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2011年12月

2011/12/31

小伝馬町で坦々麺

年末年始はとくに予定があるわけじゃないのに、部屋はなかなか片付かないし、
掃除も洗濯も買物もやっていない。昨日はとりあえず優先順位の高い年賀状作りを
やって、投函しがてらお昼を食べに出かけた。

目指すは日本橋小伝馬町の「陳麻家」、そこで坦々麺と陳麻飯を食べる。
「陳麻家」はチェーン店で各地にたくさんお店がある。どこもメインは坦々麺と
陳麻飯だ。ところが共通なのはその料理名とうたい文句だけで、味はお店に
よってテンデンバラバラ、とてもチェーン店とは思えない。たいていは不満が
残るのだが、それでも懲りずに満足できる坦々麺を求めて「陳麻家」巡りをする
私だった。

小伝馬町は錦糸町の隣駅「馬喰町」か地下鉄「小伝馬町」からすぐなのだが、
ウォーキングがてら浅草橋から歩くことにした。

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このあたりは問屋街、ほとんどのお店はシャッターを下ろしていた。
土・日は休みのお店が多いので、普段は行けないところに行ってみようと思った
のだが、平日とは言え年末の30日、「陳麻家」はやっているかしら‥‥。
もう1時を過ぎていてお腹はペコペコ、やっていなかったら困るな~と思いつつ
行くと、見落としてしまいそうな狭い入口に「営業中」の札がかかっていた。

お客さんは誰もいなかった。どこの陳麻家でも私が注文するのは決まっていて
坦々麺と陳麻飯のハーフ&ハーフセット。
でもここにはハーフ坦々麺とミニ陳麻飯というレディースメニューがあった。
こういう女性向けメニューはうれしい。「陳麻家」にはまるキッカケになった
「初台店」にもハーフ坦々麺とミニ陳麻飯というランチメニューがあったわ。

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ここはいける。「初台店」と味が似ている。店員が中国人なのも初台店と同じ。
何か関係があるのかな?

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食べ終わったあとで、腹ごなしがてら近くの名所旧跡を訪ねることにした。
最近は街角に土地のゆかりなどを記したプレートが立っている。日本橋はさすがに
その数が多い。それを見て歩くだけで「江戸検定」の学習になりそうだ。

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大安楽寺というお寺の「江戸伝馬町処刑場跡」の碑。
吉田松陰もここで処刑された。

お寺の向かいの「十思公園」という小さな公園のなかに史跡があった。
公園内の石碑には吉田松陰自筆の辞世の句が刻まれている。

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公園内にある「石町の時の鐘」は江戸で最初の時の鐘といわれている。
説明文によると、この時の鐘を合図に処刑が執行されたのだが、処刑者の延命を
祈るようにいつも鐘が少し遅く鳴らされたんだとか。

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東京駅まで歩いて電車で帰るつもりだったが、寄り道したので秋葉原まで歩いて
電車に乗った。ひっそりとした小伝馬町界隈がウソのようにアキバは人でいっぱい
だった。

2011/12/25

格安航空旅行

LCC(Low cost carrier)「格安航空会社」が注目を集めている。貧乏旅行者に
とっては有難い話だ。私はまだ利用したことがないけど、きっかけがあったら
どこかに行ってみたいな。

ま、私なんか、さしずめLCT(Low cost traveler)ってとこかしら。

年末年始などのオンシーズンは家でジッとしていて、シーズンが終わったころ
隙間をぬうように旅行に出かけるのが私のパターンだ。
今は歴史的なユーロ安円高だから、お正月気分が消え去った2月にヨーロッパに
でも行ってこようかと、この間からネットで安い航空券を探している。

最初に考えたのはシチリアだった。でも南イタリアとは言っても、シチリアの冬は
かなり寒い。前回行ったとき(たしか3月だったと思う)寒さに震え上がって、まず
最初にコートを買ったくらいだから。

