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2012/09/09

関西旅行3日目(2)

ふたたび「JRまほろば(桜井)線」に乗って天理まで行くことにした。
天理駅が「石上神宮」の最寄り駅らしいのだ。

でもコトコト電車に揺られているうちに、次の「巻向駅」で降りたくなった。
もらった冊子「さくらい」を見ているうちに、古代大和発祥の地「纒向遺跡」
ちょっとだけ体感したくなったのだ。

(↑「纒向遺跡」にリンクしたサイトは、たった今見つけた。行く前に読んでも、
知識が脳に定着しないんだから仕方ない。やっぱり同じ場所に2回は行かなくちゃ
ならないわ)

S

ここも無人駅、でも近くには真新しい住宅街が出来ていた。
駅前の案内板を見て歩き始めたが、それらしきものは見当たらない。
近くを通りかかった若い人に聞いたら、遺跡がどこにあるか知らないという。

S_2

新住民かな?この住宅街はどうみても「まほろば」って雰囲気じゃないわ。
中学生らしき女の子が通りかかったので聞いてみたら、ちょっと首をひねって
「たぶん、あの団地の向こう側だと思う」と教えてくれた。

田んぼの中にコンクリートの建物が建っている。かなり距離がありそうだ。
女の子にお礼を言って、ともあれその方向に向った歩き始めた。行き方が分から
ないので、途中から農道のような道に入ると、突き当たりに小さな神社があった。
これが遺跡でないことは明らかだが、暑いのでちょっとひと休みしようと、神社の
木陰に座った。

S_3

日本各地の過疎の村にありそうな質素な神社だ。境内といってもほんの少し広場が
ある程度。神社のわきの物置小屋のような建物は集会所だろうか。でもその広場の
片隅にある岩を見てビックリした。

S_4

「天照御魂神社」と彫ってある。「え~すごい名前の神社じゃないの」と、あら
ためて境内を見回した。
(さきほどネットで検索した。↑ もうちょっと歩けば纒向遺跡だったのね)

S_5

神社名が刻まれた岩のすぐ隣には御神木が立っていて、傍らの石碑には「明治神宮
遥拝所」という文字が読める。「明治神宮って、代々木のあの明治神宮のこと?」
日本一初詣客が多い東京の巨大神社と、参拝客もなさそうな田んぼの中の小さな
神社と、何かつながりがあるんだろうか?

S_6

境内のすぐ脇にはこんなストーンサークルみたいなものもあった。ここで火でも
たくのかしら?

すぐ近くには人家があって作業している住民もいたのだが、根掘り葉掘り聞くのも
憚られて、その神社を後にした。たぶん神社のすぐ向こうには、纒向遺跡があるに
違いない。

ところが、先ほどまでカンカン照りだった空に、何だか怪しげな雲が漂ってきた。
雷雲かも知れない。遺跡の周囲はだだっ広い田んぼだから(写真で見ただけ)、
そんなところで一人ウロウロしていたら、雷にやられてしまうかも知れない。

雨が降ってくる前に、私は急いで駅に戻ることにした。
暑さで体力をたいぶ消耗してしまったこともあるけど。

またまほろば線で天理まで行ったが、歩くエネルギーはもう残っていなかった。
石上神宮は今回は諦めよう。それに私には、奈良に来たからにはもう一ヶ所行き
たい場所があった。2010年7月にオープンした奈良国立博物館の「なら仏像館」だ。

熱中症で倒れる前に、涼しい博物館で心身のリフレッシュしたほうが良いだろう。
私は近鉄に乗り換え奈良に向った。

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コメント

お疲れさまでした。
雷は怖いですものね。
奈良でもこのあたりは住宅街なのに無人駅があるんですか。知りませんでした。
すぐ近くまで行ったのにたどり着けなかったのは残念でした。
でも、また行く理由が出来たと思ってまた来てくださいね。

大神神社へはいつも車で行くので途中いっぱい神社の鳥居でてきて、どれがどれが分からないぐらいです。
こちらで紹介された天照御魂神社は行ったことないですが、その背後にあるのが纒向遺跡だと思います。
このあたりJR万葉まほろば線をまたいで169号線は大きくカーブするので、車窓より箸墓古墳の前方後円墳が目に入ります。
円墳ではないし、いろんなことから卑弥呼ではないと私は思っているのです。

先記事の大神神社のくすり道、すぐのところに磐座の少彦名神社鳥居がありましたでしょう。
そこをあと50mぐらい行くと左手に池があり、すぐ目の前に狭井神社の鳥居と階段があります。
この神社社殿後ろにくすり井戸があります。
社殿右手より三輪山に登ることができます。

