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2005年1月

2005/01/29

チュニジアンブルー

チュニジアはマグレブ諸国の中でも最もヨーロッパに近いと
思う。地理的にもそうだが文化的にもそう感じる。

チュニスから郊外電車に乗ってしばらく行くとカルタゴがある。
紀元前9世紀に建設され、貿易でおおいに繁栄したカルタゴだが、
それがローマの怒りに触れ、英雄ハンニバルの奮闘があった
ものの結局は滅ぼされてしまった。

大国ローマを脅かすほどに繁栄してしまったカルタゴ。
もう二度と蘇ることがないようにと、ローマは焼き払ったカルタゴの
地に塩をまいたという。

だからカルタゴに残る古代遺跡はほとんどローマ時代のものだ。
ほんのわずか、カルタゴの子供の墓地「トフェの墓地」が残って
いるくらい。カルタゴでは幼児を殺していけにえにする風習が
あったのだとか。

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現在のカルタゴは高級住宅街になっている。大統領官邸もここに
あるし、ひたすら美しい保養地「シディ・ブ・サイド」もある。
美しさを印象付けるのは「青」だ。
海の青、空の青、そしてチュニジアンブルーと呼ばれる扉の青。
白壁の家々に、それらの青がいやが上にも映える。

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時間がたっぷりあったら、カルタゴを一日がかりでウォーキング
するのも楽しい。洒落たカフェがあるし、電車も時々やってくる
ので、疲れたって大丈夫。

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チュニジアの青に魅せられて、ナブールという焼き物の町で
タイルを買った。買ってからちょっと後悔した。割れる心配が
あるし重くて持ち運びにも困る。でも買ってしまったものは
仕方が無いので、手荷物に入れて抱えて日本に帰った。

nabul1s

今このタイルは我家のテーブルの上で「鍋敷き」になっている。

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(左はチュニジア、右はオランダかポルトガルのタイル)

エジプトは凄かった

湾岸戦争が始まる頃、エジプト一人旅をした。
ろくに下調べもせず、ピラミッドでも見てこようか~と、
軽い気持ちで向かった私。それが無謀だと気がついた
のは、カイロに着いてからだった。

戦争のせいで観光客が極端に少なく、特に日本人と
アメリカ人は誰もいないと現地の人がぼやくほど。
だから数少ない日本人の私はエジプト人の生活の糧
みたいになってしまい(;_;)、何処にいても、「タクシー」だの
「これを買え」だの「ガイドする」だのと絨毯爆撃を受けた。

ルクソールで乗ったタクシー運転手が、「お~、日本人か。
オレは何てラッキーなんだ!」(日本人はぼり易いから)と
私に向かってぬけぬけと言ったときは、「このやろ、負ける
もんか」と一悶着起きるのを覚悟した。
(旅行中に自分の性格が変わったのは、後にも先にも
このエジプト旅行の時だけ‥‥^^;)

0005s

朝から晩までそんなことの連続で、子供は可愛げがないし
(バクシーシが少ないといらないと返してくる)、頼みもしない
のに荷物を勝手に持って行ってチップを要求してくるし、
(私の荷物を大人も子供も狙っていて、隙をみてサッと持って
行く。でもドロボウではなく、ちょっとだけ動かして、運び賃
としてチップを要求するのだ)
おまけにどんな約束も守ったためしがない。

悪口を書き出したらキリが無いほど(^^;)

私はシンガポール航空で行ったのだが、帰途チャンギに
立寄ったとき、エジプトとの余りの違いに呆然としてしまった。
あの喧騒は、あの混沌は、いったい何処にいったの?
静かで、整然としていて、誰も私に無関心。チャンギにいる
ことが、しばらくは現実として受けとめられなかった。

