無料ブログはココログ
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

« お風呂そうじ | トップページ | 吉原お花見散歩 »

2013/03/17

桜さがして墨堤散歩

ニュースによると東京はもう桜が咲いたとか。
花粉症は辛いけど、ウォーキングもしなくちゃならないので、お花見スポットの
隅田川に行ってみることにした。

Photo

目指すのは広重が描いた名所江戸百景「隅田川水神の森真崎」

広重は墨堤がお気に入りだったらしく、江戸百景にも題材として何ヶ所も取り
上げている。「隅田川水神の森真崎」は、向島(墨田区)から隅田川対岸の真崎
(白鬚橋を渡ったところにある、現在荒川区の石浜神社辺り)を望んだ風景だ。

そこまで歩くのは無理なので、墨田区コミュニティバス「すみまるくん」に1日券
(300円)払って乗った。まずは「スカイツリー」に行き、北西部ルートのバスに
乗り換える。

S

乗換えるバス停は「押上」だが、ひとつ手前の「春慶寺」で降り、北十間川に
出るとこんな(↑)ノボリが立っていた。

S_2

カヌーを漕いでいた人がいたけど、今日は風が強くて遊覧船はちょっと無理そう
だった。

S_3

橋を渡ったところにある広場では、何か放映中で人だかりしていた。そこから
「東京ソラマチ」というショッピングタウンに入り、何か使えそうなパンフでも
ないかとインフォメーションを覗いた。

S_4

でも欲しい資料は無く、その代わり「今だけしか販売しない春珈琲」とやらを
買ってしまった。買物はしないつもりだったのになあ。

S_5

バスに乗って「白鬚橋病院」でおりる。白鬚橋はここから歩いてすぐなのだが、
その前にお昼を食べることにした。けっこう有名なステーキレストランがこの
近くにあり、いちど食べてみたいと思っていたのだ。ところがとっくに1時を
過ぎているというのに店内は超満員で、しばらく近くの待合室で待たされた。

S_6

この待合室には有名人のサイン色紙がギッシリ飾られていた。美味しかったけど
こんなに待つのはイヤだわ。

S_7

S_8

白鬚橋を渡ると、右手は荒川区で左手は台東区になる。荒川区側の土手を少し
歩くと石浜神社があった。広重の浮世絵はこの辺りを描いたものらしいが、面影は
ゼロだった。

S_9

台東区側には「平賀源内のお墓」がある。浅草からは少し距離があるので、こんな
機会でないとお参りできない。ちょっと明治通りを進むと「平賀源内の墓所」を
示す石碑が建っていて、そこからすぐの路地にお墓があった。

S_10

ここには「総泉寺」というお寺があったのだが、関東大震災で焼失し板橋に移転
してしまった。そして源内の墓所だけが残されたのだという。お墓だけ残して
いくなんてヘンだわね。どうしてかな?

そこからは白鬚橋でなく次の桜橋を渡って墨田区側に行くことにした。
強風が吹いていて白鬚橋を渡るのが怖かったことと、戻るのと桜橋に行くのと
距離があまり違わない気がしたのだ。

S_11

桜橋付近で中学生達が壁画制作中だった。

S_12

桜橋は歩行者専用で幅が広いので、強風でも安心して渡ることができる。

S_13

墨堤を歩いてみたが、桜はほとんど咲いていなかった。
歴代もっとも早い開花なんてニュースで言っていたけど、まだ一分咲き程度じゃ
ないの。花粉症で苦しいなかやって来たというのにガッカリだ。

それでも桜を探して墨堤を区役所まで歩いてしまった。バスの1日券を買った
意味がなかったわ。まあ300円だからいいけど。

S_14

ま、歩いたご褒美もあった。人の少ない牛嶋神社で「撫で牛」をたっぷり触り
まくったし、社殿にかけられている北斎の大作「須佐之男命厄神退治之図」
見ることが出来た。この大作は北斎が牛嶋神社に奉納したものだが、関東大震災で
焼失してしまい、現在は復元パネルがかけられている。

関東大震災、東京大空襲と、この地域は大きな災害に見舞われ、多くの文化財が
失われた。こうして史跡を歩いてみると、その爪あとが随所に残っていることが
わかる。またその上に歴史が作られてきたことも。

« お風呂そうじ | トップページ | 吉原お花見散歩 »

東京散歩」カテゴリの記事

コメント

相変わらずスカイツリー周辺はすごい人ですね。
桜が早く咲いたようですが、満開にはまだの様なので今年は長く楽しめるのでしょうか?だとよいなぁ。

花粉症にもめげずに散歩に出歩くのはすごいですね。
今日は関西地方は嵐です(;_;)/~~~

HMを英文字表記に変えました、今後ともどうぞよろしく。
今日は日本中が春の嵐だったようで、この雨が上がったら一挙に桜開花でしょうね。

源内さんのお墓が気になってちょっと調べてみました。
四国88所の第86番札所志度寺にお墓があるからです。
どうやら二つあるようです。
志度寺は平賀家の菩提寺ゆえ、源内の死後に平賀家を継いだ妹婿が建立、一方東京のは杉田玄白が建てたようです。
平賀源内は投獄中に亡くなったために遺体が引き渡されなかったから。
元総泉寺にあり共に移転されずに残った墓には源内の着物と履物が埋葬されてるとか。
また獄中死したのではなく逃げ延びたという説もあるそうです。

