無料ブログはココログ
2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »

2005年3月

2005/03/28

新東京タワー

新東京タワーの建設第1候補地に、墨田区の業平橋・押上地区が
上がっているという。デジタル放送へ完全移行する2011年までに、
600メートル級のタワーを建設するというものだが、これが実現したら
世界でも最も高い塔になるらしい。

押上といえば我家からも近い。
この辺りは関東大震災や東京大空襲で沢山の人が亡くなったところで、
災害に弱い東京の象徴のような地域なので、そんな途轍もない塔など
建てて大丈夫かと心配になる。
それに、電波の下で暮らしていて、健康に影響はないのだろうか。
(でも現在東京タワーの近所に住んでいる人がいるから大丈夫かな)

景観からみると、江戸時代の面影が強く残る隅田川の近くに近代的な
タワーはふさわしくはないが、でも京都タワーよりはまだ許せると思う。
東京は次から次へと新しい建造物が出来るのがウリの都会なのだし、
それに隅田川沿いにはすでにビルがズラッと並んでいるのだから。
(写真は浅草向いのビール会社のビル。向こうは豪華な墨田区役所)

_0622s

新東京タワーの上から隅田川を見下ろすのも悪くないかな。

話はまったく変わるが、ニュースと言えば「ライブドアvsフジテレビ」。
次から次へと個性プンプン匂わせて新しい登場人物が現われる。
状況は刻々と変化し、正直言ってホントに飽きないわね~。
ニュースショーは解説者を繰り出して、用語説明やら推理やらを開陳し
おかげでこちらもにわか投資評論家状態だ。

現実の社会がこれだけ刺激的だと、テレビドラマはどうしても迫力
不足になってしまうわね。

さあ明日はどうなることやら。

2005/03/26

超ユニークなマルタの女神

マルタの歴史は古く、新石器時代から始まっている。
この頃は「巨石文化」の時代で、BC4000年頃~BC2500年頃に栄えたらしい。
人々はミニ共同体をつくって平和な暮らしを営んでいたようだが、その後姿を
消した。
その頃の遺跡が今もマルタに残っているというので、ボンネットバスに乗って
行って来た。写真は巨石神殿の跡。

malta_007s

巨石といってもクスコのサクサイワマンのような巨大な石ではなく、マルタ島の
サイズにあった大きさではあるが。

ここで私の関心を引いたのは、巨石よりも発掘品の方だった。
この巨石神殿からは「豊穣の女神像」がいくつも出土していて、それが又一度
見たら忘れられない姿形をしているのだ。

「地中海古代神殿の豊穣の女神」「忘れられない姿形」と聞けば、たいていの人は
ミロのヴィーナスのような均整のとれた女性像を思い浮かべるだろうが、残念
でした、マルタの女神はそんな常識的スタイルじゃない。

malta_009s

こりゃ豊穣というより超肥満という方が当たっているんじゃないの。
アメリカに行ったら、今もこんな体形の人がいそうだけど。
「太った女性=憧れの女性=美人」だったのかしら。

世界中どこにもユニークな文化はあるが、ユーモラスで親しみを感じるという点で
マルタの女神はトップクラス。
女神は神々しいものと決め付けていたけど、古代は神様がもっと身近に人々の
生活の一部として存在していたのだろう。

どれも頭部がないが、どうやら胴体と頭は別々に造って差し替えたりしていたらしい。

malta_135s

すっかり気に入った私はお土産に女神のレプリカ(↑)をいっぱい買って
きたのだけれど、変なものを貰って迷惑そうな顔をしている人もいた。

2005/03/25

フリーペーパー花盛り

花粉の季節が過ぎるのをひたすら待ちわびています。
夕方耳鼻科クリニックに行ったら、待合室は満員で、どうみても
1時間以上待ち。とても待てないと薬だけ処方してもらいました。