こんな過酷な旅だったけれど、そのせいでエジプトは私の
記憶にいつまでも鮮明に残っている。

2005/01/26

モロッコのクスクス、シチリアのクスクス

クスクスと言っても、国や地方によって随分違う。

まずはマラケシュ(モロッコ)のホテルで食べたクスクス。
とんがり帽子の器がウリだ。

kusukusu1-s

細かい粒子の穀物(デュラム・セモリナだったっけ?)の上に、
マトンや大きめ野菜を煮込んだトロッと甘いスープがかかっている。
量が多くて、味も甘すぎて、ちょっと持て余してしまった。

kusukusu2-s

赤ワインはモロッコ産。イスラム国なのに、お酒なんか造って
いいの~?飲まなければいいのかな。

シチリアのトラーパニでもクスクスを食べた。
アフリカが近いのでクスクスがポピュラーな料理になっている。
でも味はモロッコで食べたものと大違い。
魚介類の味がしみ混んだサラサラとしたスープ、文句なしに
絶品だった。

hp1141005

名前は同じクスクスでも、これは別の料理と言っていいだろう。

トラーパニはマグロが獲れる港町で、日本漁船なども来るようだ。
でも私が訪れた時は、マグロ漁の季節でないのか、日本人は
見かけなかった。

トラーパニの近くにはワインで有名なマルサーラ、そしてカルタゴの
保養地だった小島「モツィア」がある。カルタゴの遺跡が見たくて、
このモツィアに行ってきた。でもシーズンオフだったので、バスは
少ないし、人はいないし、寒いしで、苦労した。

モツィアに渡る船が着く辺りは塩田が広がっている。
この光景だけを見たら、シチリアとは思えないんじゃないかしら。

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2005/01/24

春と秋の西湖

昨年は春(6月初め)と晩秋(11月末)の2回杭州に行って
きました。西湖とその周辺の茶館がすっかり気に入ったことも
ありますが、6月に行ったときに目当ての「中国茶葉博物館」が
改築工事中だったので、リベンジというわけで、11月の西安
旅行のついでに足を延ばしたのです。

春には行かなかった湖の中の島「三譚印月」にも、秋には船に
乗って行ってきました。

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西湖は季節によって違う表情を見せながら、相変わらず美しく、
伝説の美女「西施」になぞらえるのもむべなるかなと思いました。

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なお、杭州旅行記は私のホームページでどうぞ!
http://www5a.biglobe.ne.jp/~vino/

東京ジャーミィ

西安とは比べられませんが、東京にもイスラムの風景があります。
それが東京ジャーミィ・トルコ文化センターです。
ロシア革命で日本へと逃れてきたトルコ人が1938年に建立した
「東京回教寺院」を改築し、2000年に「東京ジャーミィ」として生まれ
変わりました。

2005jinjya_065s

トルコ本土から材料と職人がやってきてこの美しい建物が完成しました。

2005jinjya_055s

これはトルコの応接室のようです。トルコ文化センターも兼ねていて、
スカーフや絵葉書などが売られていました。私は寄付のつもりで
絵葉書3枚を買ってきました。(1枚70円)

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残念ながら礼拝堂は閉まっていました。非ムスリムでも入ることが出来ると
聞いたのでスカーフを持って行ったのですが‥‥。
知人の女性が完成したばかりの頃「東京ジャーミィ」に行ったら、トルコ人が
いろいろ案内して説明してくれたそうです。
いつ行けば礼拝堂を見せてもらえるのかしら。

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いたるところで目にする幾何学模様は、偶像崇拝しないイスラム文化圏で
コーランの一節を装飾文字化したものとか。

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2005/01/23

世界の道路横断事情

中国などアジアを旅行して困るのは道路の横断だ。
信号が余りないし、あっても守らないので、何車線もある幹線道路を、車の切れ目を
ぬって恐る恐る渡らなければならない。

もっともこの状況は何もアジアだけではない。

ドイツで交通事故に合う確率が最も高いのはイタリア人という話を聞いた。
その昔ローマに行った時、信号の無い大通りを平気で横断する人を見てビックリ
したが、イタリアでは信号に関係なく人が道を渡るという前提があるので、車も
ちゃんとよけてくれる。でもドイツでは、信号無視して人間が道を渡るなどと思っても
いないから、咄嗟の対応が出来ない。文化の違いがここで不幸な衝突をするわけ
である。

もっともローマでのカルチャーショックは、まだまだ序の口(^^;)だった。
上には上がある。

私の旅行経験の中で、道路横断事情が最悪だったのはエジプトのカイロだ。
人口1,500万人(エジプト人の説)の大都会に、今にも空中分解しそうなスクラップ
同然の車が所狭しとひしめいて走っている。ちょっとでも空間が出来ようものなら、
後方の車から容赦ないクラクション攻撃を受ける。「隙間を詰めろ!」というわけだ。
ここでは割り込み禁止どころか割り込みがルールなのだ。