HANAさん、昨日から私のブログが表示されず、ココログの質問コーナーに聞いたりしていました。ところが帰宅して今アクセスしたら、元に戻っていました。やれやれ、ひと安心。親切に回答してくれる人がいて、昔パソコン通信で質問しまくったことを思い出しました。そのお陰で、きちんとした学習もせずにパソコンを仕事で使っているんですから、あの時パソコン始めて良かったな~と思います。

ところで、スカイツリーは相変わらず賑わっていますが、人ごみもまた楽しいんじゃないでしょうか。(←地元なので、つい大目に見ちゃいます‥^^;)東京にいらしたときに、フラッと立ち寄ってください。「お土産タウン」って感じですけどね。

今日は汗ばむような陽気で、桜もあっという間に開花しました。

ulalaさん、ハンドルネームが変わると、何だか別人になった気分じゃないですか?パソコン通信時代からのネットの友の中には、何度もハンドルネームを変えた人がいて、「え~っと、誰だったかな」と戸惑うこともあります。ulalaさんの場合は読み方が一緒なので、そんなに戸惑いないですが。

平賀源内のお墓のことをいろいろ調べて下さって有難うございます。
獄死したのならお骨はないでしょう。でも逃げたという説も、源内らしくて面白いですね。

私がお参りしたお墓に、源内の着物と履物が埋葬されてるとは知りませんでした。例えお骨でなかったとしても、源内のような有名人のお墓を残して移転するなんて、総泉寺も今頃「しまった」と思っているんじゃないかしら。

すみません、何度かハンドル変えてます(笑)。
ここ数日で、桜もけっこう咲いてきましたね。
杉花粉はあいかわらず困ったものですが。

わたなべのもとさんに限らず、パソコン通信時代からの友人は、ハンドルネームを変えている人が多いみたい。年齢とともに脳が萎縮して、いくつも覚えられなくなっている私です(-_-;)

最近江戸関連の本をチラチラ読むんですが、深川辺りが本当によく出てきます。今読んでいる「江戸の都市プランナー」という本もそう。面白いので、そのうちにブログに書きます。また読んでください。

わき道の話題だけになってスミマセン。ネット上での名前をかえると、自分自身が別人になったような気がします。で、ネット上での書き込む内容も変化しました。ネット上の自分を演出するのでしょうね。変えたのはパソ通時代ですが、数年たって、あぁ変わったなぁと思いました。

とんびさんのパソ通時代のハンドル、聞けばすぐ分かるんでしょうが、最近はド忘れの程度がひどくなるいっぽうで、思い出せません。

ハンドルネームは、本名と違って自分自身でつけた名前ですから、何かしらの思い入れや意味があるんですよね。だから書き込む内容が多少なりとも影響うけるんだと思います。

でもとんびさんの場合は、旅の質も量も並みじゃないので、そちらの印象のほうに圧倒されて、内容の変化までは気が付きませんわ。

パソ通時代の途中まではtalgoでした。由来はたぶんご存知だと思いますがスペインで走っていた列車名です。鉄道にも関心がふかかあったからつけたのでしょうね。パソ通も鉄道関係と旅関係をしていましたが、しだいに鉄道から遠ざかりtalgoだと鉄道色が強いのでかえました。

今のとんびに変えてから、パソ通ではほとんど旅に関することだけ書くようになりました。でも、パソ通自体から遠ざかってしまいました。その少し前からHPをはじめていたからです。HPも最初は雑多でしたが、鉄道の関心がうすまるとともに、旅行記専門になりました。もう十年ちょっと前のことですね。

talgoさんでしたね。そうそう、うっすらと覚えています。
スペインのtalgoにも乗った記憶がありますよ。もうずっと昔のことですが。それから超特急ABE(だったかしら)にも乗りました。マドリッドからコルドバまでだったと思います。

私は昔も今も鉄道が好きなんです。車を運転できないし、飛行機はエコノミーばかりなので、列車がいちばん乗りやすいんです。でもなかなか鉄道旅行はできないですけどね。花粉が収まったら、「青春18きっぷの旅」をしたいものです。

『江戸の都市プランナー』をお読みいただいているとのこと。うれしいです。

小林信也さん

「江戸の都市プランナー」を面白く読ませていだたきました。
江戸は庶民が生き生きと暮らした町という印象を持っていましたが、その都市環境の整備を有能な名主が担っていたんですね。

牢名主など牢獄の組織についても感心しました。
本当に面白いですね~。

これからも江戸のことをいろいろ学習して、江戸東京散歩の糧にしたいと思っています。江戸の知られざる人物を、またご紹介ください。

ご感想、うれしく読みました。これを糧に次回作も頑張りますので、どこかでまたお目に留まれば、ご笑覧くださいませ。

小林信也さん

いろいろ学習して楽しく街歩きをしたいと思います。よろしくお願いします。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« お風呂そうじ | トップページ | 吉原お花見散歩 »