にっくき杉を根絶やしにして欲しい~。
でも巷の花粉グッズの充実ぶりをみると、悩む人がいる一方で
経済活性化にも役立ってもいるようです。

こんな調子ですから、健康維持のための「皇居一周」ウォーキング
なんてとても無理な話で、もっぱら地下街を歩き廻っています。

ところで、そんな地下街や街角で、無料雑誌や無料ペーパーを
よく立ち読みします。私は立ち読みが得意技なのです。

2005jinjya_078s

この写真は地下鉄駅においてあったものですが、今の時期は
「お花見スポット」と「お花見用食料品」特集が花盛りで、無料でも
中身はなかなかのもの。

一口にフリーペーパーと言っても、不特定多数を対象に発行している
わけではなく、「若い女性向け」「男性サラリーマン向け」「熟年向け」
大まかに言ってこの3種類に分かれますね。

当然ながら、ターゲットによって内容も異なり、熟年向けは紙面の半分
くらいが「生涯学習」をうたう大学や各種学校の広告です。
大学も少子化で学生の数が減りますから、金と暇がありそうな中高年
から学費をせしめようという魂胆なのでしょう。

講座の内容も「資格取得」といった実益的なものから「海外旅行を楽しむ健康と
医学」といった趣味と知識の両得狙いのもの、「宗教・哲学・論語」などという
自己満足的なものまで百花繚乱。よくこんな講座を思いついたものだと感心
したくなるものもあります。

で、これだけ無数に講座があると、やはり出ますね~こういうサイトが。
「公開講座.com」

ずらずらっと並んだ講座の名称を眺めて何となく満足している私ですが、当然
ながらこれではお金もかからないけど知識も身に付きません。

脳活性化のために、何かやらないとね~。

2005/03/20

マルタの日本人墓地

マルタ島には多くの日本人が眠る墓地がある。
「カルカーラの日本兵戦没者墓地」だ。

「歩き方」のすみっこに「第一次大戦中、敵の魚雷攻撃を受け59名が亡く
なった」という短い記事を見つけ、行ってみたいと思っていた。

でもその墓地はどこにあるのか。マルタ島はけっこう広いのだ。
分かっているのはカルカーラ(Kalkara)という町の英国軍墓地の中にある
ということと、カルカーラには4番のバスが行くということだけ。

ツーリストインフォメーションで貰ったマップとにらめっこしながら、運転手
さんに「カルカーラに着いたら降ろして」と頼んだ。

でも教えられたバス停で降りると、そこは野原とチラホラ住宅があるだけの
殺風景な場所で、墓地らしきものは見当たらなかった。
「さて、どちらに行ったものか」と途方にくれていると、たまたま一緒にバスを
降りた年配の男性が「どこに行くのか?」を声をかけてきた。

男性はシドニーからマルタに移住してきたオーストラリア人だった。
悠々自適の年金暮らしをしているようだ。
私が墓地を探していると言うと、通りかかる車を止めたりして一緒に探して
くれた。

ようやく見つけた墓地は、昼寝の真っ最中の静かな町にあって、人影も無く
ひっそりとしていた。

malta_031s

入口を入ったところにプレートがかかっていた。ここには幾多の海戦で
亡くなった様々な国の兵士が葬られているようだ。

malta_028s

ここで、この日本人墓地について、ざっと書いておく。

「第一次世界大戦の1917年に、マルタ(当時英国領)はドイツの潜水艦に
よって海上封鎖状態になり、生活物資にも不足をきたした。そこで英国が
同盟国の日本に支援を求め、日本は巡洋艦明石を旗艦とする8隻の艦隊を
地中海に派遣した。
この戦闘で駆逐艦さかき(榊)が魚雷の直撃を受けて大破、乗組員59名が
戦死した。
榊は甚大な被害を受けながらも自力でマルタのヴァレッタ港に帰港し、
世界中の驚きと賞賛を集め(賞賛したのは味方だけでしょうが‥‥^^;)、
感銘を受けたマルタの人々が1918年に鎮魂碑を建立した。
1921年には当時皇太子だった昭和天皇も訪れている。
しかしその碑は第二次世界大戦で破壊され、1973年に日本政府の手で
再建された。」

malta_027s

「日本兵戦没者慰霊碑」は広々とした墓地の最も奥まった場所にあった。
手を合わせてお祈りし、写真を写したのだが、あとでパソコンに取り込んで
みると肝心の慰霊碑の画像だけがない。厳しい直射日光でおまけに逆光
だったので、うまくシャッターを押せなかったようだ。