しかも、カイロの大通りを走り回っているのは車だけではない。よくこれだけ
積めたものだと呆れるほどの荷物を背負ったロバや馬車が、わがもの顔で闊歩
している。車に轢かれるのも恐いが、この山のような荷物の下敷きになって窒息死
するのも恐い。

こんな大通りを横断するのである。出来るだけエジプト人の陰にかくれて渡るように
していたが、いつもエジプシャンが道を渡っているわけじゃないので、意を決して
一歩踏み出す勇気は観光客といえども不可欠なのだった。

こんな最上級のカルチャーショックに直撃され、私はエジプト旅行で心身ともに
ダメージを受けた。ルクソールからカイロに戻ってきた時は、もう街歩きする元気が
残されていなかった。
「金の問題じゃない。生きて日本に帰ることの方が大事だ!」
疲れを癒すため、私は「ナイルヒルトン」という高級ホテルのエグゼクティブルーム
に泊まることにした。湾岸戦争で観光客が少ないホテルが大幅にディスカウン
トしてくれたので、貧乏人の私でも泊まることが出来たのである。

ところでこのホテルはナイル川に面しているのだが、ホテルとナイル川の間に
何車線かの大通りがあり、観光客がナイル河畔に行く為にはこの通りを渡らな
ければならない。
ナイルヒルトンに泊まる人はエジプトに慣れていない人が多いから、この道路横断は
まさに決死の覚悟が必要なのだった。

私は部屋のテラスからこの光景を眺めて時間を過ごした。
ここからはナイル川とその前に横たわる大道がよく見えるのだ。
恐る恐る歩き出して慌てて戻る人、途中まで順調に行ったのに渡り切れずに引き
返す人、少しずつ少しずつ歩を進めついに河畔にたどり着く人といろいろで、
「あっ、惜しい!」とか「思い切って行け!」とか言いながら高みの見物を楽しんで
いた。これは飽きないんですよ、ホント。

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(中国の街角)

この時の経験が生きて、中国でも数日後には大通りの真ん中で佇むことが出来る
ようになったが、信号遵守社会の日本に住んでいると、決断力だの反射神経だの
全方位に注意を払う能力だの道路横断に欠かせない本能が鈍ることは確かだ(^^;)


西安で食べる(2)

鐘楼近くのもう一つの有名レストラン、餃子の「徳発長」にも入ってみた。
このお店は工芸品のようなさまざまな形の餃子が食べられるようだが、
私は普通の餃子を注文した。味は、う~ん、イマイチ。中国は水餃子が
ほとんどだが、私はパリパリした焼餃子が好きなのだ。
(餃子は15ヶで6元=約78円、ビール12元=約156円)

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鐘楼近くには、ガイドブックに必ず載っているお店がもう一つある。
それが「五一飯店」。カウンターにいろいろなお料理が並んでいて、
指差して注文できるので便利。2回利用した。

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カウンターで代金を払い、お料理をトレーにのせて、空いている席に座る。
随所にお箸やレンゲなどがおいてあるので自分で持ってくる。
言葉が満足に通じない当方としては、セルフサービスは気楽で良い。

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この魚は小骨が多くて食べにくかったけれど味は満足。
卵入りトマトスープも美味しかった。

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黒いおそばが珍しくて食べてみた。くせのない味で、全部平らげた。
お料理いくらだったか忘れてしまったけれど、安かったのは間違いない。
それぞれの食事代が全部で200円~300円くらいだったかな。
いろんなお料理があったので、時間があればもっと食べたかったわ。

2005/01/21

西安で食べる(1)

旅の楽しみは食事なので、ガイドブックのレストランが
載っている箇所をコピーして持って行った。
初めての街で、観光の合間に、目的のレストランに行く
のはそう容易いことではないが、今回は泊まったホテルが
鐘楼のすぐ近くだったので、いろいろと賞味することは出来た。

まず、ガイドブックに「世界各地の観光客が食べに訪れる」と
書かれた「同盛祥」の「羊肉泡バク」。
鐘楼のすぐ近くだったのでお昼に行ってみた。

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(鐘楼から写真正面の鼓楼に続く道。右手の建物の中に同盛祥や
餃子の徳発長等の有名店が入っている)