石上神宮は山すそまでこれまた天理駅からかなり距離があり歩くとしんどいかも。
いそのかみ、と入力すると石上と変換します。
こう詠むにはなんか理由があるのでしょうね。

HANAさん、巻向駅の住宅街に住んでいる人は、ほとんど車を利用するんでしょう。JRまほろば線は、通学の子供か近所のお年寄りか観光客が利用するくらいでしょうね。電車はワンマンカーで、運転手さんに切符を見せて乗り降りしていました。Suica の場合は読取機にかざすだけですけど。

あとで地図を見て分かったんですが、もうちょっと歩けば纒向遺跡でしたねえ。でも遺跡そのものが広いので、今回はやっぱり無理でしたわ。5分外にいるだけでクラクラめまいがするような猛暑でしたから。

ところで、この小さい神社、なかなか味があると思いません?
私、何だか気に入っちゃいましたよ。

うららさん、大神神社から境内マップを貰ったので、狭井神社も薬井戸も知っていたんですが、磐座神社のお参りで満足して帰ってきました。

私の旅はいつもこんな調子なんですよ。海外旅行でもそうなんですから。名所旧跡を見逃すことはよくありますが、名所旧跡以外で思わぬ発見があったりするので、このスタイルはなかなか変えられません。

今回は纏向遺跡のすぐ手前でUターンしちゃいましたが、昔の集落の名残がある素朴な神社と出会えて良かったです。「明治神宮遥拝所」というのが、いまだに分からないんですけどね。

ところで昨日の新聞によると、箸墓古墳は他の古墳に見られない特異な構造をしているそうですね。宮内庁が公開していなかった資料を、朝日新聞が情報公開請求して入手したんだとか。

私は聞きかじり程度の知識しかないんですが、それが邪馬台国であるなしに係わらず、同時代に大和地方に強大な国家があったことは事実でしょう。

数日前のニュースによると、新潟県の4世紀前半の「城の山古墳」から、大和政権の影響を示す副葬品が発見されたとか。これまでの発掘では、能登半島が大和勢力の北限だったようです。

新潟では「歴史を変える大発見!」と大盛り上がりのようです。ほとんど盗掘されていないので、貴重なものがいろいろ出てきたみたい。
「城の山古墳」は新潟でも北にあるので、私は行ったことがないんです。今度行かなくちゃ。

ちょっと検索してみたら、この天照御魂神社って古代に太陽の動きを観察する場所だったようですね。
今はうらぶれてますけど、その当時は先進テクノロジーの観察機器設置してたのかもね。

新潟の「城の山古墳」の記事、私も読みました。
古事記に会津の地名の由来は、ここで●●と○○が逢ったというのはほんとだった…と書かれてありました。
●と○の固有名詞は覚えてない情けないうろ覚えの情報です。

うららさん、そうですか、神社の前にあったストーンサークルみたいなものは、太陽を観察する設備だったんでしょうか。
天照御魂神社はうらぶれていましたが、それが却って味わい深くて、印象に残りました。

新潟の「城の山古墳」も、パッと見たところ何の特徴もない丘ですが、それが遺跡だったとは。よくこれまで盗掘されずに来たものです。

「古事記」の会津の地名にはそんな物語があったんですね。本当に興味深いです。それにしても古い地名って誰がいつ名付けたんでしょう。
私も固有名詞は覚えられません。覚えようという意欲もないんです。必要性が生まれたら覚えることにしますわ(^_^)

古事記に記載されているエピソード、調べてきました。
崇神天皇の時代、諸国平定の任務を終えた大彦命と、その子・建沼河別命が会津で合流した。
よってこの地を会津となった
オオヒコは北陸から新潟へ、そして福島の会津へ廻られたと古事記には書かれています。
この城の山古墳の発掘で、ヤマトの北限が早い時代であったことを検証できて、古事記に書かれたことはウソではなかったどわかったそうです。


>うららさん
古事記など文字で残されたものは、奇想天外な架空の物語と思いがちですが、その背後には歴史の事実がありそうですね。

出雲の地で銅剣、銅鐸など発見されるまでは、出雲は単なる「神話の国」でしたが、膨大な数の銅剣や銅鐸が発見されて「神話」から「歴史上の重要な地」へとイメージが変わりました。

考古学は地味で忍耐力が必要な学問ですが、たった一つの発掘品が歴史を証明したり転換したりするんですから、始めたら夢中になるでしょうね。

それにしても古事記は面白い。もっとちゃんと勉強したくなりました。

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