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2009/03/12

金賢姫で思い出すこと

今日はお休み。お天気はとても良いけれど、風が強くて、外に出る気がしない。
花粉の飛散が最盛期で、体の調子は最悪なのだ。花粉がおさまるまで、当分は
晩酌も控えようとおもう。アルコールは花粉症に良くない気がするから‥‥。

テレビで久しぶりに金賢姫を見た。凛とした人で、若い時より美しくなった気が
する。過酷な体験をしてきて、価値観が100%ひっくり返る環境のなかで生きて
きたのに、精神的にとてもシッカリしている。

金賢姫で思い出すことがある。
当時はまだ社会主義国だったユーゴスラビアの首都ベオグラードに2~3泊した
ことがあるが、私が滞在した少し前に、北朝鮮から指令を受けた金賢姫と男性が
やはりベオグラードに滞在していたのだ。

その時はもちろん金賢姫のことなど知らなかったが、大韓航空機爆破事件のあと
報道でそのことを知った。

当時のユーゴスラビアは最も開放的な社会主義国と言われていた。
トルコのイスタンブールから寝台列車で丸一日かけて行ったが、途中通り過ぎた
ブルガリアでは通過ビザが必要だったのに、滞在したユーゴスラビアではビザが
必要なかったのだ。

Img_2201s

このときのブルガリアのビザが古いパスポートに残っていた。
これで見ると、私がベオグラードに滞在したのは1987年10月30日か31日
のようだ。そして大韓航空機爆破事件が起きたのは、それから1ヵ月後の11月
29日だから、本当にニアミスだったな~。

ユーゴスラビアは「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、
2つの文字」からなる1つの国家、と言われていた。それをまとめていたのが、
カリスマ的存在のチトー大統領だった。だからチトーが死んだらユーゴスラビアは
バラバラになると言われていたが、その通りになったわ。

チトーの死後すぐに内戦が勃発し、美しい港町「ドブロブニク」の破壊された
様子をテレビで見たとき、途中下車してドブロブニクに行けば良かったと残念な
気持になった。

でも内戦が終わって独立国家が誕生すると、破壊されたドブロブニクも復興し、
今では世界遺産となって観光客が押し寄せている。

今回BAでハンガリー旅行したが、プラン段階で「ブダペスト」にしようか「ド
ブロブニク」にしようかと、少し迷った。
でもドブロブニクに行くのなら、アドリア海を挟んで向い側にあるイタリアと
セットにしたいので、今回はプランから外すことにした。

激動の20年を生きてきた金賢姫と旧ユーゴスラビア諸国、そしてハンガリーなど
東欧諸国。平々凡々と年ばかり重ねる私とは、同じ20年でも中身の濃さがまるで
違うわね。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ろうまさん、大韓航空爆破事件のころにベオグラードに滞在されたことがあったなんてすごいですね。
当時は東欧諸国は通過にもビザが必要で行きにくい国でした。行けない国じゃなかったけど。

ブルガリア人やハンガリー人の同僚は亡命してアメリカにいましたが入国するためのビザが下りず父親の葬儀にも参列できなかったんです。私が日本のパスポートだとたいていの国に行くのに不自由がない、というととてもうらやましがられました。当時から日本のパスポートを持っていることはとても便利だったんですよ。
もちろん当時はビザが必要な国が多かったですけど。
今彼女は壁崩壊でアメリカの年金をもらってブルガリアで家を買って優雅に暮らしているらしいです。
週末にはギリシャに食事に行くと言ってました。
この20年で本当に変わったと思います。

金元死刑囚って、流転の人生だったからこそ、それでも生きていかなければならないという困難な道を選んで強くなられたのだと思います。聡明で礼儀正しいのは言動からわかりますけど、犠牲者の多い国で暮らしていくことは大変だと思います。自殺したもう一人の犯人のほうが楽だったかもしれません。

大韓航空は今年で40周年だそうです。昔は安かろう悪かろうという航空会社の代表のように言われていました。知っているだけでもNYからの便が撃墜された事件やソ連に強制着陸して銃撃を受けた事件、それにこの爆破事件と数年おきに大きな事件が起きて安いけど安心して乗れない航空会社のように思われてました。
今や世界でも有数の航空会社になり(旅客数で17位らしい)エアラインランキングでも乗客の満足度も上位です。どんどん日本だけでなく世界中にネットワークを広げているようです。
北朝鮮が今後変わってテロの心配がなくなったらもっと発展すると思いますけど、どうなるんでしょう。