それに乗換えに時間がかかって強行軍になりそうなので、今回はムリしない
ことにした。トシのことも考えないとね。

もうひとつの案は、北イタリアからトスカーナまでの地方都市を巡る旅だが、
このコースの場合は海岸沿いの小さな町チンクエ・テッレが外せない。
となると冬はちょっと厳しいかな。

それで結局ローマ近郊のエトルリア人の遺跡を訪ねることにした。
前回のイタリア旅行のときも、ここに行きたいと思いつつ実現しなかったのだ。
いつまでも海外ひとり旅が出来るわけじゃないので、行けるときに行っておか
ないと‥‥。

いくつかのローマ行きフライトを調べて、料金が安くて時間的にも余裕がある
(早朝とか深夜とか乗換時間がきついとかでない)エア・チャイナに的を絞った。

‥というわけで、この間からエア・チャイナのサイトで料金調べしているのだが、
今日はどういうわけか1週間前よりだいぶ安く10万円をきっている。
(北京で2泊するつもり)
もうこの辺が手の打ち時かなと思い、頑張ってオンラインで予約をした。
ついでにホテルも(北京2泊、ローマ5泊)予約完了。

終わったら目がショボショボしてしまったわ。老化は目から始まるのね。
北京は空港への交通の便がよいホテルにした。ローマはユーロ安のおかげで
かなり高級なホテルもいけそうだったが、近郊に行くとしたらテルミニの近くが
便利なので、前回泊まったホテルにした。

安いフライトやホテル探しは手間ヒマかかるが、これが旅の楽しみにもなって
いる。当たりかな~外れかな~という、ワクワク感もあるし。

Nec_0004s

夜、食料調達に出かけたら、今日はクリスマスイブということで街は賑やかで
スカイツリーもちょっぴりライトアップされていた。
白だけのツリーは、明かるさは抑え気味だけど、クリスタルガラスか江戸切子
みたいできれいだった。

2011/12/19

年末は第九

昨日は「すみだトリフォニーホール」で年末恒例の「第九」を聴いた。
妹が年末には第九を聴きたいというので、ふたりで毎年どこかのコンサートに
行くことにしている。

都合よくチケットがとれたところに行くので、毎年オーケストラは違っていて、
今年はすみだトリフォニーホールをフランチャイズにしている「新日本フィル」に
なった。

出来るだけ良い席にしたかったが、もう真ん中あたりは埋まっていた。
でも座席表をよく見ると、脇のバルコニー席の最後尾が2席残っていたので、
1階の端っこよりこちらのほうを選んだ。同じS席だけど、バルコニー席は両脇に
人がいないから、足を延ばしたり椅子にもたれかかったりして、リラックスできる
のだ。

2s

開演前なのでスマホカメラで写真を撮ったら、スタッフに「電源を切り忘れる人が
いるので、開演前でも写真は撮らないでください」と注意されてしまった。
というわけで、ホールの写真はこれ1枚。

すっかり日本の年末の風物詩になっている「第九」だが、世界的にはとても珍しい
ことらしい。海外には第九を振ったことのない指揮者がいくらでもいるんだとか。
でも日本のめぼしい指揮者は飽きるほど第九を指揮しているでしょうねぇ(^o^)

迫力ある合唱と演奏を聴いたあとは気持がスッキリする。1年を締めくくり、
心の澱を流したいという、日本人の心情にあっているのかな。
私も、ドラマチックな第九を南の島の浜辺で聴きたいとは思わないわ。

ところで、鳴門市板東が「日本の第九」発祥の地だということを、徳島に行った
とき初めて知った。板東のドイツ人捕虜収容所を舞台にした映画がつくられ、
そのセットが取り壊されずに残っていたので見学したのだが、そこで捕虜に
よって第九が初演されたことを聞いたのだ。歴史の秘話ってとこかしら。

