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2014年2月

2014/02/22

寒さが骨身にしみる日々

今日は気温が低く、積もった雪があちらこちらに残っていて、なかなか解けそうも
ない感じだった。でも風がなかったのが幸いで、日向に出るとポカポカと暖かく
気持ちが良かった。

じつは、数日前から腰近くの背中が痛くて、姿勢をまっすぐにしていると良いの
だが、曲げたりうつむいたりが出来ない。ぎっくり腰ではないけれど…。
寒さが影響しているのだろう。

おととしだったか、北京経由ローマに行ったときに寒波に襲われ、体調を崩して
ひどい状態になったことがある。その時しみじみ「年をとると寒さに弱くなる」と
実感した。適応能力や回復力が落ちてしまうのだろう。

でも原因は寒さだけではないような気がした。使い古したベッドが、体に合わ
なくなっているのではないか。そろそろベッド買い替えの時期かもしれないと、
駅前にある「アルカキット錦糸町」に行ってみた。この中の家具店は改装予定
とかで、ただいま閉店セールの真っ最中だから、ベッドも安売りしているかも
しれない。
でも、めぼしい商品はあらかた売れてしまったのか、広いフロアがガランとして
いた。ベッドはあったけど、もう少し考えてみよう。

まっすぐ体を伸ばして歩くと痛みはないので、ポカポカお日様を体に浴びながら、
近所をウォーキングした。寒いと歩く機会が少なくなる。体の調子が悪いのは
そのせいかもしれない。もっと頑張って歩かなくちゃあ。

北斎通りには、観光客なのか街歩きなのか、地図を広げている人をチラホラ見か
けた。

Photo
(地図に見入ったまま立ち止まっている年配の男性)

Photo_6

河竹黙阿弥は本所の師匠と呼ばれていたとか。

Photo_2

このあたり(本所)は、江戸幕府が造成工事をした新興住宅街なので、大通りも
路地も碁盤の目状で真っ直ぐだ。

Photo_3

良い雰囲気のお米屋さん。新潟米もたくさん並んでいた。

Photo_4

時代小説ファンには、どれも聞き覚えのある地名ばかりだろう。

良いお天気が続いてほしいが、花粉症も気になる私だった。

2014/02/16

鬼平の生家ということらしい

今日も強風が吹いていたけれど、2日間も部屋に閉じこもっていられないので、
食料品を買い出しがてら図書館に行った。私の用事といったら、たいていこの
二つなのだ。

外に出たら、強風ではあったけれど、思ったよりも日差しがあってポカポカして
いた。図書館へはかなり距離があるのだが、いつもウォーキングエクササイズだと
思って歩く。近所すぎるとエクササイズにならない。

Photo

日の当たる場所を選んで、いつもは通らない道に入ったら、白い可憐な梅の花が
咲いていた。雪はまだ残っているが、日差しの暖かさは春の近さを感じさせる。

Photo_2

その少し先にコンビニがあって、何か高札のようなものが立っている。
近づいたら、案の定「鬼平の高札」だった。

Photo_3

そういえば鬼平犯科帳では、鬼平こと長谷川平蔵は我が家近くで生まれたことに
なっていると、何かで読んだことがある。なんでも、池波正太郎が江戸切絵図を
見ていたら「長谷川」というお宅が目に入ったので、そこを生家ということに
したのだとか。(真偽のほどは不明)

その話を聞いて、私もそれらしき場所を探したけれど、見つからなかった。たぶん
このあたりの住宅街に埋もれているのだろうと思っていたが、こんなコンビニの
脇にあったのね。幹線道路から少し入ったところだから、この高札に気づく人は
少ないだろうな~。

2014/02/15

家でゴロゴロ時代小説

昨日の午後から降り始めた雪は、夜中にだいぶ積もったようだった。
夜中に稲妻が光り雷鳴が轟いた。そのすぐ後でサイレンの音がいくつも聞こえた。
ちかくに雷が落ちたのかと思った。

故郷では冬の入口にさしかかると雷が鳴る。それを「雪降ろし」と呼んでいたのを
思い出した。その雷が鳴ると、雪の季節がやってくるのだ。

翌日は雨になり、やがて上がって日も差していたが、足元が悪いのは目に見えて
いるので外出する気になれず、ざっと部屋掃除をして適当に食事をして本を読ん
だりして過ごした。

読んでいるのは、「刺客~用心棒日月抄」(藤沢周平)と、写真中心の「深川江戸
散歩」(藤沢周平がエッセイを載せている)という本だ。
「深川江戸散歩」はだいぶ古いらしく、掲載されている地図にはまだ木場公園が
ない。

この写真本に藤沢周平の文章が載っているのは、彼が書く時代小説の舞台の多くが
この辺りだからだろう。藤沢周平は「江戸切絵図」などを見ながら小説を書いた
ようで、必ずしも現在の墨田区や江東区に土地カンがあったわけではないようだ。

