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2011/09/04

杭州旅行(孫権子孫の龍門古鎮)

諸葛孔明の子孫の村のあと孫権の子孫の村「龍門古鎮」へ行く。

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東漢時代の文学者が「山紫水明で、中原龍門にも勝る」と絶賛したことで名付け
られた「龍門古鎮」には、明や清の時代の建築物が建ち並び、その間を縫うように
玉石を敷き詰めた道がつながっている。

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ガイドさんによると、孫権の何代目かの子孫が、川(←名前は忘れた)から流れて
くる石がたまる中流ということで、この場所を選んだのだという。村人の90%が
孫さんだ。石は建物や道などの建築材として使われた。
ちなみに上流には諸葛八卦村があり、下流に杭州がある。

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村の一部しか歩けなかった諸葛八卦村と違って、龍門古鎮は村人の生活の場にも
ドンドン入っていく。時には一般の住宅の中を通っていくこともあったが、住民は
気にする様子もなかった。

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道は複雑でしかも卵型の石が敷き詰められているので、歩き回るのは疲れる。
清末期に太平天国軍が村を占領しようとやってきたが、道に迷ってしまい、結局
撤退したのだとか。ガイドさんも、最初の3回は先輩について道を覚え、4回目に
やっと一人で案内したと言っていた。それでも出口を探してウロウロしていた
けど。

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(最近は携帯が普及したので、こんなプレートがかけられていた)

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道に沿って疎水が流れている。その流れる方向に歩いていけば、迷路から抜け
られるガイドさんが教えてくれた。

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小さな痩せた猫ちゃん。ご飯、食べていないの?

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(文革のスローガンと計画表)

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(これは最近のスローガンだよね?)

古い石造りの建築物はもちろん魅力的だが、私の印象に残ったのは、文革時代の
スローガンなど近現代の名残のほうだった。

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ところで、諸葛八卦村でも龍門古鎮でも村のもっとも重要な施設は、当然のこと
ながら祖先を祀る御堂だ。玉石を敷き詰めた広場に面して「孫氏祠堂」が建って
いて、その中に見覚えのある孫権の大きな肖像画がかかげられていた。

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孫権は黄色い髪と青い目の人物だったと歴史書に書いてあるらしいけど、漢民族
ではなかったのかな?

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家系図には近代中国の父「孫文」の名も見える。私から見ると孫権より孫文の
ほうが大物度は上だと思うけど、中国人の評価はどうなのかしら。

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ちなみにこちら(↑)は諸葛八卦村の家系図。現在は第55代目で、第47代の
人が日本に留学したと書かれていた。初期の時代はずっと子供一人だけで
細々と家系がつながってきたようだ。

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古い歴史を持つ龍門古鎮だが、真夏のせいか観光客の姿は少なかった。
村の主要な産業はラケット作りだとガイドさんから聞いた。

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旅・中国」カテゴリの記事

コメント

ろうまさん、龍門古鎮、数年前に杭州滞在中に「中秋の名月を龍門古鎮で見る」、というツァーに参加して行きました。

夜、真ん中にある広場で名月を眺める予定だったんですがmistrainmistで月は全く見えずでした(;ω;)。

でも夜に観光客が入れるのは限られた時だけということで中国らしい提灯が下がっているところを見て回るのは楽しかったです。

「孫氏祠堂」(だったと思う)では劇をやってくれましたし、暗かったのであまり道とか詳しいところは見えなかったんですが、その方が見えなくても良いところは見なくて良かったのかもしれません。

夜だから道が良くわからないのかと思ってましたが、昼間に行っても迷うんですね。そういえば納屋のようなところを通って行ったように思いました。

龍門古鎮いらっしゃいましたか。杭州に行ったとき、ここに行くか烏鎮に行くか迷って、結局、有名で交通も便利な烏鎮に行きましたが、ここのほうが観光化されてないだろうなとか思っていました。

文化大革命のスローガンをたまに見ることがありますが、なつかしく思いますね。自分もこういうのを見るのが好きです。

HANAさん、龍門古鎮で中秋の名月をめでるなんて、情緒たっぷりですね。雨で残念でしたが、でも夜はまた特別の雰囲気があったんじゃないかしら。

年に一度(たぶん)世界各地の子孫が集まる祭祀があるそうで、そのときは夜も賑やかでしょうね。きっと観光客もたくさん来るんでしょう。

そういう特別の機会でもない限り、夜は門を閉じていると思います。
観光客がほとんどいなかったせいか、私達が帰る頃には木戸がしまっていて、ガイドさんが「かって知ったる他人の家」といった感じで、木戸の閂を開けていました。

「勝手に開けて、戸締りは大丈夫かしら」と私は心配しましたが、まああんな迷路のような村に入る泥棒はいないでしょう。入ったところで出られませんから。

私は初めての土地に行くと必ず道に迷う方向音痴ですが、ひょっとしてこういう迷路のような村では、私みたいな方向音痴のほうがスンナリ目的地に行けるんじゃないかと思ってしまいましたhappy01(←そんな訳ないか)

とんびさん、私も水郷の村には行きたいと思っているんですが、今回は「諸葛孔明の子孫の村」を第一目的にプランを立てました。
でもオマケで行った「龍門古鎮」がとっても良くて、もう一度一人で行きたいと思ったほどです。

諸葛八卦村はまだ外の世界に対して警戒心があるような印象でしたが、龍門古鎮は太平天国軍やら紅衛兵やらの襲来を受けても村の伝統を守ってきたゆとりのようなものを感じました。

この辺りにはガイドブックには載っていない古鎮がまだまだあるようです。開発される前に行ってみたいですね。

一人では迷って出てこれなくなるなんてワクワクドキドキで
モロッコのフェズの街みたいですね。

ところで孫権の碧眼のことを調べてみました。
三国演義の記述によれば「孫権生得方頤大口、碧眼紫髯」
(孫権は生まれつきあごが角張っていて、口が大きく、青い目をしていて、ひげは紫色だった)

ところが陳寿の正史三国志の裴松之の注によれば、
孫権の風貌の特徴を記す箇所に「方頤大口、目有精光」
目にはキラキラとした光が有ったということ。

元末明初(14世紀中)に羅貫中が演義を集大成する時に「目有精光」を敢えてこう書き改めた、という可能性があるのではないかとかかれてあるのを見ました。
http://www.geocities.co.jp/Bookend/3106/DIARIES/D0004A/D0004091.html
古代中国人は他国の人を見る時、その人が中華の文明文化を身に付けているかどうかに主な関心が有り、その人がどんな風貌をしていたかには関心が無かった、らしいです。

うららさん、ご紹介していただいたブログの記事はとっても興味深いですね。中国史も三国志も内容が膨大ですが、こうやってポイントになる記事を読ませていただくと、理解が少し深まります。
インターネットの有難いところですわ。

西安に行った時、空海や阿倍仲麻呂がはるばる日本からこの地にやってきたのだと、感慨深く思いました。さまざまな地域から能力のある人々を受け入れたからこそ、古代中国は国際的な文明になれたんでしょう。

ブログの記事の中の李白の詩もいいですね。李白はお酒を詠った詩が多いので、好きなんですよ。

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