HANAさん、こんにちは。

大韓航空機爆破事件もニアミスでしたが、ソ連崩壊もニアミスだった私です。
もうあと1週間モスクワからの帰国がずれていたら、歴史的瞬間をこの目で見られたのにと、ちょっと悔しいきもちです。

東西の壁が崩れるまで、旧共産圏の人々には激動の日々だったことでしょう。HANAさんがいらした頃のNYには、祖国を逃れてきた人がたくさん暮らしていたんでしょうね。

アメリカの年金をもらって、ブルガリアで暮らしているHANAさんのお友達は、今のような優雅な生活が待っているなんて想像もできなかったことでしょう。

でも考えてみれば、日本もほんの数十年前は戦争していたんですから、戦争のない今の日本に生まれたことは、とても幸運だったんですね。

毎日の暮らしは楽しいことばかりじゃないけれど、平凡な私のようなものが、好き勝手に世界各地を旅行できるんですから、それだけで十分に幸運だと思わなくちゃ‥‥。欲張っちゃいけませんよね。

ベオグラードに行ったときは、トルコのイスタンブールから列車でブルガリア、ユーゴスラビア、ヴェネチアを経由してローマというルートだったんですが、これ「オリエント急行」のコースと重なるんですよ。

でも優雅なオリエント急行とは正反対の大変な旅でした。ずっと体調が悪くて食欲も無かったんですが、ヴェネチアに着いたとたん元気になったんです。やっぱりイタリアの水は私にあっているんだな~と思いました。

ところで大韓航空ですが、本当にステータスを上げましたね。昔は乗るのが不安でしたが、今は海外旅行のとき必ずチェックする航空会社です。

安いといえば、アエロフロートはその代表格でしたが、最近は乗る気になれません。アメリカ系よりサービスはマシかもしれないけど‥‥。

最近は航空会社の浮き沈みが激しいので、どこがベストエアラインなのか判断が難しいですわ。

金賢姫の報道はいろいろ考えさせられました。
サッカーのオシム監督も戦禍を体験されているのですよね。
ユーゴスラビアの監督を引き受けられていた頃のエピソードが印象に残っています。
いろいろな体験を乗り越えて強くなっていくのですね。

それにしてもTMさんのニアミス体験もすごい。
鉢合わせしてたらそれこそ大変ですよ。
大きな事象の以前はもう二度と見ることができないから、いい体験されてますね。

うららさん、ウズベキスタン旅行からお帰りなさい。

ウズベクはいつも私の旅行予定リストにある国です。
お話も写真も楽しみにしています。でもまず疲れをとってくださいね。

そういえばオシムさんはユーゴスラビアの監督だったんですね。ああいう複雑な国ですから、チームも多くの問題を抱えていたんじゃないかしら。言葉では言い尽くせないほどのご苦労があったことでしょう。

私が行った時のベオグラードは、社会主義国にしては自由な雰囲気の都会でした。まさか北朝鮮の工作員がいたなんてね~。あとで聞いてビックリですわ。
工作員にスカウトされなくて良かったわwobbly

海外旅行をすると、日本との歴史や文化の違いだけでなく、今現在の世界を肌で感じることができますね。ウズベキスタンは、そういう要素がぜんぶ集まっている国なので、私も早く行ってみたいわ。

以前どこの植民地や支配を受けていたかでだいぶ異なりますね。
イギリスやフランスと違いソ連だったことが、ウズベキスタンをそのまま残してくれたことも大きいかもしれません。
しかし今は急ピッチで観光化進んでいます。
旅行者の快適さと引き換えに、その国独自の文化も薄まります。
出来る限り早く行かれることをおススメします。

うららさん、こんにちは。

本当に世界の変化は急ですね。
社会が安定して経済が発展し、人々の暮らしが良くなるのは喜ばしいことですけど、それとともに伝統的な社会も変わっていかざるを得ないでしょう。

早くウズベキスタンに行きたいけれど、お金も休みもままならないので、まずうららさんのお話を読ませていただくことにします。

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