コンサートは2時からなので、11時半ごろお昼を食べにホール近くのイタリア
レストランに行ったら、かなり広いお店なのに満席だった。
最近の錦糸町は人が増えたような気がするな~。

「そうだドコモからメールで割引クーポンが来ていたっけ」と思い出し、スマホを
ひらいて10%割引になる韓国料理店に行くと、まだそんなに混んでいなくて、
スカイツリーを真正面に見るカウンター席に案内された。

S

お店の人が「明日の朝みのもんたの番組で、ここが紹介されるんです」と言う。
妹はさっそくその情報を写メールしていたわ。自分が出るわけじゃないのにね。

2011/12/10

忠臣蔵

予約していた本が用意できたと図書館からメールがきたので行った。
このあいだ借りたのは「アメリカの医療破綻」だったが、今度は日本の深刻な
現状を書いた「老後の生活破綻」西垣千春著(中公新書)。ともに新聞の書評欄で
みつけたもの。

S

図書館では「忠臣蔵」の資料展をやっていた。そうか、もうそんな時期なのね。
いつも討ち入り時期になると、この近くの吉良邸跡で「元禄祭」というのをやる。

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案の定今日と明日は「元禄市」とかで、吉良邸周辺の路地は出店が並んで
賑やかだった。

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この手の露店市はどこでも見かけるなあ。吉良さんとも四十七士ともまったく
関係ない安物ばかりだけど、物色するのは楽しい。

S_5

吉良邸跡は狭い公園になっている。もちろんお屋敷はもっともっと広大だったが、
今はその面影もない。

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この辺りはやっぱり吉良上野介に肩入れする人が多いんじゃないかな。
悪役としてのイメージが定着している吉良上野介だけれど、本当は名君だったと
いう説がある。

故杉浦日向子の「大江戸観光」(ちくま文庫)に忠臣蔵についてのエッセイが
載っている。それによると、彼女の親は吉良の血縁である米沢の人で、そういう
関係もあって「忠臣蔵」の物語はどうしても好きになれないのだとか。

忠臣蔵というお芝居は吉良が敵役じゃないと盛り上がらないから仕方ないけど、
やっぱり気の毒な面があると思う私だった。

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(クリックすると拡大します)

ついでに回向院に立ち寄った。江戸時代の明暦の大火のとき建てられた寺院で、
幾多の災害で亡くなった人々や動物などを弔っている。でもこの寺院の目玉は
「鼠小僧の墓」だろう。

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ご利益があるとかで墓石を削る人が絶えず、今は墓石の前に代わりの石が
置かれている。とくに受験生が削っていくようだ。

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2011/12/04

地下通路歩いて紅葉狩り

千代田図書館にオンラインで本を予約しようとしたら、あれれパスワードが分か
らない。どこかにメモっていたはずだが、いくら探しても見つからない。
それで今日パスワードを教えてもらいに、日比谷図書館まで足をはこんだ。

Rs

東京駅丸の内の地下通路を通って日比谷公園まで行くのが、私のいつものウォー
キングコース。途中の「行幸地下ギャラリー」(東京駅からまっすぐ皇居に向って
のびる行幸通りの下)ではフォトコンテストをやっていた。

「東日本大震災支援」を目的にした「CLICK FOR HOPE」というコンテストで、
趣旨に賛同して寄せられた850点の作品のなかから50点を選んで展示して
いる。その中から「希望」を体現していると思う作品を一般の人に投票してもら
おうというもの。

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私が選んだのはこの作品だ。海はときに脅威となるが、見知らぬ世界に誘っても
くれる。tmphoto「tomorrow」というタイトルも気に入ったわ(^o^)

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ネコちゃんのしぐさが可愛いい(↑)

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それにしてもこの「行幸地下ギャラリー」はいつも人がいない。せっかくの写真が
気の毒だ。丸ビルと新丸ビルの間にあるのだから、東京駅で時間つぶしする人は
ぜひ見に行ってほしい。

