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2005/03/03

ソ連末期のモスクワ

ペレストロイカやグラスノスチ(←かろうじて覚えていた)のお陰で
モスクワにストップオーバーできるようになった頃、2泊3日の
モスクワ滞在をした。

もっとも自由化と言ってもそこはソ連のこと、前もって狸穴のソ連
大使館まで足を運び、ビザを発給して貰い、そのビザを貰うために
旅行社でホテルを予約してと、面倒臭い手続きが必要だったが、
それでもモスクワ市内を一人で歩き廻れただけでも大進歩という
ものだ。

まだまだソ連を個人旅行する人が少なかったので、マトモなガイド
ブックがなくて困った。地下鉄に乗ったはいいものの、キリル文字
だらけで駅名が分からない。路線も分からない。山手線のように
ぐるっと一周する路線があったので、迷ったらその電車に乗って
見覚えのある駅で降りるようにした。

観光名所も「赤の広場」くらいしか知らなかったので、とりあえず
そこに行った。赤の広場に面してデパートがあったが、品揃えは
お粗末だった。(下の写真はデパート)

scan0018-s

お腹が空いたのでレストランを探したが見つからない。
赤の広場から大通りをトボトボ歩いていると、戦艦みたいにデッカイ
ホテルの前でボーイが私に「5ドルでフルコースだよ」と声をかけて
きた。「ふん、どうせロクな料理じゃないだろう。でも飢え死にする
よりマシか」とボーイに5ドル紙幣を渡し、あとに付いてホテルに入った。

ロビーからつづく豪華な赤絨毯の階段を上がると、そこに高級そうな
インテリアの広いレストランがあり、沢山の観光客が食事をしていた。
ボーイに案内されて私もテーブルにつく。するとまもなく次々と料理が
運ばれてきた。この食料難のソ連の何処に、こんなに沢山の食べ物が
あったんだ~と呆れるくらい。「食べきれないからもういらない」と言っても、
ボーイは機械的に運んでくる。デザートのエクレアなんか勿体ないけど
残しちゃったものね。

ところであの5ドルはボーイのポケットに入っちゃったんだろうか?
勘定書きのようなものは一切なく、それにメニューもなくて、ボーイが
調理室からセッセと運んできたものを食べるだけだった。
5ドル紙幣1枚だけってのも変だよね~?
私はルーブルをいっぱい持っていたから、出来たら使いたかったのに、
ボーイは「5ドル!」と譲らないのだ。

まあ何はともあれ満腹になって、街歩きする元気が出てきた私は、
赤の広場からホテルがある方向へと歩いて行った。道に迷ったら
地下鉄に乗ればいい。

そうやって歩いていると、やけに立派な銅像のある広場に出た。
「あれ~、この銅像は誰だったっけ」としみじみ見上げるが、見知らぬ
顔だ。マルクスやレーニン、それにゴルビーなら知っているけど、これは
初めて見る顔だ。でも銅像の出来からしてかなりの有名人に違いない。

私は広場を取り囲む建物の前に腰をおろして、しばらくの間銅像を
眺めていた。記念に写真を撮ろうかなと一瞬思ったのだけれど、
知らない人物だったので結局撮らなかった。
でもこの日から1週間後、私はおおいに後悔することになる。

scan0031-s

モスクワは個人商店がチラホラ出始めた頃で、ソフトクリーム屋と
ビールスタンドが目に付いた。街角でいきなりケーキを売る人が
現われると、どこから聞きつけたのか人が取り囲んで次々に買って
行く。ゲリラ的に商売する人が多いようだった。(↑上の写真)

scan0030-s

市内各所では長い行列が出来ていた。何の行列か分からなかった
けれど、モスクワの人は慣れ切っているのか、交替に列を離れて
また戻ったりしていた。(郵便局で列に並んだときの経験から)

モスクワからポーランドを廻って日本に戻った2日後に、衝撃的な
ニュースが飛び込んできた。
ゴルバショフが監禁されたかの「クーデター事件」が起きたのだ。
エリツィンが戦車の上に飛び乗って大演説をぶちまくり、主役に
躍り出たのはご存知のとおり。

テレビに映し出される風景は、つい先日私が歩いた場所だったので、
いっそう臨場感があった。

でも私が最も衝撃を受けたのは、民衆がKGB長官の銅像を引きずり
倒す光景だった。
「あ~あれは!」
テレビ画面の中にあったのは、モスクワの広場で眺めていた、かの
正体不明の銅像ではないか!

ビックリして、そのあと言葉が続かない。
それからじわじわと悔しさがこみ上げてきた。
「やっぱり、あのときに写真を撮っておけば良かった。悔しい~」

もう少しで歴史的事件に遭遇することが出来たのに、ニアミスで
そのチャンスを逃してしまったと思うと、二重に悔しい私だった。

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コメント

TMさん、こんばんは。
貴重なときにソ連に行かれましたね。文中にありましたが、確かに入国の手続きだけで大変そうですね。それにしてもデパートの写真、ずいぶん高い場所に橋がかかっているんですね。

frugelさん、こんにちは。
デパートは3階くらいまであって、小さなショップが並んでいましたが、商品は質量ともに貧弱でした。でも建物だけは立派でしたね。地下鉄の駅もまるで宮殿のように豪華な造りでした。外観重視の国なんですね。
泊まったホテルのレストランでのことですが、ずっしり重い革張りのメニューには沢山のお料理名が載っているのに、どれを注文しても「今それは出来ない」と言われてしまうんです。
業を煮やして「それじゃ何が出来るの?」と聞いたら、皆が食べている定食みたいなものだけなんですわ。何のためのメニューなんだ!

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