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2005年12月

2005/12/30

心に残る絶景バトン

あづま川さんの「tt-blog」の「今年のお気に入り写真」に触発されて、
私も今年一年のまとめをすることにした。

頭に浮かんだのが、以前うさぎさんからいただいた「心に残る絶景」バトンだ。

どちらかというと自然の風景より人間がらみの光景のほうが好きなので、印象に
残っている絶景は少ないが、街並みも遺跡も含めて心に残った景色ということで
あげてみた。でも海外絶景は10も思いつかないので、絶景5と街5の合わせて
10選とした。

海外絶景5選

(1)イスタンブールの夜景

イスタンブールの夜景は、そのどれとも比較のしようがない。それは別の次元の
戦慄さえ感じさせる壮大な夜景だ。
(五木寛之、世界漂流、イスタンブール小景より)

ほぼ同じ時期に同じホテルに泊まってこの夜景に遭遇した。

(2)クスコの夜景

マチュピチュからの帰り、深夜になって列車はやっとクスコを取り囲む山の上に
たどり着いた。
そこから、すり鉢状の底にある町の中心を目がけて、列車はスイッチバックを繰り
返しゴトゴト降りていく。

白い街路灯に浮かびあがるインカ帝国の都は幻想的だった。
上空を仰ぐと、今まで見たこともない大きな星が、すぐ近くで瞬いている。
手を伸ばせば届きそうだった。

私は銀河鉄道に乗って宇宙基地に降りていくような錯覚にとらわれた。

(3)ラサから成都へ向かう航空機の窓から

チベットのラサでは高山病に苦しんだ。
毎日毎日午前中は起き上がることが出来ず、チベットの奥地に行くのは諦めた。

でも帰りの飛行機の窓から、エメラルドグリーン、群青色、スカイブルーの大小
さまざまな湖を眺めることができた。心を揺さぶられる景色だった。
ヒマラヤのふところ深くにあるこれらの湖は、神様がつくったとしか言いようが
ないほど神秘的だった。

(4)ルクソールのハトシェプト女王葬祭殿

湾岸戦争のときに一人でフラッとエジプトに行った。
深い考えも下調べもせずに。

その報いは悲惨なものだった。
これほど過酷なカルチャーショックは、後にも先にも経験がない。

ルクソールではついにダウンして、3日間まったく食事もせずにホテルのベッドで
苦しんだ。もう日本に帰れないかも知れないと思った。でも何とか動けるまでに
回復し、エジプト人ガイド兼運転手に案内されて行ったのが、この「ハトシェプト
女王葬祭殿」(デル・エル・バハリ)だ。

運転手はお昼のお祈りのために村に行き、私は彼が戻ってくるまで遺跡で一人
待つことになった。湾岸戦争のためアメリカ人と日本人はほとんど見かけず、
たまにやってくるヨーロッパ人ツアーが引き上げてしまうと、この広大な遺跡に
いるのは私だけ。

でも寂しいとは思わなかった。むしろ滅多に無い幸運に感謝した。
こんな壮大な遺跡で一人ぼんやり過ごすなんて、何だかハトシェプト女王になった
気分だわ。

それから数年後、この遺跡で過激派が観光客を襲い、日本人を含め多くの観光客が
射殺された。今はもう一人でエジプト旅行することなど考えられない。

(5)秦の始皇帝兵馬俑坑

秦の始皇帝の陵墓のすべてを知りたい。でも発掘も探査も私が生きているうちは
望めないようだ。気が長い中国人。


好きな街5選

(1)東京

常に変化し続ける街。私の人生を支えてくれる街。

(2)ローマ

東京の対極にある街。過去の膨大な遺産は枯れることがない。

(3)ニューヨーク

多様な人種、民族が同じ街で暮らしている。それだけで十分驚異だ。

(4)香港

街歩きが楽しい。

(5)大阪

最後はちょっと迷ったが、長いアーケードがいくつもある大阪にした。
私は商店街とかアーケードとかショッピングセンターとか市場とか、とにかく
暮らしの匂いがプンプンするところが好きなのだ。そういうわけで、余り行った
ことがないけど、大阪にした。旨いものもドッサリありそうだし。
神戸や京都はたまに訪れるくらいが良さそう。

