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2015年9月

2015/09/26

近場の遺跡&史跡めぐり(2)

「東京の古墳を歩く」(祥伝社新書)に載っている古墳のうち、今日の目的地は
多摩川下流域古墳群のうちの田園調布古墳群だ。多摩川流域には古墳が数多く
あるが、ここは「多摩川台古墳群」として整備されていて行きやすそうなので、
決めた。

(参考)「東京の古墳MAP」

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多摩川駅前の地図を見ると、駅のすぐ近くに「浅間神社」古墳があるので、まずは
そちらに行ってみた。

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北条政子ゆかりの神社で、その下に前方後円墳があるというが、浅間神社といえば
すぐ思いつくのが「富士塚」だ。小高い古墳は格好の富士塚だったんだろう。

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この神社には、浅間信仰の団体として「富士講」がおかれていた。
境内には勝海舟直筆の「食行身禄」と書かれ
た石碑があった。
勝海舟が「富士講中興の祖」だなんて、知らなかったな~。

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神社で参拝してから、駅前を通って「多摩川台古墳群」に向かう。

やっぱり高級住宅街は坂が多い。下町との違いをもっとも強く感じるのは、この
地形だ。ブラタモリじゃないけど、街歩きすると地形と都市の歴史が深く関連
しているのを実感する。

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また人々の暮らしに深くかかわっているのが河川だ。四大文明がすべて大河の
流域に生まれた理由がわかる。

そんなことを考えながら坂道を上がり、公園入口にある「古墳展示室」に入った。

ここで参考になったのは、各地の古墳を年代別に貼りつけたパネルだ。

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上の巨大古墳が「大山古墳」(仁徳天皇陵)で、下の右側の小さい前方後円墳が、
これから訪れる「亀甲山古墳」だ。大山古墳に比べたら豆粒みたいに小さいが、
全長107.25mで、東京都内最大の古墳だという。

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北条政子は亀甲山に上がって夫頼朝の無事を祈り、富士吉田の浅間神社を
この地に勧請したと伝えられている。

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多摩川台公園には2基の大前方後円墳と8基の古墳がある。いくつもの古墳を
通りながら、もっとも北よりにある宝莱山古墳まで歩いた。

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(木々の間から先日歩き回った多摩川河川敷が見える)

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緑豊かな森林公園で散歩には最適だが、上空から見ないと形が分からないので、
古墳かどうか判断できない。立札を見て「あ、これが古墳か」と思うだけだ。

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「宝莱山古墳」は四世紀前半に造られた前方後円墳で、四獣鏡、勾玉、鉄剣などが
出土している。初期ヤマト政権と強い関係にあったとみられるようだ。

でも亀甲山古墳のほうは発掘調査が行われておらず、盗難にもあっていないと
みられ、手つかずの状態で保存されているという。どうして発掘しないのかな?

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帰りは宝莱山古墳から田園調布駅まで歩いた。坂と緑が多いのは変わらない。
駅前の広い銀杏並木辺りが、渋沢栄一が開発した計画都市なのだろうが、閑静
ではあるけれど豪邸の街という印象は受けない。

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広い家に住んでいる富山の人が見たら、「えっ、豪邸はどこ?」と拍子抜けして
しまうだろう。もちろん資産価値を聞いたらビックリするだろうけどね。

田園調布の次に向かうのは思いっきり対照的な街「行徳」だ。行徳は千葉県だけど
東京メトロ東西線が通っている。

2015/09/24

近場の遺跡&史跡めぐり(1)

「発掘された日本列島2015」にあわせ、毎年「関東考古学フェア」というのを
やっていて、その一環としてスタンプラリーがある。関東3都県以上の博物館や
資料館のスタンプを集めると、抽選で「歴史宝箱」が当たるというもの。

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江戸東京博物館、千葉県立中央博物館と2スタンプ集めたが、その後が続かない。
締切日は11月20日なのでまだ急ぐことはないが、ぐずぐずしてるとすぐ日にちが
過ぎてしまうので、1枚残っていた「青春18きっぷ」で水戸の「茨城県立歴史館」
行ってきた。

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旧水海道小学校の建物が良かった。

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「偕楽園」を歩き、納豆がらみのお昼を食べて、バスで駅に戻った。
梅の時期ではないので、偕楽園内は空いていた。

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午後になって雨が降り始めたので、他の名所はパスして帰ってきたのだが、まさか
その後大洪水になろうとは、そのとき考えもしなかった。