実を言うと今回の旅行には「○○の歩き方」等の個人旅行者向け
ガイドブックは持って行かなかったが、代わりにカラフル写真満載
(と言うより、半分は写真)の大判の旅行マガジンを持って行った。
このマガジンには料理の写真が沢山載っていて、この「羊肉泡バク」も
あった。何故こんな重い本を持って行ったかというと、写真を指差す
だけで、食べたい料理を間違いなく注文できるから。
(食い意地最優先‥‥^^;)
それに、簡単な名所旧跡の説明も載っているので、いちおう旅行
ガイドブックにもなる。

そういうわけで、この羊肉泡獏(バクはへんが食)の注文は
スンナリいった。観光客が多いからウエイトレスも心得たもので、
メモ用紙持参でテーブルにやってきて「羊?牛?」と書く。
羊肉‥という料理なんだから、これはやっぱり羊だよね~と
羊の文字を指差してOK。

やっぱり写真指差し方式が一番だ。重い本を持ってきた甲斐が
あったわ。

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まずこんな「おやき」のようなものが運ばれてきた。
ウエイトレスが見本の「おやき」をちぎって見せ、こうやって自分で
やれと言う。これが結構固くて骨が折れる。私がちぎったのを
見て、ウエイトレスがもっと細かくと実演してみせるl。

そうやって一つの「おやき」の半分くらいをちぎって待っていたが、
いつまで待っても肝心の料理がこない。変だなぁ~忘れている
のかしら?だいぶ経ってからシビレを切らしてウエイトレスを
呼んだら、「もうOKか?」と言って、私がちぎったおやきが入った
ドンブリを持って行き、そこに春雨入り熱々スープをかけてきた。

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そうか、自分が食べたい分だけ「おやき」をちぎり、その上に
スープや具をのせて食べるのか。グラビア誌に料理の写真は
載っていても、食べ方までは載っていなかった。

スープは美味しかったけれど、「おやきクズ」の量が多くて、
味が薄まってしまった。春雨が入っているのだから、おやきクズは
もっと少なくてよかった‥‥と、ちょっとガッカリしたのだった。

シルクロードの入口

西安はその昔シルクロードの入口(終着)だった都市。
民族も人種も文化も異なる様々な人たちが、ヨーロッパから、
アラブから、アジアからやってきて活躍していたという。

いいなぁ。長安の都にフラッと紛れ込んでみたいなぁ。

でもそれは叶わぬ夢なので、せめて今の西安に国際都市
の面影を探すとなると、やっぱりイスラム系の人々が住む
地域ということになるだろうか。

西安市の中心、鐘楼の近くにイスラム系の人々の居住地域
がある。食品市場、屋台、料理店、土産物屋などがギッシリ
密集していて、ここはまるでアラブのメディナのようだ。

そんな町の狭い道の奥に、ひっそりと守られるように「清真大寺」
(モスク)がある。モスクといってもドーム屋根の光り輝くような
寺院ではなく、一見したところ中国の道教のお寺のようだ。

でもモスクの建築の細部は、幾何学模様や青色で飾られていて
アラビア風だった。

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モスクの中は町の喧騒が嘘のようにひっそりとしていた。


2005/01/17

花粉症対策

今年は花粉の量が史上最悪という触れ込みなので、
花粉症歴十数年の私は戦々恐々としている。

でもただ手をこまねいている訳にはいかないので、
今日は仕事帰りにクリニックで「トリクロール酢酸による
鼻粘膜の外科的治療」とやらを受けてきた。

実は昨日発売されたばかりの女性週刊誌に、この
治療がかなり効くと書いてあったものだから、すぐ
その気になってしまったのだ。

でもさっきからクシャミ、鼻水が出て困っている。
一週間くらいは我慢しなくちゃならないようだが、これって
早めに花粉症を呼び込んだだけじゃないの?
ちょっぴり不安。

これも雑誌か何かに載っていたんだけど、「べにふうき」
という緑茶に「抗アレルギー成分」が含まれていると
書いてあったので、早速インターネットで購入した。
私って、騙されやすいたちかしら(^^;)

そのほか免疫力を高めるヨーグルトとか、凍頂烏龍茶とか、
にがりとか、甜茶とか、顔と頭に鍼を打つとか、いろいろ
やってみたけど、スギ花粉が収まる頃には花粉症も治る
から、効果のほどは分からない。