村上春樹とアキバ系

村上春樹の小説には、現実感のない登場人物が多い。
どこにでもいそうな人物なのに、ひどく観念的で、実体が不明瞭だ。

小説のフレーズを借りると「ありきたりの基準でものを考えない」「常識的な枷
にとらわれたりしない」人物らしいが、常識だの非常識だのと関係のないところで
存在しているような気がする。

今の日本にはそんなタイプの人間が増えているのではないか。
はっきりした理由はないが、なんとなく村上春樹に共鳴してしまう人達。
先日「アキバ系」のテレビ番組を見ていて、ふとそんなことを思った。

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昔はイタリアを非常識なとんでもない国と思っていたけれど、まるでアメーバの
ように社会の仕組みや価値観が変わる日本が、あっという間にイタリアに追いつき
追い越してしまった。今や「何でもアリ」の社会だもの、日本は。

年末で終了した「プロジェクトX」が、すっかりノスタルジーの世界ですものね。

2005/12/28

アルベロベッロ

アトムズさんとマリさんがアルベロベッロの話を書いている。
それで私も、もうン十年も昔のことだが、アルベロベッロに行ったときの
ことを思い出した。

もっともアルベロベッロ自体はモロ観光地という印象で、それほど感動
しなかった。記憶に残っているのは、そこに行くのに乗ったローカル列車
のことだ。

途中駅から中学生くらいの男の子が一人乗ってきて、車内はガラガラに
空いているのにわざわざ私の前の席に座り、「僕の家はすぐそこだから
よっていかない?」と言うのだ。

「生意気なガキめ」と思ったが、子供の頃からイタリア人はイタリア人なんだ
と感心もした。

そうそう、シチリアの遺跡でもおませな小学生の男の子と会ったっけ。
学校の先生に引率された小学生低学年のグループが、日本人の私を見るや
「日本語でサインして」などと言ってきたのだ。その中の一人の男の子が
大げさに「ケ・ヴェッラ」(何て綺麗なんだ!)と褒めてくれる。

「綺麗」が私のことか(←ずうずうしい)、日本語の文字なのかは分からな
かったが、褒められて悪い気はしないよね。
「可愛い男の子だな」とウキウキ気分になったのを覚えている。

(昔のことなので写真は見つかりません。
アトムズさんのブログ http://atoms.txt-nifty.com/blog/ をご覧ください)

2005/12/17

世界遺産 サン・ジミニャーノ

高い塔がいくつも建っているサン・ジミニャーノも、城壁に囲まれた典型的な
中世の町。門をくぐると少し広めの石畳の坂道がお寺の参道のように延びている。
もちろん通りの両サイドにはお土産屋さんが並んでいるが、シーズンオフなので
閉まっている店も多く、ひっそりしていた。

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通りを歩いて行き当たった広場にツーリスト・インフォメーションがあったので、
シティマップと小さな紙切れにプリントされたバスの時刻表を貰った。

個人旅行の場合は、観光する前に移動手段とホテルの確保をやっておかなければ
ならないので、のんびりお任せ旅行が好きな人には向いていない。
もちろん足の向くまま気の向くままの放浪の旅なら、行き当たりバッタリでいい
わけだが、決められた日程で旅しなければならない私などは、常に帰りのバスや
列車の時刻を頭に入れておかなくてはならないのだ。

でも私は見知らぬ土地をうろつくのが好きなので、この旅のスタイルが続いている
のだろうな。

サン・ジミニャーノはテーマパークのようで、シエナよりもまたいっそう観光地化
していたが、城壁をちょっと出るとこんな民家もあった。

sanjimi0027-s

ヨーロッパには、景観が損なわれるので人目につく場所に洗濯物を干してはなら
ない国もあるが、イタリアの地方ではズラッと並んだ洗濯物が逆にチャーミング
ポイントになっている。

城壁内のもっとも奥まったところにある広場にレストランがあったので、そこで
遅めのランチを食べることにした。サン・ジミニャーノは白ワインが有名なので、
前日モンテプルチァーノで飲めなかったリベンジとばかりにワインを注文した。
これが美味しかった。しあわせ。

