCA、人形町などがある。でも目指す清洲橋はどこら辺かわからない。

Dsc_0263

公園は隅田川に接していたので、堤防に出てみると、右に黄色い「新大橋」が
見えた。清洲橋はもうひとつ河口側にあるらしい。

Dsc_0265

そこで計画変更し、新大橋を渡ることにした。
「新」とは言っても隅田川では3番目に古い橋だ。千住大橋と両国橋のあとに
新しくできたので、この名前になったらしい。(両国橋は大橋と呼ばれていた
こともあったとか)

Dsc_0267

この辺りでは地図を手にウォーキングする人を沢山見かけた。
やっぱり地図は必需品だよね。

Dsc_0268

Dsc_0269

新大橋を渡って地図を見たら、あらら、両国がすぐ近くなのだ。ぐるぐる歩いて
けっきょく元の場所に戻ってきた。結果オーライってとこか。

両国駅近くのコーヒーショップで疲れをとり、この日の橋から散歩は終わった。

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東京散歩」カテゴリの記事

コメント

橋をめぐるウォーキング、なかなかグッドアイデア!
両国橋の由来もなるほど〜、明暦の大火もヘェ〜、興味深く読ませてもらいました。
SNSならウォーキングして疲れたで、いいねで終わりますが、ブログはちょっとひねってもらったほうが読みがいありますね。
地名と歴史は面白いので、変に統合した解明はやめてほしいもんです。

ulalaさん、いつまで続くかわかりませんが、ウォーキングのついでに少しばかりの知識が付けばと思って、橋から散歩を始めてみました。

ここ2~3日はどんより曇って寒い日々ですが、こんなお天気はウォーキング日和ですね。速足で歩いても、暑い季節に比べると疲労度が低く、かなり歩数を稼げます。歩きすぎて靴擦れするのは困りますが。

認知症関連のテレビ番組の影響なのか、街角ではリュックを背負って歩いている高齢者をよく見かけます。「お互いに頑張りましょうね」と声をかけたくなりますわ。

日本は橋の多い国ですね。東京や大阪は昔からたくさん橋があって技術的にも優れていたと思います。浮世絵にもたくさん描かれていますよね。大阪は「食い倒れ」と言われてますけど一説には橋が多くて橋をかけるお金が沢山かかるから「杭倒れ」とも。
地名に橋があるのも都会ならではだと思います。
隅田川に19もの橋があるとは。歴史ある橋も新しい橋もめぐっていくと楽しいですね。ちなみに佃は昔は渡し船だったらしいですね。昭和30年代まで。小学校の頃に橋が出来てすぐに行って昨年まで渡し船でした、と聞いてびっくりした覚えがあります。東京オリンピックの東京で渡し船というのが結びつかなかったので。
今でも大阪では渡し船があるそうですが乗ったことありません。東京にはあるのかしら?川下りの舟は乗ったことありますけど。
私も新しい体活動計を手に入れたので何かテーマをつくって歩きたいです。

HANAさんのコメントを読んで、去年佃島に行ったことを思い出し、確かあの時橋を渡ったはずと「江戸を歩く」のカテゴリーを開いてみたら、ありました!

「佃大橋が昭和38年に完成するまで、300年余りのあいだ佃の渡しは続いた。 隅田川で最後まで残った渡し船だった」と、橋のたもとの石碑に書いてあったんです。
あの時、佃大橋と永代橋を渡ったんですよ。でも「橋から散歩シリーズ」じゃなかったから、また渡らなくちゃ(^^;)

渡し舟といえば、このあいだ妹と行った柴又で矢切の渡しを見ましたよ。
柴又と市川の間の江戸川を往復しているようです。観光用でしょうが、ちょっと対岸に行きたいというときは便利かも。

大阪は水の都と言われますね。商業の発展に川や運河が大きく貢献したんでしょう。何気なく渡っている橋にも歴史があると思うと、見る目も多少は違ってきます。

ところで体活動計ってどんな効果があるんですか?そのうちに使い勝手などを教えてください。

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