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« 「あけぼの」ラストラン | トップページ | 江戸切絵散歩のつもりで佃島(2) »

2014/03/16

江戸切絵散歩のつもりで佃島(1)

池波正太郎の「江戸切絵図散歩」が面白かった。そもそも旅行記とか○○散歩と
いう本が好きなのだが、散歩だけでなくそれに江戸探しの面白さがプラスされる
ので、歩くのが苦にならなくなる。

少し前に「長谷川平蔵が発案した人足寄場」についてのコラムを新聞で読んだ。
「石川島人足寄場 」というのは犯罪者更生施設のこと。
そこで犯罪者に労働を科し、職業訓練をし、賃金の一部を毎月積み立てさせて
出所時に支払い、社会復帰を促した。
30以上もの職種が用意されていたという。当時、世界最先端の更生施設だった
のだ。

今にも雨が落ちてきそうな金曜日、人足寄場があった佃島に足を運んだ。
中央区にある佃島は隅田川の川べりにあり、お江戸日本橋や銀座、築地、東京駅も
近い。

Photo

地下鉄新富町から10分ほど歩くと隅田川に出る。そこにかかっているのが、
「佃大橋」だ。橋のたもとに「佃島渡船」の石碑があった。

Photo_2

佃大橋が昭和38年に完成するまで、300年余りのあいだ佃の渡しは続いた。
隅田川で最後まで残った渡し船だった。

渡し船は知らないが、佃島にはむかし何度か来たことがある。
まだ「大川端リバーシティ」ができる前のことで、ごちゃごちゃした狭い路地が
ある地域だった。

大川端リバーシティができてからも行ったことがある。すっかり様変わりして、
何だか公園みたいな街になったなと思った。

池波正太郎は佃大橋ができたことを嘆いている。でも都心という地理的条件を
考えると、いつまでも渡し船というわけにはいかないだろう。もっと小さい島で、
せいぜい公園くらいしか使いみちがなかったら、渡しが残ったかもしれないが。

Photo_3
(佃大橋の上から見る佃島)

Photo_4

ほんの2~3軒「佃煮屋」が並んでいる。

Nec_0017

隅田川にそって少し歩くと、「住吉神社」の鳥居と石川島灯台のモニュメントに
出会う。この灯台辺りに人足寄場があったらしい。

Photo_5

昔の佃島の空気が漂っていると感じたのは「住吉神社」だった。

住吉という神社名から大阪を連想したが、やはりルーツは大阪だった。

Photo_6

(そう言えば我が家の近所に住吉という地下鉄駅がある。これも関連があるのかと
調べたが、吉という字が縁起が良さそうということでつけた町名で、住吉神社とは
関係ないらしい)

Nec_0040
(隅田川から右手の晴海運河に入っていく船)

神社からまた隅田川に戻り「石川島灯台モニュメント」から川沿いのテラスを
歩いた。スカイツリーが見える。このままテラスを歩いて帰宅できそうな気が
するが、佃島は島なのでどこかで橋を渡らなければならない。

Photo_7
(波がひたひた押し寄せる晴海運河)

地図を見るとよく分かるが、この辺りは川や運河だらけなのだ。日本橋、京橋、
江戸橋など、やたらと橋のついている地名が多いのはそのせいだ。
だから出かけるということは橋を渡るということでもある。

Nec_0037
(中央大橋)

佃島からは「佃大橋」と「中央大橋」が隅田川にかかっている。また隅田川から
東京湾方面に晴海運河が流れていて、江東区深川方面に行く「相生橋」がかかって
いる。歩いて帰るとしたら「相生橋」のほうが近いが、隅田川の橋をぜんぶ渡る
という目的もあるので、中央大橋を渡ることにした。

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江戸を歩く」カテゴリの記事

コメント

佃島と佃煮の由来は、以下ページで詳しいです。
http://www.kanehatsu.co.jp/oishisaikiiki/020/

ulalaさん、面白いサイトのご紹介、有難うございます。
佃煮が佃島からきているということは知っていましたが、そのおおもとが大阪の住吉区近くの佃村とは、今回初めて知りました。これだから歴史は面白いですね。今日に至るまでに、ドラマがたくさんあるんですものね。

今日「出雲と大和」という岩波新書を買ってきました。これも面白そうなんです。読んだら、また感想を書きますね。

おはようございます(^O^)
きのうは出かける前にあまり時間なくて、リンク先貼っただけですみません。
一つ訂正させてもらいます。

佃島の漁民の故郷は、実は関西の佃村(現在の大阪府西淀川区佃)

本能寺の変の時、堺見物してたとされる家康一行の足取りはあちこちに残されています。
多分佃島の漁師たちに助けられたとされる場所が、今の住吉区あたりだったのでは?
神崎川は今の住吉区ではないのです。
住吉大社は堺とすぐちかく、その奥宮とされる宿院頓宮が、堺市の旧市街です。

ulalaさん、土地勘がないのでピンとこなかったんですが、だいぶ分かってきました。土地にはいろんな隠れた歴史があるので、調べると面白いですね。

ガイドブックに載っている有名観光地だけでなく、こういう隠れた名所旧跡に興味を持つと旅の楽しみも増します。今度大阪に行ったら、佃にも足を運びたいという気になりますからね。

ulalaさんも東京にいらした時、佃島に足を運んだらいかがでしょう?息子さんがお勤めの汐留から徒歩圏内ですよ。

大阪の佃と、東京の佃、東京の佃は発展著しいですね。

佃の渡し船が廃止されて1年後ぐらいに東京の佃島に行ったことがあります。東京オリンピックがある直前まで東京のど真ん中に渡し船があったのが不思議でした。

東京の住吉神社にあたる神社が大阪の佃にもあります。
田蓑神社と言います。神社案内のところに徳川家康との関係も書いてあります。
http://www.tamino-jinja.com/index.html

昭和の時代、東京の佃島が下町情緒の残る街として残ってその後高級タワーマンションが建って一躍注目されたのと違い、大阪の佃は公害のある工場の街として有名になり、零細企業が多かった工場の閉鎖が相次いでそれが切り売りされてマンションがごちゃごちゃ建っています。今、東南海地震が起こったら津波にやられて水没する大阪市の中でも一番の危険地域と言われているところです。

HANAさん、サイトのご紹介有難うございます。

大阪の佃にある田蓑神社(田蓑島神社→住吉神社→田蓑神社と名称が変わったんですね)と東京佃の住吉神社は御祭神が住吉の4柱と同じですものね。それら各地の住吉神社の総元締めが、大阪の住吉大社ということになるんでしょう。
やっぱり神社は歴史の保管庫みたいです。そういう目で神社を見ると、そこに住んだ人たちの思いとか土地の由来などが分かって、とっても興味深いです。ますます大阪の佃に行ってみたくなりました。

東京の佃は今脚光浴びている湾岸地帯ですが、津波に弱いという地理的条件は大阪の佃と同じですね。両方の佃はお互いに交流があるようです。ご先祖様が同じなんだから当然でしょうね。

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