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文句を言いながら何度もイタリアに来てしまうのは、食べる喜びをたっぷり満喫
できるからかも知れない。

さすが世界遺産の観光地だけあって、シーズンオフでもバスは1時間に1本程度
あった。最初はもう一度シエナに戻りそこから列車でフィレンツェに行くつもり
だったが、時刻表を見ると、途中で乗り換えなければならないが、同じくらいの
時間でフィレンツェに行ける。

今晩のホテルはフィレンツェ、しかも鉄道駅の隣のバスターミナルからすぐ近く
なので、シエナに戻らずそのままフィレンツェに直行することにした。

世界遺産 シエナ

イタリアには中世そのままの町がいくつもある。
特にトスカーナ地方に多い。

私が最初に訪れたのはオルビエート。時が止まっているかのような静かなたたず
まいと、町の規模とは不釣合いに威風堂々とした教会が印象に残った。

その後アッシジ、ピサ、ウルビノ、ペルージャなどに行ったが、シエナとサン・
ジミニャーノは訪れる機会がなかった。交通の便が余りよくないのだ。

でも今回は日程が最初より長くなったので、なかなか行けないこの二つの町に行く
ことにした。ローマから列車とバスを乗りつぎ、途中ワインの村に立ち寄り、
そこからバスでシエナ駅にたどり着いたら、日はもうとっくに落ちていた。

ホテルは世界一美しい広場がうたい文句の「カンポ広場」のすぐそばなのだが、
古ぼけた建物の4階だか5階にあり、大理石の広い階段をエッチラオッチラ上がった
先にフロントがあるので、見つけるのに苦労した。
暗く静まり返った古い建物の中に入るのはちょっと怖い。

siena0013-s
入り口でワンちゃんが寝そべっていた。

フロントの女性が「分かりにくかった?こんな有名な場所にあるのにね」と笑った。
この立地にしては宿泊料が安いので仕方ないか。

ホテルは昔の修道院のよう。太い丸太の筋交いやレンガ敷きの床が、何だか寒々と
した感じだったが、慣れてくるとこれはこれでいかにも中世らしい雰囲気に感じ
られた。

siena0012-s ホテルの窓から見たシエナ。

ホテルに荷物をおいてから夜の散歩に出かけた。
内陸部なのでローマより冷え込んでいる。
でも夜のシエナは幻想的で、中世の匂いがいっそう強く漂っていて、たくさんの
観光客や住民がその雰囲気を楽しむように石畳の道を歩いていた。

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夜の闇は素晴らしい演出をしてくれる。

昼間のシエナでは、人々の日常生活の一こまを見ることが出来た。
狭い石畳の急坂の道を車がせわしく行きかい、八百屋が店を開け、バールでは
人々がコーヒーを飲みながら談笑していた。

そうそう、これも昼間ならではの光景。

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この写真はシエナのドゥオーモなのだが、お分かりだろうか、この素晴らしい装飾は
実は写真なのだ。シーズンオフで建物はただいま修復工事中、その代わり実物大の
写真が観光客を迎えるというわけだ。

たまたまドゥオーモ前の広場にいた日本人グループのガイドが、「戦後初めての
修復工事なんですよ。滅多に見られないことで、これがこれで価値があるんです」
と話していた。ものは言いようだわ。

シエナからバスに乗ってサン・ジミニャーノに行こうとバスターミナルを探したが、
なかなか見つからない。ガイドブックに載っている場所は、どうやら変更になった
らしい。歩きつかれてサン・ジミニャーノ行きを諦めたころ、偶然行き当たった
のがバスターミナルのあるグラムシ広場だった。

それで結局サン・ジミニャーノに行くことにした。

2005/12/09

ワインの町・モンテプルチャーノ

ソウル発の大韓航空機がローマに着いたのは夕方だった。
特急列車でテルミニまで行き、地図を片手にやっとホテルを探し当て、チェック
インしたらもうすっかり夜になっていた。
その日はテルミニで水とサンドイッチを買っただけ。