考えてみれば、花粉症ビジネスってのは旨い商売かも
知れない。花粉が消える頃には花粉症も治るわけだ
から、「効かない」と文句を言われることもない。

ドサクサ紛れに、訳の分からないお茶だの飲料だのを
売り出して、一儲け企んでいる輩も多いんだろうなぁ。


2005/01/15

ニッポン食育フェア

有楽町の東京国際フォーラムで「ニッポン食育フェア」をやっていた。
半年位前にもやっていたと思うけど、またやっているという事は好評
だったのかな。
「日本各地のお雑煮」紹介コーナーが面白かった。
丸もちあり角もちあり、味噌味ありおすましあり、具も地方によって
千差万別。

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京都でお雑煮を食べるまで、私は丸もちなんて知らなかったわ。

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今回も「みそ汁カフェ」で味噌汁を飲む。
メニューはきのこ、いのしし、くじら、の味噌汁3種類と玄米おにぎりで
どれも100円。でもおにぎりとくじらは売り切れだった。
くじらの味噌汁が第一希望だったけど、「いのしし汁」にした。

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いのしし肉の味はしなかったけど、お味噌は美味しかった。

お土産に「くじらの大和煮」缶詰3個1,000円で買ってきた。

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2005/01/13

富士山

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今朝は富士山がよく見えたので、ケータイカメラで撮りました。
久しぶりにケータイからのアップです。
でもやっぱりピンボケですね。

2005/01/11

西安の夜景

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西安の中心はこの「鐘楼」だ。
私はこのすぐ近くのホテルに泊まった。1泊2,000円でバイキングの朝食付き。
中国はホテルのコスト・パフォーマンスが良くて嬉しいわ。

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鐘楼の近くには回族の居住地域があり、屋台が出て夜遅くまで賑わっている。
モスクやイスラム教徒のための食品市場などが並んでいて、ぶらぶら歩いているだけで楽しい。
シルクロードの出発点なんだわ、この町は。

2005/01/09

ヨン様

関空と韓国・江原道(冬ソナの撮影地)との間に週一度のチャーター便がスタートした。
関東より関西のほうが、冬ソナ熱は高いのだと今週号の「AERA」に書いてある。

でも関西の冬ソナファンは、ただ単にうっとりメロドラマに浸るというのではないらしい。
韓国ドラマはツッコミどころ満載なので、関西人は得意の「ツッコミ力」を発揮し、
ツッコミで笑い山場で泣いて、他地域の2倍ドラマを楽しんでいるのだとか。

関西人の話だと「冬ソナ20話」すべてにツッコミポイントがあるらしい。
私は第1話を見て、ヨン様の高校生姿が余りにも不自然だったので、そのまま見なく
なってしまったけれど、そんなに面白いんなら見方を変えて再挑戦しようかな。

それにしても、ここに載っている関西弁の冬ソナって可笑しいわ。

AERAのライバル誌「YomiuriWeekly」は、表紙にデカデカと「ヨン様・熱狂白書」の
文字。究極検証「何故ハマった?韓流と日本人」と10ページの特集で力が入って
いる。まあ色んな人が色んな説を述べていて、これはこれで面白い。
でも結局のところ誰も答えが出せないから、どんな説だって言いたい放題って感じ。

「民族的偏見などの空気を女性達が一変させ、教育でも社会運動でもできな
かったことを、あっさり飛び越えてしまった。
日韓両国の確執が変わり始めたことは、お金では代えられない。
ヨン様ブームで誰も困らないし、傷つかない。メディアに踊らされた人も喜んでいる
のだから結構なことだ」

私の意見もこんなところかな。理屈じゃどうにもならない難問に、オバサンパワーが
風穴あけたって気がするわ。

メディアに踊らされた人も喜んでいるかも知れないが、この特集でまたまた雑誌が
売れる「YomiuriWeekly」も大喜びしているでしょう。
一番喜んでいるのはメディアかもね。

2005/01/08

初詣散歩コース(アキバ起点)

正月気分がまだ残る1月7日(金)、アキバに
行ったついでに近くの初詣スポットを散歩した。
まずアキバ(秋葉原)から徒歩10分ほどの
湯島聖堂へ。

私はここで中国語を習ったことがあるが、
授業がいつも夜だったので、湯島聖堂内には
ほとんど入らなかった。
緑に囲まれ、御茶ノ水駅のすぐそばとは思え
ないほど静かな雰囲気。孔子廟ではあるが、
絵馬が沢山あるところなど神社的。