ともあれ、古代から多くの民族の戦いの舞台となったマルタに、ついに
日本人も登場したのかと思うと、感慨深いものがあった。

2005/03/19

エチオピアの光と影

>「エチオピアの光と影」~水野富美夫・没10周年回顧展に行ってきました。

開催場所の時事通信ホールは、東銀座の新橋演舞場のすぐ近く、駅から
徒歩1分のところにあります。まだ真新しいビルでとってもきれい。

「エチオピアの光と影」展は、エチオピア女性の凛とした美しさでいっぱいでした。
エチオピア女性って、目鼻立ちがクッキリして造形的に整っていますね。
人種的、民族的にどのような系統に繋がっているのかしら。

会場のかたすみではコーヒーセレモニーをやっていて、水野画伯の絵そのままの
美しいエチオピア女性がコーヒーをふるまってくれました。

ところで、エチオピア支援も兼ねた展覧会ということですが、会場で売られている
のはカタログとポスターだけなので、カンパの意味で買うにはちょっと‥‥なん
ですよね。絵葉書でもあれば、欲しかったんですけど。
それから、会場に募金箱があれば、僅かでも寄付できたのにと思いました。

入場無料ですし、交通の便も良いですから、この連休に足を運ばれてはいかが?
3月19・20日(10:00~19:00) 21日(10:00~17:00)


2005/03/16

マルタ島、世界遺産二つの顔

マルタ島についた翌日、ボンネットバスに乗ってホテルから旧市街の
ヴァレッタに向かった。お天気はドピーカン。

もっともここは毎日毎日ドピーカン、お日様がサンサン注いでいて眩暈が
しそうだった。

ヴァレッタは世界遺産にもなっている由緒正しき地域。
ところが町はやたら明るいだけでひっそりと静まりかえっている。
門を入ってすぐの所にツーリストインフォメーションがあるので、まずそこに
行ったが、オフィスは閉まっている。
マルタ島の観光資料といえば、「歩き方南イタリア版」の終わりの方に
オマケ程度に載っているだけだったので、とりあえずシティマップでも
貰おうと思っていたのだが。

その時のヴァレッタの町は、だいたいこの(↓)写真のような雰囲気。
実はデジカメの操作を誤って、旅前半に写した画像を全部削除してしま
ったので、この時の写真はない(涙)

malta_054s

そう、ウッカリしていたけれど、この日は日曜日だったのだ。
だから皆さん休息の時間を過ごしているわけで、教会のミサに訪れた人
以外には人通りもないのだった。

「でも、こういう由緒正しき街並みを、誰にも邪魔されずに見学するのもいいな」
私はメインストリートをずっと行き止まりまで歩き、市街地の突端にある要塞、
セント・エルモ砦に上がって海を眺めた。

ここでは、カラフルな衣装に身を包んだマルタ騎士団のアトラクションも
見ることが出来た。

あとで観光パンフなど見たら、この騎士団デモンストレーションは、かなり
有名な観光イベントらしい。でもいつもやっている訳ではないので、たまたま
行ってこれを見学できたんだから、ラッキーだったかな。
(でも頑張って撮ったカラフル写真が皆消えてしまったのはアンラッキー)