翌朝ホテルに大きい荷物を預け、テルミニからミラノ行き特急列車(インター
シティ)に乗った。国際列車ユーロスターなどはスマートだが、インターシティと
なるとだいぶ落ちる。

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コンパートメントの席の上についている電気は、半分くらい切れていた。
乗客も少なく6人用コンパートメントを私一人で独占した。
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予定時刻を20分ほど遅れて出発。

この日の最終目的地はシエナ。世界一美しい広場がうたい文句の世界遺産の都市だ。
でもその前に、今回の旅行でもっとも楽しみにしていたモンテプルチャーノ、ワイン産地
として世界的に有名なトスカーナの町に立ち寄ることにしている。

トスカーナのワインといえば日本人の頭に浮かぶのはキャンティだろうが、他にも
名高いワインの村や町がいくつもある。このモンテプルチャーノもその一つで、
Vino Nobile di Montepulciano (D.O.C.G.ワイン)やRosso di Montepulciano
(D.O.C.ワイン)など、世界に知られたワインをつくっている。普段の生活では
こんな高級ワインは縁がないが、せめて産地に行ったときくらいは贅沢したいと
楽しみにしていた。

ガイドブックにはこれら地方のことは載っていないので、インターネットで情報
集めをした。そして「CHIUSI」駅で降り、そこからバスに1時間ほど揺られると
目指す町があることが分かった。

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「CHIUSI」駅
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モンテプルチアーノ行きバスは1時間に1本。ガラガラに空いていた。

ところで「CHIUSI」駅の駅名の下に「CHIAN CIANO Terme」という文字が見えるが、
Termeというのはイタリア語で温泉という意味で、モンテプルチアーノに行く途中
バスはこの保養地にも停まる。洒落たホテルやレストラン、ブティックが通りに並んで
いて、いかにも高級保養地という印象だった。

この地域はまた「アグリトゥーリズモ」(農家滞在観光)で最近人気があり、バスの
車窓から農家らしくない立派な建物をいくつも見た。シーズンオフだから人影もなく
ヒッソリとしていたが、多分観光客向けのホテルだろう。

中世イタリア半島には多くの小国家が点在していた。
それらの小国家は、今も中世そのままの姿でイタリア各地に残っていて、小高い山や
丘の上にあり、ガッシリとした城壁に囲まれていて、石畳の坂道を上っていくと立派な
教会のある広場に出るというふうに、どこも似たつくりになっている。

車や列車は山のふもとまでしか行かないので、中世の町に入るには、ふもとから
歩くか地元のバスに乗り換える必要がある。

モンテプルチアーノも同じで、オレンジ色のミニバスが急坂の狭い道を縫うように
走っていた。
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歩いても簡単に一周できる小さい町なのに、何軒ものレストランやワイナリー、
エノテカがあった。でもぶどうの収穫も終わったので、観光客の姿はほとんどなく、
閉まっている店も多かった。

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カンティーナ(ワイン貯蔵庫)

ところで、残念ながら、この町でゆっくりワインを味わうことは出来なかった。
ふもとのバスターミナルでシエナ行きのバス時刻を聞いたら、14:10が最終だと
言う。あと1時間半ほどしかない。シエナのホテルを予約してなかったら、この
町で一泊という手もあったが、その日シエナまで行かないと予定が狂ってしまう。

結局モンテプルチアーノでワインを飲むのは諦めて、14:10発のバスでシエナに
向かったが、学校帰りの子供たちを下ろしながら、つづら折りの道をぐるぐる
廻るので、乗り物に弱い私は気分が悪くなってしまった。

バスの座席に横になってシエナまでの2時間弱を何とかしのいだが、絵のように
のどかなトスカーナ地方の風景を眺めることが出来なくて、ちょっともったいない
ことをした。

2005/12/04

ローマでカラヴァッジョ(1)

ゴミだらけとか乱暴とか観光客からぼったくるとか、ローマの悪評はいくらでも
あるが、ローマっ子がそんな体裁などまったく気にせず悠然としていられるのも、
圧倒的な文化遺産があるからだ。

花の都は世界に数あるが永遠の都はローマだけ。
ディズニーがどれだけお金をつぎ込んだところでローマは造れない。
過去に遡って歴史を創っていくことは出来ないもの。

見どころは古代ローマだけではない。
カソリックの総本山「ヴァチカン」と街のあちらこちらにある教会も、ローマの
もう一つの顔で、今も多くの人々の拠りどころとして生き続ける文化遺産だ。

今回のローマ滞在は実質2日間と短かったので、ターゲットをこの教会めぐりに
決めていた。
教会めぐりといっても、教会そのものに興味があるのではない。
その中に収められている芸術品の数々、とくにカラヴァッジョの絵画を見ることが
目的だ。

まだイタリアがリラだったころ、この画家カラヴァッジョは10万リラ札の顔だった。
イタリア人は「世界広しといえども、殺人者がお札になったのはイタリアくらいな
もんだ」と威張っていたとか。

天才はたいてい変人だが、このカラヴァッジョもまさにその手の天才だった。
私生活では近所迷惑な乱暴狼藉者だが、ひとたび筆をとるとグイグイと人を引き
つける芸術家となる。殺人を犯し逃亡生活をしたあげく39歳で客死してしまった
のだが、ああいう天才はどっちみち長生きできないようになっているんでしょうね。

カラヴァッジョ作品がもっとも多くあるのはローマだろう。
前回はボルゲーゼ美術館、カピトリーノ美術館、サン・タゴスティーノ教会、
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会に行った。

今回はその時閉まっていて入ることが出来なかった「サン・ルイジ・ディ・フラン
チェージ教会」と「ドーリア・パンフィーリ美術館」がターゲットだ。
両方とも市の中心部にあるので行き易い。

まずサン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会へ。
途中でサン・タゴスティーノ教会とパンテオンに立ち寄る。
サン・タゴスティーノ教会には「ロレートの聖母」という名作があるが、いつも
人の姿が少ない。少しばかりの寄付をして電気のスイッチを入れると、薄い明かり
が絵を照らす。

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これほどの名画を独占する贅沢感にひたって、なかなか立ち去る気がしない。

こういう経験はローマやフィレンツェなどの有名都市でもよくある。
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂とかウフィッツィ美術館とか超有名どころは
入場制限するほど混雑しているが、ちょっと横道にそれるとあっと驚く名画を、
誰にも邪魔されずにすぐ目の前で見ることが出来るのだ。
しかも教会だから無料。ほんの気持ちばかりの寄付をするだけ。

私がローマで一番好きな建造物のパンテオンも入場無料。
ベンチに座ってドーム天井の明かり窓を見ていると、心も体もホッと一息つける。

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でも最近は観光客がいっぱいで、ゆっくり過ごすことも出来なくなった。

ローマでカラヴァッジョ(2)

そもそもローマは東京に比べるとそんなに大きい都市ではないので、頑張れば
たいていの名所に歩いていけるのだが、とくに今回目指している「サン・ルイジ・
ディ・フランチェージ教会」と「ドーリア・パンフィーリ美術館」はナボーナ広場
周辺にあるので行きやすい。

イタリアの教会は外見はささやかに見えても内部は荘厳できらびやかで、まあ
いわば豪華絢爛といった感じで、私などは威圧感を感じるが、信者にとっては
これが神にふさわしい雰囲気なのだろう。

「サン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会」も、建築物としてはイタリアの
普通の教会だが、なんといってもここにはカラヴァッジョ三部作があるのだ。
もっともイタリアの教会は芸術の宝庫で、ほとんどの教会に目玉商品ならぬ目玉
芸術があるから、お金はないが体力はあるという人にはローマ教会めぐりをオス
スメしたい。

ともあれカラヴァッジョである。
入り口を入って左側の通路を行くと、もっとも奥まったところにその三部作が
あった。グループを引き連れたガイドが説明をしていた。

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教会は暗いので、有名な絵画の前には明かりをつけるスイッチがあることが多い。
スイッチの近くに寄付用の箱がおいてあるので、たいていは小銭を入れてから
明かりをつける。でもここではガイドがしょっちゅう明かりをつけて説明していた
ので、それにあずかることにした。