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大雨が嘘のように晴天の日が続いたシルバーウィークは、神奈川県の「川崎市民
ミュージアム」に行くことにした。これでスタンプは4つ。

「川崎市民ミュージアム」は多摩川沿いの等々力緑地にある。いくつものスポーツ
施設がある広大な総合公園だが、私がこの場所に行くことにしたのは、施設が
目当てでなく、等々力緑地の多摩川対岸が東京有数の古墳地域だからだ。

以前から行きたいと思っていた「多摩川流域古墳群」に足を運んでみよう。

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超高層マンションが立ち並ぶ武蔵小杉駅前からバスでミュージアムに行く。

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開催中の「木村伊兵衛写真展」も気になったけれど、その日は多摩川を渡って
古墳群を見学するつもりだったので、諦めざるを得なかった。
家を出たのがお昼すぎで、時間の余裕がなかったのだ。

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多摩川河川敷は広い。川がどこにあるのか分からないほどだ。その河川敷には
いくつものグラウンドがあり、いろんなチームがサッカーや野球などをやって
いた。

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かなたには多摩川にかかる「丸子橋」が見える。草いきれの中を歩きながら、
あの橋を渡ればいいんだなと、簡単に考えたのが間違いのもとだった。

ふうふう言いながら川岸の橋のたもとまで行ったら、上にあがる階段がない。
橋を渡るには、河川敷を堤防まで戻り、だいぶ歩かなければならないようだ。

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(地図で見ると、目指す多摩川台公園はすぐ近くなんだけどな~。橋がかかる
まで、ここには「丸子の渡し」があったという。丸子の渡しがあればな~)

そうと知ると疲れがどっと出て、足がクタクタで、丸子橋を渡る気力が失せた。
何とか橋を渡ったとしても、古墳を見て歩くことなど、とてもできそうにない。
ほうほうのていで川崎側の「新丸子駅」にたどり着き、駅前のコーヒーショップで
しばしの間沈没していた。

翌日は無理せず休養にあて、再挑戦とふたたび多摩川に向かったのは、連休も
終わり間近の22日だった。頑張って朝9時ごろ出発した。この日は多摩川古墳群の
ほかにもう一か所行きたい場所があったので、東京メトロ一日券(600円)を
購入した。東京メトロは、消費税が上がった分運賃は高くなったが、どういう
わけか一日券は前より安くなった。これは有難い。

もっとも多摩川古墳群へは地下鉄だけでは行けないので、渋谷からは東急東横線を
利用し多摩川駅で降りた。

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大規模改造工事中の渋谷地下。誰もが案内表示の矢印を頼りに歩いている。
複雑だけれど案内プレートが多いので、北千住や大手町よりは迷わないかも。

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多摩川駅に到着し、駅前地図をじっくりと見る。
いつもテキトーに見て歩き始めるから。道に迷って疲労困憊してしまうのだ。
慎重に行動すれば、私だって迷わない。(←自戒)

それにしても、こういう案内版は上下左右や東西南北がさまざまで、書き方が
一貫していない。それで首をひねったり腰を曲げたりして、マップと自分の位置を
確認しなくちゃならない。

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この地域は超高級住宅街として有名な田園調布で、駅前も街も人影少なく静かだ。
いつもざわざわしている錦糸町とはエライ違いだわ。

2015/09/16

諏訪地方を訪ねる(4)

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国道16号線(違うかもしれない)をせっせと歩いて無事「前宮」に到着した。
道が分かりやすくて良かった。

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「諏訪大社上社前宮」は立派な雰囲気の神社ではあるが、幹線道路から石段を
上がったところに小さな社務所があるだけで、他にお店などはなく、林の奥に
ひっそりと鎮座していた。ちなみに前宮は日本で最も古い神社のひとつとか。

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ここで参拝できるのかと思いきや、本殿はそれよりまだ100mほど上にあるようだ。
人家に沿ってふうふう言いながら坂を上がり、ようやく本殿までたどり着いた。

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本殿の前は石段になっている。何段でもないけれど、せめてここだけは手すりを
付けて欲しいと思う。高齢者が階段でバランスを崩したら、大けがをするからだ。

私が訪れたときも、高齢の姉妹が恐る恐る上がっていた。妹さんが「お姉さん
私が支えているから、ゆっくり上がって」と体を抱きかかえるようにしていた。

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本殿のすぐ脇を清流がほとばしり、すぐ傍らでは農作業をする人の姿があった。

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この清流は「名水 水眼の清流」(すいがのせいりゅう)という。