誤算は、最大の目的だったカラヴァッジョの「洗礼者ヨハネの斬首」がある
「聖ヨハネカテドラル」が閉まっていたこと。仕方ない、また出直さなければ。

日曜日はお店どころかレストランも閉まっているところが多い。
町をあちこち歩き廻って、「聖ヨハネカテドラル」のすぐ近くに小さなメニューを
掲げたお店をみつけた。マルタらしいインテリアの可愛いレストランで、
うさぎの料理と赤ワインを飲んで満足満足。
「やっぱりここはヨーロッパの歴史のエッセンスみたいな所だわ」と優雅な
気分に浸っていたのだが‥‥‥。

その後、ウィークデーに「カラヴァッジョ」目当てに再びヴァレットに行った私は
思わず我が目を疑った。
「えっ、ここは私が日曜日にきたヴァレッタ?ホントに同じ町?」

私が静かにランチを食べたレストラン、カラヴァッジョの絵がかかっている
荘厳な大聖堂の周辺は、露天商が店開きし、観光客がごった返し、アジアの
市場みたいな賑わいだった。

「何だ、この雑踏は。ここは本当にヨーロッパなの?歴史の交差点マルタ
なの?あの静かな由緒正しき町並みまぼろしだったの?」

malta_015s

マルタ旅行を計画している皆さん、ヴァレッタには平日と日曜、2回行って
下さいね。

今週のオススメー深川ロール

ブラックコーヒーのお茶請けに「深川ロール」をどうぞ。

2005jinjya_075s

「ラ・バンボッシュ」
というケーキ屋さんのロールケーキ
です。

2005/03/13

ヨン様クリアファイル

職安通りの韓国料理店で食事をして支払しようとした時のこと、
レジの女性が私に「ヨン様ファンですか?」と聞くのです。
いきなり言われて何と応えていいか分からず、「いやあ~、うふふ」
と笑いでごまかしたら、「ヨン様ファンなら、これをあげましょう」と
差し出したのが、下の写真の「ヨン様クリアファイル」

2005jinjya_077s

他にも沢山の女性客がいたけれど、皆さんにあげたような気配は
ありません。どうして私に?ヨン様にお熱の日本人オバサンの
最大公約数的イメージなんでしょうかね~私って(^o^;)

このクリアファイル、そのうちに真正ヨン様ファンにプレゼントしようと
思っているのですが、しばらくは手元に置いときます。うふふ。


2005/03/11

マルタ島に砂はない

「マルタ島の砂」というイージーリスニングがあったっけ。そういえば最近は
この手の音楽を聴かないな。

マルタ島についての知識はほとんどなかったけれど、(マルタ騎士団なんて
名称は聞いたことがある)無頼者画家カラヴァッジョが殺人を犯してこの島に
逃げ、しばらく滞在していた時に描いた絵画があると聞いて、ぜひ行きたく
なった。

行きはミラノ帰りはローマ経由だったから、利用エアはアリタリアだったと思う。
飛行機がシチリア上空を過ぎると、やがて白っぽい建物だらけの島が見えて
きた。シチリアよりも小さく、明るく、緑が少ない。これがマルタ島だった。

マルタ島は典型的なリゾート地。

この島は、古代から様々な民族が戦いを繰り広げた歴史の島でもあるのだが、
レストランやカフェ、ラフな恰好で闊歩する観光客などの賑わいの前には、歴史の
重みもかすみがち。というより、数々の歴史遺産も保養地マルタのプレミアムみたい
になっている。まあ初めてヨーロッパ旅行するという人には、マルタは快適に過ごせる
からオススメだが。
観光客が集まるのは、世界遺産になっている旧市街ヴァレッタと、海岸に沿ってホテル
が建ち並ぶ近代的なスリーマ。私は夜遅くまで賑わっているスリーマのホテルにした。
ベランダから身を乗り出すと海がチラッと見える、いわゆる「オーシャンビュー」という
やつ。

malta_104s

スリーマの海岸線にそって洒落たプロムナードが延びている。
ところでこのプロムナードから下の海を覗いてみると、そこにはゴツゴツとした岩がある
だけで砂浜がない。リゾート地というと、広い砂浜に寝そべる海水浴客を思い浮かべる
私だが、ここマルタではそういう光景は目にしなかった。(隣りのゴゾ島に行けば、砂浜
があるようだが)