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近くにはカラヴァッジョを説明するプレートもあった。

ミサが始まったので邪魔にならないようソッと教会を出て、次の目標「ドーリア・
パンフィーリ美術館」に向かった。


ローマでカラヴァッジョ(3)

「ドーリア・パンフィーリ美術館」は元貴族の大邸宅で、その一部を美術館として
公開している。コルソ通りに面していて、トレビの泉からも近く、とにかく便利な
場所にある。

もちろん昔からこの場所にあったのだが、カラヴァッジョを知るまでは、この
邸宅には関心がなかった。でもこの美術館のウリがカラヴァッジョ三部作と知って
から、とにかく一度行かなくてはと思っていた。

HIMG0047-s
邸宅は都会の中心地にあって建築物に囲まれているので、どこからどこまでが
貴族の館なのか分からない。美術館の入り口はコルソ通りでなく、裏手の小さい
広場側にある。近くにこんな泉があった。ローマは泉の多い都市だ。

ガイドブックを見ると、部屋が約1000室、中庭が5つ、玄関広間が3つという広大は
お屋敷のようだが、見る事のできる部屋はほんの一部だけ。

2階が入口でチケットもそこで買う。入るとき英語の音声ガイドを貸すと言われ
たが、聞くだけで疲れそうなので断った。でも後で後悔することになるのだが。

と言うのも、絵画の多くは廊下に並んでいるのだが、その絵を説明する表示が
ない。音声ガイドの番号がふってあるだけなのだ。

もっともカラヴァッジョとかラファエロの絵画は部屋の中にあり、ちゃんと説明文
もあった。この美術館も空いていて、この部屋にあるカラヴァッジョの「エジプト
への逃避途上の休息」と「マグダラのマリア」の2作品を、ためつすがめつ眺める
ことが出来た。

特に「エジプトへ~~」の若いマリアに抱かれた幼子キリストが愛らしく、出来る
ことなら抱きしめてみたいと思わせるような赤ちゃんで、いつまでも見つめていた
くなるのだった。
カラヴァッジョが描く聖母マリアとキリストは、ラファエロの聖母のような気高い
印象ではなく、どこにでもいる若い女性とその子供のようだ。
あの乱暴なカラヴァッジョが、どうしてこんなに無垢な柔らかな赤ん坊を描けるの
だろう。天才の脳細胞は複雑だ。

ところで部屋にカラヴァッジョ作品はこの二つしかなかった。、
私は何度も部屋や廊下を行ったりきたりした。この美術館にはカラバッジョの
絵画が3点あるはずなのに、どういう訳かもう一点が見当たらない。

ろくに下調べもしないで来たので、どの絵が見当たらないのか分からなかったが、
カラヴァッジョ作品なら見れば分かると思って、最初からもう一度丹念に見て
歩いた。そしてやっと見つけたのだ。

その絵「洗礼者ヨハネ」は、廊下のすみに、壁を埋めた多くの絵画の中に混じって
かけられていた。音声ガイドの番号がついているだけだったが、見覚えのある絵
なので間違いない。

どうしてこの絵だけこんな場所にあるのかしら。
余りにもあからさまな少年のヌードなので、ちょっと憚られる部分があったの
かな。いろいろ物議をかもすことの多かったカラヴァッジョだが、お固い宗教者
でなくても、この絵はさすがに礼拝堂なんかにはおけないだろう。

私はクスッと笑いながら美術館を後にしたのだった。

2005/12/01

ローマとプラハ(2)

ところで、ローマの名折れといえば、地下鉄もひどい。
薄暗くて、乱暴で、混雑していて、ゴミだらけ。車体は落書きだらけ。

いったい誰がいつあんな落書きをするのだろうか。もう車体いっぱいに文字が
大書きされていて、日本人観光客などはびっくりして思わずカメラを向けていた
ほどだ。夜、操車場で書くんでしょうね、きっと。

もっとも今回は最新式山手線のようなキレイな車両も見かけた。モニターまで
ついている。この車両には落書きがなかったから、やっぱり旧式車両は暗黙の
了解のもとで落書きしているんだろうな。