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飲めるようなので、ペットボトルの中身を捨ててこの水を入れた。
とても冷たくて心が引き締まる感じ。ご神水をいただいたという有難い気持ちに
なる。

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前宮は、その土地に暮らす人々とともに、長い歴史を紡いできた神社という印象を
受けた。その年月は縄文時代にまで遡るのかもしれない。

「全国一の宮ガイド」には、「上社本宮」について、縄文的な祭祀と大和王権が
求める共通化されたマツリゴトのせめぎ合いで、まるで迷路のような造りになって
いると書いてある。
諏訪が守ってきた祭祀のシンボル「上社前宮」を、「上社本宮」を造ることで
隠そうとしたのではないかというのだ。

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来るときには通り過ぎてしまったが、幹線道路に面した大鳥居を入ってすぐの
林のなかに、小さな祠があるのに気付いた。

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「溝上社~高志(こし)の奴奈河比賣命(ぬなかわひめ)」を祀っているとある。
「ヌナカワヒメ」は諏訪大社のご祭神「タケミナカタ」の母神だが、それにしては
ささやかすぎる祠だな~。

もともと前宮は「ミシャグジ神」を祀っていたと言われる。
やがて出雲系やヤマト系がやってきて、神社の祭神も変化したのだろう。
前宮は、縄文から現代にまで続くこの地の在り様を、じっと見てきたのだろうな。

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まあ難しいことはさておいて、ともあれ諏訪大社の全宮にお参りできて良かった。
茅野駅発のバスが「前宮→本宮→大熊」というコースで走っているので、前宮で
参拝してからバスで本宮まで行くというのが良いかもしれない。
本宮の前には博物館もあるし、参道には飲食店もたくさんあるから、バス待ちに
苦労しない。

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前宮の周辺には時間をつぶすような飲食店がなかったが、バス停近くにこんな
看板の「寒天のお店」があったので入ってみた。

ここは販売するお店だが、窓際にカウンター席が設けられていて、寒天ゼリー
などをその場で食べられるようになっている。お腹の足しにもなるし、メタボ
対策にもなるなんて一石二鳥だわと、寒天ゼリーを注文したら、お椀にたっぷりと
試食のところてんも付けてくれた。

もうこれだけで満腹。それに美味しい。
荷物になるというのに、つい寒天ゼリーの素を買ってしまった。

もし時間の余裕があったら上諏訪にある「片倉館」に行きたかったのだが、今回は
無理だった。温泉に入るのなら、半日は過ごしたいものね。

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上諏訪駅のホームに「足湯」があったので、電車を待つ間ここで足の疲れを癒す
ことができた。30分程も足をつけていたら、本当に足が軽くなった。

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同じホームに「霧ヶ峰源泉水飲み場」があったので、ペットボトルのご神水に
霧ヶ峰源泉水を足し、帰途についたのだった。

2015/09/12

諏訪地方を訪ねる(3)

松本駅に着いたら雨が降り始めた。駅前のビジネスホテルを予約していたので、
駅周辺のコンビニでお弁当とおでんとワインを買い、駆け足でホテルに行った。

宿泊は最近もっぱら駅前ビジネスホテルになっている。
ビジネスホテルがある駅は都会なので、夜遅くなっても暗くて怖いということは
ないし、コンビニや飲食店もいろいろあって、食事で困ることもない。

翌朝7時からが朝食タイムなのでレストランに行ったら、もうスーツを着込んだ
ビジネスマンが次々とチェックアウトしていた。あれ~こんなに早くどこに行く
んだろうと不思議に思ったが、きっと東京の会社に出勤するんでしょうね。
「スーパーあずさ」なら松本から新宿まで2時間半ほどで着く。
ご苦労様ですね~。

食事をしてすぐチェックアウトし、普通列車で上諏訪に行った。
昨日は茅野から次の上諏訪を通過して下諏訪で降りた。翌日いちばんで上諏訪に
行くことにしたのは、ここから諏訪大社上社「本宮」へ行くバスが出ているに
違いないと睨んだからだ。

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駅のコインロッカーに荷物を預け、駅周辺をウロウロすると、大通りで「上社」
という文字のあるバス停が見つかった。とりあえず乗ってみよう。

運転手さんが「バスを間違えていませんか?どこに行くんですか?」と聞いて
きたので、「諏訪大社の上社」と答えたら、「あ~それなら大丈夫」と乗せて
くれた。
中高年旅行者が目立つ上諏訪だが、駅からバスに乗る人のほとんどが白樺湖や
霧ヶ峰方面に行く。一律150円のコミュバスに乗る観光客などいないので、運転手
さん心配してくれたんだろう。

最近はどこに行ってもコミュニティバスがある。たいていグルグルと循環して
いるので、時間はかかるが、見知らぬ町や村をのんびり見学できて楽しい。
「全国のコミュニティバスに乗る旅」なんてのもいいかもしれない。
安い、迷わない、空いている、人々の生活ぶりが分かる、等々、魅力は多い。

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(諏訪地方にはいろいろなレードマークを付けた蔵が多い)

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上諏訪コミュバス「かりんちゃん」の場合、どれだけ乗っても料金は一律150円!
上社まで30分以上かかったと思うが、タクシーだったら2700円のところ、たった
150円なのだ。有難いね。

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ちなみに茅野のコミュバスは「ビーナちゃん」。「縄文のビーナス」からとった
ネーミングだということがすぐ分かる。

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(本宮は鳥居と参道が何ヶ所かある。ここが↑正面参道のようだ)

諏訪大社上社「本宮」は諏訪大社の中心的神社なのだろう。さすが信濃国一之宮と
思わせる風格があり、参道の周辺にはお店もたくさんあった。

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本宮の前には「諏訪市博物館」もあり、ここならバスの時間待ちも苦にならない。
「諏訪市博物館の案内サイト」にはバス停の場所も分かりやすく表示されていた。
最初からこのサイトを見れば良かったなあ。

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でも行き当たりばったりの私は、その時「本宮」から「前宮」にどう行こうかと
無い知恵を絞っていた。現地にもバス案内板(↑)があったけど、よく理解できな
かったのだ。

地元の人に聞いたら「歩いても30分はかからない」という。道も分かりやすい。
「本宮」の前の「国道16号線」をどんどん歩けば「前宮」に着くという。

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これならいくら方向音痴も私でも迷わないだろうと、コスモスが咲き乱れる広い
歩道を歩き始めた。

2015/09/08

諏訪地方を訪ねる(2)

茅野駅で降りてまず向かったのは「尖石縄文考古館」だ。本数は少ないがバスで
行くことができる。でもどれくらい時間がかかるか分からないので、その後の
予定は駅に戻ってから考えることにした。

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この博物館では八ヶ岳山麓の縄文遺跡から発掘された土器や土偶を陳列している。
目玉は「縄文のビーナス」と「仮面の女神」のふたつの国宝土偶だ。もっとも
国宝はこのふたつだけでなく、鉢などの土器も含まれている。

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「仮面の女神」は平成26年(2014年)国宝に指定されたばかり。
茅野駅にはお祝いの大きな垂れ幕がかけられていた。

じつは去年東京国立博物館で開催された「日本国宝展」で、このふたつの土偶と
対面しているのだが、人ごみに揉まれて見るのと緑豊かな自然のなかで見るのと
では気分が違う。何たってこの地はふたつの土偶のふるさとなのだ。

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ちょうど博物館では「特別展 縄文土器造形の頂点 5000年後の競演」をやって
いて、ポスターには新潟県十日町市の火焔型土器が大きく載っていた。
でも火焔型土器のほうはレプリカだった。レプリカでも本物のようによく出来て
いたけれど。

ところで考古館に入ったところで、何とスマホのカメラが故障してしまった。
あれやこれややってみたが、どうしても回復しない。博物館所有の土器土偶は
撮影OKだったから、本当に悔しい。

考古館から茅野駅に戻ってきたら、もうお昼を過ぎていた。諏訪大社前宮に行く
バスは本数がとても少ないし、行ったら戻らなくちゃならない。歩いたら40分
くらいかかるという。

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茅野市のコミュニティバスも縄文のビーナス。

けっきょく上社には明日の朝いちばんで行くことにして、午後は下諏訪駅から
徒歩圏内にある下社の春宮&秋宮を目指した。

長野のアンテナショップ「銀座NAGANO」で貰った下諏訪のウォーキング
マップによると、下諏訪駅から春宮&秋宮&目ぼしい観光スポットを一巡りして
約3kmとなっている。

イラスト入りの分かりやすい「まちあるきマップ」には、諏訪大社下社以外にも
中山道、下諏訪宿、温泉など見どころが載っている。

中山道と下諏訪宿は、先日読んだ参勤交代小説「一路」の舞台でもあるので、
何だか懐かしい感じがした。下諏訪は中山道で唯一温泉のある宿場町で、皇女
和宮が泊まった本陣が今も残されている。

私は駅から近そうな「秋宮」から先に行くことにした。これは正解だった。
「秋宮」から「春宮」を結ぶ中山道は下りの急坂だったが、上り坂よりはだいぶ
楽だからだ。

「秋宮」から急坂に入るところに「青塚古墳」があった。諏訪地方でただひとつの
前方後円墳だが、見つけるのに少し迷った。規模が大きくない上に、周囲を住宅に
囲まれていて分かりにくい。民家の裏道を入って行くと、案内板があった。

諏訪大社下社、青塚古墳、中山道と風情ある宿場町など、絵になるスポットが
盛りだくさんの下諏訪だが、あいにくカメラが故障していて、写真を撮ることが
できなかった。

ここ下諏訪観光のもうひとつの目玉が「万治の石仏」だ。「春宮」のすぐ近くに
ある。春宮の境内から砥川にかかる赤い橋を渡ると、森の中にユニークなお顔の
仏様が鎮座している。

石仏の近くに参拝方法(↓)が書かれた立札があった。

一、正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」
と心で念じる。
二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。
三、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。

私もさっそく参拝したが、肝心の願い事を唱えるのを忘れてしまった。(←間抜け)
この石仏の写真は撮りたかったな~。残念。

その夜泊まる松本行きの列車にゆられ、疲労困憊の体を癒しているときに、ふっと
「そうだ、スマホの電源を入れ直してみよう」と思い立った。パソコンがフリーズ
したときも、電源を切って再起動すると直るからだ。

期待を込めて電源を入れ直すと、あららカメラは簡単に写るようになった。
あ~、どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。

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(復活したカメラで車内をパチリ)

2015/09/05

諏訪地方を訪ねる(1)

青春18きっぷ3回分を6,000円で手に入れたので、かねてから気になっていた
「諏訪大社」を訪ねることにした。

諏訪大社といっても、神社は1ヶ所でない。
諏訪大社には上社と下社があり、上社には「前宮」と「本宮」下社には「春宮」と
「秋宮」がある。つまり合計4ヵ所の神社の総体を諏訪大社とよぶ。

Photo

この4ヵ所の宮はかなり離れているので、個人旅行者が行くのは簡単でない。
駅前を歩き回って何とかバス便を見つけたときは、「やった!」と喜びもひとしお
だった。

最近「出雲風土記セミナー」で講演を聞いて、古代出雲と日本海側各地との密接な
交流に関心が向いた。諏訪は日本海に面していないが、日本海から川を渡って
この地にたどりついたと思われる。「出雲→高志(こし)→諏訪」という経路だ。
「地図で読む古事記、日本書紀(武光誠著)」では、美保の岬から高志、志雄、
長岡、長野、諏訪というコースになっている。
えっ長岡から?じゃあ柏崎を通り過ぎたんじゃないの?何かそれらしい痕跡が
残っているんだろうか?

ヤマト政権が成立する以前から、日本海側には有力な豪族がいたが、やがて
ヤマトの力に従うようになる。「国譲り神話」がそのあたりのいきさつを表していると
言われ、また諏訪大社4宮の在り方にも反映しているというから、興味がつきない。

諏訪大社のご祭神は、出雲の大国主命の子「建御名方神」(タケミナカタ)と
その妻「八坂刀売神」(ヤサカトメ)と伝えられる。
4宮の創建順序は「上社前宮→上社本宮→下社春宮&秋宮」となるようだ。
この順番にしたがってヤマト色が強くなっていく。

もっとも古い上社前宮は、典型的な神社の様式をとっておらず、原始的な祭祀が
残っているらしい。
下社の春宮と秋宮の間には、諏訪地方唯一の前方後円墳「青塚古墳」がある。
ヤマト王権の影響が強まっていた証だろう。

この4宮は、現代においてもその立場を表すかのような位置にある。
下社春宮と秋宮は下諏訪駅から歩いて行けるところにあるので、観光しやすい。

困るのは上社のほうだ。
上社の本宮は上諏訪市にあり、前宮はお隣の茅野市に属している。それぞれ管理
する自治体が異なるので、バスも別々になる。本数が少ない上に、乗るバスも
別々、これは不便だ。

私は前宮がある茅野駅で降りることにした。もうひとつ茅野には強く心惹かれる
ものがあった。この地は日本列島有数の縄文王国でもあるのだ。

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駅に降りるとさっそく縄文ののぼりやポスターがお出迎え。
古代史というと、どうしても邪馬台国や大和朝廷が中心になるが、日本列島には
それ以前に長い縄文時代があった。上社前宮は、縄文文化の名残が強いのかも
しれない。

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(駅の観光案内所)

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