2005/03/06

今週のオススメ「「越の初梅」

2005jinjya-s

新潟県小千谷市の「高の井酒造」の「越の初梅」です。
新潟県出身の私ですが、このたびの震災に関して何の力添えも
出来ないので、せめてこのお酒を買って被災地の経済に貢献しようと、
なけなしの小遣いをはたいたわけです。
(こじつけ&言い訳がましい>私)

このお酒は美味しかった。
私は基本的に「日本酒は燗」派なのですが、このお酒は常温で
飲むのがいいかも。まろやかで、お酒を飲んでいる気がしません(^^;)
辛口って書いてあるけど、舌にピリッとくる感じはなく、むしろやさしい
感じでした。

最近は芋焼酎にはまっていたのですが、先日新潟からやってきた
妹が、「焼酎もいいけど、最後は日本酒でしめないと物足りない」と
言っていたのを思い出し、デパートで見つけたこのお酒を買ってみた
のです。

適量のお酒を飲む人は長生きするしボケにくいそうです。
酒はまさしく百薬の長ですね。でも適量ってとこが曲者ですが。


ソ連末期のモスクワ(つづき)

モスクワに行ったのは夏だったが、駅などで花売りしている
おばさんは皆分厚いコートを着ていて、真冬のような恰好だった。

moscow0003-s

これはどうしてなのかな?
夜になると寒いからだろうか?
でもそんな深夜まで花売りしているとは思えないけど。

2005/03/03

ソ連末期のモスクワ

ペレストロイカやグラスノスチ(←かろうじて覚えていた)のお陰で
モスクワにストップオーバーできるようになった頃、2泊3日の
モスクワ滞在をした。

もっとも自由化と言ってもそこはソ連のこと、前もって狸穴のソ連
大使館まで足を運び、ビザを発給して貰い、そのビザを貰うために
旅行社でホテルを予約してと、面倒臭い手続きが必要だったが、
それでもモスクワ市内を一人で歩き廻れただけでも大進歩という
ものだ。

まだまだソ連を個人旅行する人が少なかったので、マトモなガイド
ブックがなくて困った。地下鉄に乗ったはいいものの、キリル文字
だらけで駅名が分からない。路線も分からない。山手線のように
ぐるっと一周する路線があったので、迷ったらその電車に乗って
見覚えのある駅で降りるようにした。

観光名所も「赤の広場」くらいしか知らなかったので、とりあえず
そこに行った。赤の広場に面してデパートがあったが、品揃えは
お粗末だった。(下の写真はデパート)

scan0018-s

お腹が空いたのでレストランを探したが見つからない。
赤の広場から大通りをトボトボ歩いていると、戦艦みたいにデッカイ
ホテルの前でボーイが私に「5ドルでフルコースだよ」と声をかけて
きた。「ふん、どうせロクな料理じゃないだろう。でも飢え死にする
よりマシか」とボーイに5ドル紙幣を渡し、あとに付いてホテルに入った。

ロビーからつづく豪華な赤絨毯の階段を上がると、そこに高級そうな
インテリアの広いレストランがあり、沢山の観光客が食事をしていた。
ボーイに案内されて私もテーブルにつく。するとまもなく次々と料理が
運ばれてきた。この食料難のソ連の何処に、こんなに沢山の食べ物が
あったんだ~と呆れるくらい。「食べきれないからもういらない」と言っても、
ボーイは機械的に運んでくる。デザートのエクレアなんか勿体ないけど
残しちゃったものね。

ところであの5ドルはボーイのポケットに入っちゃったんだろうか?
勘定書きのようなものは一切なく、それにメニューもなくて、ボーイが
調理室からセッセと運んできたものを食べるだけだった。
5ドル紙幣1枚だけってのも変だよね~?
私はルーブルをいっぱい持っていたから、出来たら使いたかったのに、
ボーイは「5ドル!」と譲らないのだ。