Photo
(江戸の大動脈は運河だった。小名木川付近の敷石にも描かれている)

でもこの近辺に土地カンのある私にとっては、やはり地名や町の雰囲気を現在と
つい結び付けてしまう。それが読む上での楽しみにもなっている。

Photo_2
(小名木川にかかる扇橋閘門)

余談だが、時代小説や時代劇には「運河」や掘割が重要な舞台として登場する。
家康は政治家であるだけでなく、都市計画者でもあったのだと、しみじみ思う。

何冊か読んだ藤沢作品の中で、もっとも面白かったのが、この「用心棒シリーズ」
だ。図書館在庫の都合上、最終章の第4弾を先に読んでしまい、この第3弾の
「刺客」が最後になった。物語は前後してしまったが、いちばん読みやすく面白
かったのが、この「刺客」と長編の最終弾「凶刃」だ。

この小説の主人公は訳あって脱藩し江戸にやって来た浪人だが、脱藩したのだから
藩から生活費を貰うことができない。それで江戸の個人派遣会社である口入屋から
仕事を斡旋してもらうのだが、その主な仕事内容が用心棒というわけなのだ。
「家政婦は見た」の江戸用心棒バージョンってとこ。

食い詰めた浪人たちが口入屋に仕事を探しにくるところなど、現代の社会情勢
さながらで、親近感を感じたり身につまされたりする。主要登場人物も個性的で
簡単にイメージが浮かんでくる。藤沢の柔らかい文章が、読みやすくて楽しい。
また武士と市井の人々、江戸と地方(主人公は東北の小藩に属す)が登場し、
江戸と国元を行き来する人々が千住宿を通る様子が出てきて、最近千住を歩いて
きた私は、ますます興味が強まるのだった。

「刺客」(新潮文庫)の解説を、先日亡くなった常盤新平が書いていた。
常盤新平といえば、「池波正太郎の江戸・下町を歩く」というエッセイを読んだ
ことがある。常盤新平は英米文学翻訳者でもあるけれど、江戸時代小説のファン
でもあった。「刺客」の解説で「チャンドラーやハメットよりも藤沢の小説が
好き」と書いている。

ま、時代小説を読んで近所への関心が強まっているうちに、おおいに歴史散歩して
おかなくちゃと、心を新たにした私だった。
(写真をクリックすると拡大します)

2014/02/09

雪の東京と石川雲蝶

新潟の妹から、雑司ヶ谷というところで「石川雲蝶パネル展」をやっているという
メールが来た。それで昨日さっそく足を運ぶ予定だったが、何せあの大雪だから
延期せざるを得なかった。

Photo
(土曜日夕方。もうスカイツリーはまったく見えない)

Photo_2
(真夜中の0時半ごろ。土曜日の夜、オリンピック番組を見ている人が多いのか
明かりがついている部屋が多い)

Photo_3
(日曜朝6時半ごろ。お天気が良い)

土曜日は、そんなわけでずっと部屋に籠っていたが、翌日は食料買い出し&都知事
選挙の投票があったので、足元を気にしながら外出した。もちろん長靴をはいて。
朝早くから誰かが雪かきをしてくれたらしく、歩道は歩きやすかった。

投票を済ませ、駅ビルで早めのランチを食べてから、「石川雲蝶パネル展」を見に
地下鉄に乗って「雑司ヶ谷地域文化創造館」に向かった。

Photo_4

会場は東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷駅」とつながっている。構内にあると言って
もいいだろう。改札を出たところに「石川雲蝶」の目立つ案内が掲示されていた。

Photo_5

日曜日ということもあり、また皆さん昨日の雪の始末に追われているようで、
地下鉄にもパネル展にも人の姿は少なかった。雑司ヶ谷は雲蝶が生まれた土地
なので、その縁で今回のパネル展になったのだろう。

Nec_0015

アーティストだの芸術家だのという大仰な形容詞がつかなくても、日本各地には
見事な職人の技が残っている。浮世絵なんかも、まさにそんな職人技にひとつだ。
ヨーロッパで有名になったものだから、絵師たち今じゃすっかり芸術家だけれど。

Nec_0023

パネル展の良いところは、細かい部分までじっくり見ることができることだ。
実物は、顔をくっつけて見るわけにいかないので、よく見えないことが多い。
この間は魚沼に行った来たけれど、今度は長岡と三条に行って石川雲蝶作品を
見てきたい。

Photo_6

むかし池袋の会計事務所で帳簿記帳の下請けをやっていたので、雑司ヶ谷周辺に
来たことがある。このあたりも結構土地カンがあるのだ。雑司ヶ谷といえば思い
浮かぶのが霊園と鬼子母神だ。お天気が良かったので、久しぶりにすぐ近くに
ある「鬼子母神」に行ってみた。

先日入谷の鬼子母神に行ってきたけれど、鬼子母神といえば私はこちらを思い
浮かべる。境内も広いし、昔から地元の人々に育まれてきたという雰囲気が
漂っている。

Photo_7
(天然記念物の「大イチョウ」


半蔵門線の錦糸町から副都心線の雑司ヶ谷へは、どこかで乗り換えなければなら
ない。私は半蔵門線の終点渋谷まで行き、そこで副都心線に乗り換えた。
これなら、多少遠回りだが、乗換が一度ですむ。

Chizu3

それにしても渋谷駅の複雑さは想像を絶する。副都心線は地下5階、同じ東京
メトロの銀座線に乗り換えるとなると、地上3階まで上がらなければならない。
気軽に「乗換」なんて言えるようなもんじゃないのだ。ま、渋谷で乗り換える人は
いないだろうが。

同じように複雑な北千住駅は広いコンコースがあり、そこにカフェやショップが
集まっているので、乗換ついでにひと休みできる。でも上下に伸びている渋谷駅
には、そういうフロアが見当たらない。

これだけのビックターミナルなんだから、各鉄道会社が連携して駅ナカビジネスしたら
儲かると思うけどね~。
コーヒーを飲みたかったけど、わざわざ改札を出て、またチケットを買いなおす
気にもなれず、そのまま帰宅したのだった。

(縦の写真がどうしても横向きになってしまいます。もう少し学習しないと…)
(写真や画像はクリックすると拡大します)

2014/02/07

ロシアのソチと柏崎の曽地

ソチ五輪が始まるが、地名が同じということで、テレビのニュースバラエティで
「柏崎の曽地」を取り上げていた。なんでも五輪にあわせて「冬の大運動会」を
開催するのだとか。

Photo

曽地という地名は私の記憶にずっと残っている。
小学生だったころ、曽地に住んでいる母の友人を訪ねて、妹と二人で泊りがけの
路線バス旅行をした。まさに「初めての旅行」だった。1時間以上はバスに乗って
いたはずだから、子供だった私にとっては緊張の旅だった。
しかも母の友人という人とは、あまり面識がなかったのだ。

着いてみると曽地は本当に田舎そのもので、母の友人のおばさんは「田舎だから
面白いもんはなんもない」と私たちを気遣いながら、いろいろ手作りのごちそうを
ふるまってくれた。私たちは柏崎市内に住んでいたので、曽地からみたら都会
暮らしの子供だった。そのころの曽地はまだ柏崎市ではなかったと思う。

大人なら山村でのんびり過ごすこともできただろうが、なにせ子供だからすぐに
飽きてしまって、一晩泊まったら妹がもう帰ると言い出してきかない。
けっきょく私たちは、翌日早々に柏崎市内に戻ったのだった。

「子供だからの~」と残念そうなおばさんに、申し訳ない気持ちを抱いたのを
今でも思い出す。そんなことがあって、曽地は私の子供時代の思い出のなかに
いつまでも残る地名になった。

2014/02/02

引きつづき新パソコンと格闘中

購入済みのソフトを忘れないうちにと新パソコンにダウンロードした。
メールソフト、エディタは使い慣れているので、Win8.1になっても使うつもり。
この二つは何とか上手くいった。

むかし経理事務のアルバイトで使っていた「弥生会計」を、アルバイトをやめ
ても自分の家計簿代わりに使っていたが、これはちょっとインストールは無理
のような気がしたので、フリーの会計ソフトをダウンロードした。

ところが「フリー」と言っても完全フリーでなく、使い続けるにはお金を払わな
くちゃならないことが分かったので、完全フリーの家計簿ソフトに変えた。
使いづらいけれど仕方がない、当分はこれでやってみよう。

昨日、東京駅前のJPタワーで「佐賀県」の観光イベントを見てきた。
武雄温泉楼門の天井にはめ込まれている「卯(東)」「酉(西)」「午(南)」
「子(北)」の杉版がこの日だけ展示されていた。

Nec_0023

実はこの楼門は辰野金吾が設計したもの。辰野金吾設計といえば、すぐ前の東京駅
丸の内駅舎がある。こちらの八角形のドーム天井にも、東西南北を除く八つの
動物のレリーフが飾られており、両方を合わせると十二支になるのだとか。

Nec_0027_2


佐賀県の物産を見てから、有楽町駅前交通会館のアンテナショップに行った。
「静岡県のわさびドレッシング」が欲しいのだが、どこで買ったのか覚えていない。
それでアンテナショップをのぞいてみたのだが、見つからなかった。

そこから少し歩いて、銀座にあるアンテナショップをぶらつき、「福井館」
「鯖のへしこ」、「にしん」、「はたはた」、「サーモンのオイル漬け」など
ご飯にもお酒にも合いそうなものを買い込んだ。

有楽町から銀座周辺には、本当に各県のアンテナショップが多い。

(写真はWin8.1のクラウド、skydriveよりアップしてみました。縦の写真が横に
なってしまい、直りません)

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