その点プラハの地下鉄は、明るくて落書きも無くゴミも落ちていなかった。
だからつい緊張感が無くなってスリにあってしまったのかも知れない。
そう、この二つの都市は、スリが多いことでも世界にその名をはせているのだ。

ところで、プラハの地下鉄のエスカレーターは長く、また駅によっては猛スピード
で動いている。モスクワの地下鉄に似ているかな。
ゆったり動く東京のエスカレーターに慣れているので、この猛スピードは怖い。
でも地元の人は、目が見えず杖をついている人もお年寄りも、普通に利用して
いる。

エスカレーターといえば、乗客がどちら側に立つかが首都圏と関西圏では逆だが、
ヨーロッパはたいてい関西圏と同じで、右側に立って左をあけている。首都圏の
ように左側に立つというケースは珍しい。プラハも関西方式だった。

もっともローマは右も左もない。そもそも規則に縛られない国民性のうえに、
世界中からやって来たさまざまな民族が利用するものだから、テンデンバラバラ
なのだ。イタリア人が、長いエスカレーターの左側に整然と立っている東京の
人達を見たら、不気味に感じるかも知れない。

ローマとプラハ(1)

街の中心部を歴史的建造物が占め、まるで古代ローマや中世ボヘミアに紛れ込んだ
ような錯覚を覚えるローマとプラハ。ともに歴史地区として世界遺産に指定されて
いる。

でもこの二つの都市は、同じヨーロッパでありながらかなり雰囲気が違っている。
街の規模もローマのほうがかなり大きい。歴史的地区の中心部はどちらも歩いて
廻れるが、全部を廻るとなるとローマはかなり体力がいる。でもプラハは、歩く
のが好きな人ならそう苦にならないだろう。

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プラハ城から見たプラハ。

ローマは古く荘厳で重々しい。またローマ市内の一隅を占めるカソリックの総本山
「ヴァチカン」の存在も、ローマを特別な街にしている。
まさに「永遠の都」なのだ。

でもその圧倒的文化遺産に、すっかりあぐらをかいているのが、現代のローマ人の
ような気がする。ローマ中心部は改築や増築が難しいので、常にホテルが不足して
いる。だから無理やりホテルに改造したものが多く、ビルのフロアごとに違うホテル
やペンショーネだったりする。

特に需要の多いテルミニ駅周辺には、もとは広い1室だったものをベニヤ板のよう
なチャチな仕切りだけで数部屋に改造したところが多く、三ツ星なんてうたい
ながらカニ歩きしなければならないほど狭かったり、隣室の物音がびんびん響く
安普請だったりと、とにかく料金だけは超一流の噴飯もののホテルが多い。

永遠の都の名折れだよ、まったく。

まあその中では、今回のホテルはマトモだったといえる。
テルミニ駅から徒歩5分。周囲はちょっと寂しいが、すぐ前にバールがあるし
(朝食はホテルからクーポンを貰ってそのバールで食べた)周辺にはホテルが
沢山あるので、夜遅くならなければ大丈夫。

2himg0029s

イタリアの生活にバール(BAR)は欠かせない。一日に何度も立ち寄って、エス
プレッソやカプチーノを立ち飲みする。エスプレッソはイタリアでならではの味。
日本では飲むことのできない味。これが楽しみでまたイタリアに来たくなる。

日本からソウル経由ローマに到着して1泊、翌日ホテルにスーツケースを預けて
列車とバスでトスカーナに向かい、シエナで1泊フィレンツェで1泊、またローマ
に戻って最初のホテルに2泊した。このときは前より広いダブルルームになった。

2himg0031s

ローマの小さいホテルやペんショーネに泊まれば、ローマ暮らしをちょっぴり
体験することができる。力いっぱい押さないと開かない重い重い扉。外側と
内側の二つの扉を開け閉めしなければ動かないエレベーター。ひんやりと
した大理石の階段。そしてひっそりとしたパティオ。(↓)

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長い年月変わらずに続いてきた暮らしをうかがうことが出来る。

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ホテルの部屋のベランダから見た建物の裏側風景。

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