まあ何はともあれ満腹になって、街歩きする元気が出てきた私は、
赤の広場からホテルがある方向へと歩いて行った。道に迷ったら
地下鉄に乗ればいい。

そうやって歩いていると、やけに立派な銅像のある広場に出た。
「あれ~、この銅像は誰だったっけ」としみじみ見上げるが、見知らぬ
顔だ。マルクスやレーニン、それにゴルビーなら知っているけど、これは
初めて見る顔だ。でも銅像の出来からしてかなりの有名人に違いない。

私は広場を取り囲む建物の前に腰をおろして、しばらくの間銅像を
眺めていた。記念に写真を撮ろうかなと一瞬思ったのだけれど、
知らない人物だったので結局撮らなかった。
でもこの日から1週間後、私はおおいに後悔することになる。

scan0031-s

モスクワは個人商店がチラホラ出始めた頃で、ソフトクリーム屋と
ビールスタンドが目に付いた。街角でいきなりケーキを売る人が
現われると、どこから聞きつけたのか人が取り囲んで次々に買って
行く。ゲリラ的に商売する人が多いようだった。(↑上の写真)

scan0030-s

市内各所では長い行列が出来ていた。何の行列か分からなかった
けれど、モスクワの人は慣れ切っているのか、交替に列を離れて
また戻ったりしていた。(郵便局で列に並んだときの経験から)

モスクワからポーランドを廻って日本に戻った2日後に、衝撃的な
ニュースが飛び込んできた。
ゴルバショフが監禁されたかの「クーデター事件」が起きたのだ。
エリツィンが戦車の上に飛び乗って大演説をぶちまくり、主役に
躍り出たのはご存知のとおり。

テレビに映し出される風景は、つい先日私が歩いた場所だったので、
いっそう臨場感があった。

でも私が最も衝撃を受けたのは、民衆がKGB長官の銅像を引きずり
倒す光景だった。
「あ~あれは!」
テレビ画面の中にあったのは、モスクワの広場で眺めていた、かの
正体不明の銅像ではないか!

ビックリして、そのあと言葉が続かない。
それからじわじわと悔しさがこみ上げてきた。
「やっぱり、あのときに写真を撮っておけば良かった。悔しい~」

もう少しで歴史的事件に遭遇することが出来たのに、ニアミスで
そのチャンスを逃してしまったと思うと、二重に悔しい私だった。

2005/03/01

中国の日本語熱

手元にある新聞の切り抜き(2004年10月読売)によると、今中国では
日本語能力試験」が大人気で、2004年度は応募者が初めて10万人を
突破したという。(以下、その切り抜きより)
でも受験者の急増に予算と体制が追いつかず、応募すらできなかった
希望者が数千人もいたとか。

北京の大学で日本語を専攻している学生が、インターネットで試験に
応募しようとしたら、北京市内の5ヶ所の会場はすでに満員だった。
あわてて全国の会場を調べ、ようやく西安の会場に空きを見つけた。
上海会場では受付開始後2~3時間で募集枠が埋まり、全会場も
2、3日後には定員に達した。

ちなみに、中国で今最も人気がある英語検定試験は英ケンブリッジ大
などが行う「IELTS」だが、このテストの2004年の受験者数は約8万人。
韓国語能力試験の2004年の受験者数は約2,400人というから、
日本語能力検定試験の受験者数はこれらを上回ってダントツ一位と
いうことになる。

でも対日感情が良くなっているということでは決してない。中国の若者
たちの間では、反日感情は強い。そんな彼らが日本語を学習する目的は
就職に有利だから。中国に進出した日系企業はすでに2万社超、また
毎年1万人前後のペースで増える中国駐在日本人相手のビジネスが
盛んで、日本語人材は引っ張りだこになっている。

seian_272s

上の写真は西安の街角で見かけた看板。中国の中では反日感情が
強いと思われる西安でも、日本語熱は高いようだ。

« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »