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2015/06/15

参勤交代

「i一路」(浅田次郎著)という、参勤交代がテーマの、エンタティメント色の
強い小説を読んだ。

参勤交代が何かはもちろん知っているが、具体的にどのように行われて、どの
ような功罪があったのかは知らない。この「一路」は小説だから、事実との違いは
当然あるだろうが、隔年で続けられた行列のおおよその様子がわかって面白い。

上巻は単行本で読んだが、最近文庫本が出版になったので、図書館に下巻の
予約を入れておいた。

待っているあいだ、予備知識を仕込んでおこうと、「外様大名40家-負け組の
処世術」「江戸三百藩最後の藩主ーうちの殿様は何をした」「江戸大名のお家
騒動」を読んだ。

これが面白い。

お殿様も家臣も領民も、藩をいかに平穏に維持するかが、何よりも重大な関心事
だった。お家騒動で改易にでもなったら、藩主だけでなく家臣も失業してしまう。
お殿様が跡継ぎないままに急死でもしたら、お家断絶で改易となってしまう。
だから藩主の死を隠して、急きょ後継者を決めたりしたらしい。
あれこれ気配りをして、藩の維持に心血を注いだ様子は、さながら会社に依存する
サラリーマンのようだ。

現代日本人のメンタリティは江戸時代に培われたんじゃないかしら。

藩主のほとんどが江戸生まれ江戸育ちだということも初耳だった。奥方と嫡子は
人質として江戸屋敷に住んでいたのだ。同じ立場のお殿様同士の交流もあった
らしい。

ところで主人公の一路が仕えるのは、西美濃田名部の蒔坂家という七千五百石の
旗本だ。(もちろん架空)
この蒔坂家の江戸屋敷は「両国橋から堅川の土手道に出て、横川に突きあたって
左に折れ、本所は入江町、長崎町、清水町と行った先の本所吉田町にある」と
なっている。

あれ?うちの近くだな~?

横川というのは現在の大横川親水公園だ。

Photo

日曜日に北斎通りを歩いていたら、旧横川の脇で長崎橋という遺構を見つけた。
これまでは気にせず素通りしていたのだが、小説に出てきた長崎町という地名が
記憶にあったので、説明プレートを読んでみた。

Photo_2

蒔坂家江戸屋敷はここから少し行ったところにある。
江戸切り絵図を見たら、法恩寺橋の脇に本所吉田町があった。

Photo_3
(法恩寺橋と桜)

架空の江戸屋敷にしても、何となく親近感がわいてくる。もちろん興味や関心も
強まる。この場所にある江戸屋敷だから、そんなに格の高いお家でなかったと
いうことだ。本所は、明暦の大火の後で幕府が造成した新興住宅街なのだから。

Photo_4

大横川親水公園(旧横川)のアメリカデイゴの木。墨田区の公園では、この木を
よく見かける。

Photo_5

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江戸を歩く」カテゴリの記事

コメント

去年だったか飛行機の中で見ましたが参勤交代の映画やってましたね。
以前、大阪府茨木市にある郡山宿でも、かつての参勤交代の話聞きました。
行列となるまでに、今の官僚である藩士が事前に宿の手配と費用の案分が大変だったようですね。

蒔坂家も住まい近くとなると見る目変わりますよね~

今も議員さんの子供は東京育ちが多いようですね。
昔は旅も大変だったでしょうね。
寿命も今よりずっと短かったし。
新幹線や飛行機で移動できる時代に生きていて良かったです。

ulalaさん、この小説の時代は幕末なんですが、250年もの長きに渡って参勤交代行列をやってきたわけですから、何でこんなことをやっているのか訳が分からなくなっていたでしょう。幕府の力も弱まってきたころなので、各藩の申し入れで隔年でなく3年ごとにするなど、だんだん締め付けが緩んできたようです。

ま、参勤交代があったから、江戸時代がこんなに長く続いたのかもしれませんね。日本各地の大名は物心両面で莫大な負担を背負いました。戦どころではなかったでしょう。

また参勤交代のおかげで日本各地の経済が活性化し、文化も生まれました。参勤交代の視点から街道を旅するのも面白そうです。

HANAさん、江戸時代関連の本を読んでいると、「あれ~今と同じだ」と思うことが多いんですよ。江戸時代の封建社会も、やがて明治維新を迎えるわけですが、三百におよぶ藩のお殿様の圧倒的多数が、どう対処すればよいのか判断できずウロウロする日和見だったとか。

でもそれら日和見藩主たちが、結果的に明治維新を達成する力となったようです。

お殿様は藩のお飾りのような立場だったのに、いきなり社会の大変動に直面して決断を迫られたら、オロオロするのも無理ないですよ。藩主も家臣も民衆も、幕末~明治の時代には誰もがすごい体験をしたんですね。

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