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東京医科歯科大学側の出口にこんな案内板があった。
近くの「神田明神」と「湯島天神」への行き方も載っている。

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これに沿ってまず「神田明神」へ。
と言っても湯島聖堂のすぐ前にあるのだけれど。

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神田明神は甘酒が名物なので、私もお土産に買ってきた。
私は甘酒が大好き。

そこから「湯島天神」に向かって歩くと、途中でこんな
小さな神社に出あった。その名も「妻恋神社」。

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この辺りはラブホテルの密集地域。
土地柄、大久保よりは上品な感じだけれど、
ラブホテルであることには変わりない。
こういう場所には妻とは余り来ないだろうから、
神社のご利益も効き目なさそう。神社はラブホテル
パワーに押しまくられているって感じ。

湯島天神は学生さんの姿を多かった。
神田明神はビジネスマンが目についたけど。

湯島天神からアメ横のある御徒町を通って
またアキバに歩いて戻った。

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御徒町のガード下には安い食堂がたくさんある。
他にも上野界隈はいろんな物が安い。庶民の町。


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もちろん秋葉原も、安い家電などで世界的に
有名な街だが、最近はこんなコミックコスプレ
関連のお店が繁殖している。

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華清池のパンフ

日本にある中国観光局のパンフには「西安事変」に
ついての記事がなかった。でも「華清池」に入る時に
手渡されたパンフは、地図、西安駅からのバスの案内、
歴史などが詳しく載っているスグレモノ。
しかも日本語のものもある。例によってちょっと可笑しい
日本語だが、これまで色々見た中国作日本語の中では
かなりしっかりした文章だと思う。

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西安事変につしては、
「‥‥‥、張、楊は蒋介石に日本軍に抵抗するように促すため、
何度も悲しくて涙をこぼして”直諫”しましたが、皆断られて
しかたなく”兵諫”を始めました。12日の夜明け方、”兵諫”の
部隊が五間庁の外で蒋介石の護衛隊と激戦し、蒋介石が
銃声を耳にして、あたふたと五間庁の寝室の窓から跳び出し、
更に塀を越えて、衛兵により支えて山に登りました。夜が明けた
後に、山を捜査する部隊に山の中腹に発見され、西安まで
送られました。
 西安事変とその平和的な解決は時局転換の中枢になり、
その後、国共合作の全民族の統一した抗日戦線は形成
しました。華清池もこの歴史を積載するため名を歴史に
記されます。」(原文のまま)

などと書かれています。
「どこが平和的な解決やねん」(←ここだけ何故か関西弁)と
つっこみをいれたくなりますが(^^;)、まあこのパンフのお陰で
西安事変の概要が分かりました。

せっかく日本語で作ったのだから、出来たら日本にある
中国観光局にも置いてほしいです。


ふたたび華清池

時代もシチュエーションも全く異なる
二つの歴史的事件の舞台となった「華清池」

楊貴妃が玉のお肌を磨いた温泉は今も源泉から
お湯が噴出している。

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時間があったら温泉に入ることも出来る。
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でも西安事変の現場となると、ロマンチックな
イメージは一変する。

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蒋介石が撃たれた弾丸の跡が残る建物は
寒々としている。

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弾丸の跡。
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2005/01/01

2005年元旦皇居一周

元旦の今日は、雪の大晦日と打って変わって青空の広がる
晴天になったので、これは「皇居一周ウォーキング日和」と、
午後に東京駅から皇居お堀端に向かって歩き始めた。

元旦早々ランニングする人もかなりいるが、今日は普段と
比べて散歩する人の姿が目立った。
年末年始を東京で過ごしている観光客が多いんじゃない
かしら。

皇居周辺は草木が多いので、日が当たらず雪が残っている
道もあった。

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皇居前広場では、明日の一般参賀の準備が行われていた。

2005newyear_010s

数人の観光客が集まっていたので行ってみたら、新年祝賀の
儀を終えて各国大使の車が次々と皇居から出てきた。
車の前にそれぞれの小さな国旗を立てている。

でもデジカメの電池切れで、写真を撮ることが出来なかった。
残念。

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