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ギャラリーの突き当たりは大手町から日比谷公園までのびる長い通路で、地下鉄
改札口やいくつかのビルの入口がある。私が行く土日はいつも人通りが少ない。

このあたりの地下通路は地下街のようなお店はないけれど、信号待ちもないし、
車も自転車も来ないし、お天気にも左右されない、とっても有難いウォーキング
コースなのだ。距離もダントツで長い。

S
都市地下空間活用研究会(通称:地下研)調べ。

Rs_6

その通路を歩き日比谷公園のところで地上に出ると、ここ数日の冷え込みで一気に
紅葉がすすんでいて、写真を撮ったりスケッチしたりする人たちで賑わっていた。

Rs_7
日比谷図書館(正確には千代田区立日比谷図書文化館)のすぐ前の銀杏の木。

帰りは日比谷から西銀座経由して東京駅八重洲まで地下通路ウォーキング。
途中の「東京国際フォーラム」では、同じリクルートルックの若者でイベント会場が
埋め尽くされていてビックリした。ユニフォームみたいに皆同じ服装なのだ。

その隣の会場は「物産展」をやっていて、こちらはカラフルだった。
人だかりしているところを見たら、ゆるキャラグランプリで1位になった「くまモン」の
姿があった。くまモン、なかなかの人気のようだ。

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2011/12/03

本所開拓

墨田区本所は時代劇でおなじみの町だ。時代劇というと登場する人物の多くが
一般庶民なので、私はこれまで「本所は庶民の住む下町」と単純に考えていた。
ま、本所のことも墨田区のことも何も知らなかった、というのが本当のところだ
けれど。

最近になって江戸に多少興味がわいてきて、墨田区役所とすみだ郷土文化資料館で
やっていた「本所開拓の歴史」資料展を見に行った。

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江戸市街は「明暦の大火」で未曾有の被害をこうむった。幕府は江戸を防火都市に
再建する必要性を痛感した。そのためには武家屋敷や寺社、町屋の多くをどこかに
移転させなければならない。そこで目をつけたのが、隅田川をわたったところに
ある「本所」だった。

もっとも、古い地図を見ると、本所開拓以前にもすでに武家の下屋敷が多く建ち
並んでいたことがわかる。幕府は正確な測量技術を用いて本所を格子状の街区に
つくりなおし、武家屋敷や町屋を再配置していった。

「本所」は荒蕪地を埋め立てて開拓したため、地盤が低く、インフラ整備が欠かせ
なかった。幕府は人工河川を縦横に開削し(竪川や横川)、洪水を防ぐために
土手や道を高くし、堀川や割下水をさらうといった努力を続けた。

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ところが延宝8年(1680年)、本所は暴風雨が吹き荒れ、高潮が押し寄せて多くの
溺死者が出るという激甚災害に見舞われた。武家屋敷も町屋も水につかり、人が
住める土地でなくなったため、幕府は本所開拓を断念し総上地を行った。

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現在の竪川水門。

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この出来事をこれまで開拓断念という意味で「江東撤退」と呼んでいたが、今回の
展示会では、「新たな見解」として、幕府が本所大改造を計画していたと指摘して
いる。

本所総上地のあと幕府は初期の格子状街区をすべて廃棄し、これまで広かった
道幅を狭めるという街区再編をすすめた。武家屋敷用地をより多く確保するため
だったのではないか。

なるほど、展示会のタイトル「武家地創出」の理由がやっと分かったわ。

展示されていた古文書や古地図には「弘前藩津軽家」のものがいくつもあった。
他にもいくつかの武家屋敷があったようだが、今でも「弘前藩津軽家」の名残が
本所のここかしこにあるから、このあたりでは一番のお屋敷だったのかな。

S_2

現在の北斎通りは江戸時代「南割下水」だった。
この通りに面した緑町公園で行われる「北斎祭り」で、「弘前金魚ねぶた」を作って
いた。

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文字プレート写真はクリックすると拡大します。

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